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The Dead C 『Rare Ravers』 Siraph 『Siraph』 Jóhann Jóhannsson 『Mandy (Original Motion Picture Soundtrack)』 Hedvig Mollestad Trio 『Smells Funny』

最近良かった音楽(ロック)


The Dead C 『Rare Ravers』


こういうコアなベテランバンドって10年で2枚とか良くても3枚出してファンがめっちゃ喜ぶみたいな感じになりがちだと思うんだけど、この人達は近年も活発なリリース。
どんなバンドかは過去に書いた記事を参照してください

昨年のライヴ映像もメチャクチャ素晴らしいっす

それで今回のアルバム。
例によって近年の感じの長尺ジャムが二本。間にインタールード的な短い演奏が挟まってる。
相変わらずロックの死体って感じの演奏なんだけど、今回はちょっとアンビ味というかドローン味というかそんなのを感じたかな。
意外とブルージーなアルペジオを延々反復するギターと低域ノイズで唸り続けるようなもう片方のギター。
ドラムは今までだと無関係なビートをミニマルに提供し続ける役割が多かったように思うけど、ここでは叩くとこと叩かないとことはっきり分けてるような。
しかしこういう腑分けして説明すればするほど虚しい音楽ってあって、つまりこれはそういう意志、とか意図、みたいなものを読み込もうとする努力を鼻で笑って否定してくる感じもするんで。
何ていうのかな。
たまたま、今回アルバムに入ってるのがここ、って。
延々何十時間もジャムしていて、その中からたまたま切り取られてるっていう、そんな印象をいつも受ける。
垂れ流しという言い方があるとすれば、このバンドはそれこそが演奏だし音楽だ、と言えるところまでその方法論を究めてきてしまったんだと思う。


Siraph 『Siraph』



6曲入りミニアルバム。

Vo - Annabel
Key - 蓮尾理之
Gt - 照井順政
Ba - 山崎英明
Dr - 山下賢

ということでざっくり言っちゃうとスーパーバンドという感じではあるんだけど。
自分的には、やっぱSchool Food Punishment大好きで、その中でもサウンドの核は圧倒的にベースと鍵盤だよなって思ってたんで、その二人がいるっていうことで聴いてみた。
やはりSFPを思わせるところはあるけど、それプラス、照井さんがいるのでギターもバキバキと鳴っていたり、ミニマルなアプローチが全編で聴かれたりと。
ただ、ギターバキバキと書いたけど、一方でビート的にはストレートなロック的なそれをほとんど採用してない。
SFPでは結構ダンス的であったり推進力のあるストレートなビートが軸にあったように思うけど。
ここでは三拍子系のポリリズムが多く聴こえてくる。
でもサウンドデザインとしてはリズムに重心を置いて聴かせるという感じでもなく。
ギターと鍵盤のエフェクトかけて入り組んだ単音フレーズでぶわーっと吹雪のようにする場面とかかなりあるんで。
更に歌ものという感じでもないんだよね。
ヴォーカルというか、ヴォイスのような。歌詞も(内容もあるけど)頭に入ってくる感じではなく、あくまでサウンドとして音楽に関与してる。
"カーテンフォール"のずっと停滞してる感じがサビで一気に雪崩れるようなところとかやはりカッコいいし、キャッチ-さはあるんだけど、でもやっぱ名状し難い音楽だなって。
メロディとかリズムとかコードとか歌詞とか、どこかに強みがあってそこにフォーカスすることで構造が分かる、みたいな音楽ではない。
全体なんだよね。
うまく言えてるか分からんけど。
曖昧さと強度がここまで髙いレベルで両立しているってやっぱとんでもないアンサンブルだなぁと思う。

てかやっぱ自分は山崎英明氏のベース大好きで、ずっと追っているんですけど、今回の"想像の雨"とかもなんか凄すぎて笑ってしまう。めちゃ良い。


Jóhann Jóhannsson 『Mandy (Original Motion Picture Soundtrack)』


映画『マンディ 地獄のロードウォリアー』のサントラ。
ヨハン・ヨハンソンの遺作のひとつということになる。
このサントラ、スペシャルなのが、ギターをSunn O)))のStephen O’Malley スティーブン・オマリーが担当しているという。
ヨハンソン×オマリーというスペシャルすぎる組み合わせ。
内容もこの二人に期待する通りのもので、ギターとシンセの重厚なドゥーム・ドローン。
シンプルゆえ語りしろの少ないアルバムではあるが、素晴らしいの一言。
ディープな残響エフェクトのもたらす深すぎるボトムの響きに幻惑される。
ドボドボ脈打つリズミックノイズのような曲やアンビもあるけど、盤全体は漆黒の世界観で貫かれてる。
ほぼほぼSunn O)))な破滅的ノイズギタードローン"Burning Church"に震える。
惜しむらくはサントラゆえ曲尺が3分程度しかないことか。
15分くらいのバージョンで聴きたい曲がいくつもある。


Hedvig Mollestad Trio 『Smells Funny』


ノルウェージャズの森の奥からやって来たダーティ・スウィート・ロックンロール・マザーファッカーズことHedvig Mollestad Trio ヘドヴィグ・モレスタッド・トリオ。
過去にも何度か書いてるように思います

もうほんとに間違いない人たちだよね。
本質的、と言ってもいい。
脳髄から腰骨までぶっ叩いて、ロックンロールは美しいということを教えてくれる。
ドラムとギターとベースという三すくみの美しさってやっぱり永遠で。
今回ギターのはっちゃけぶりがかなり素晴らしいのだけど、"Bewitched, dwarfed and defeathered"のノイズ化したソロとか特にもうウワァーって感じが。
あと、ぶれない事がここまで嬉しいバンドというのもなかなか無いなと。
新しくならないことは美学なんであって、結局ツェッペリンのライヴアルバムって今聴いても普通にカッコいいし、その次にこのアルバムがかかって盛り上がるみたいなことが、この人達のあり方の面白さじゃないかな。
全6曲のシンプルさも潔く素晴らしい。
最高です。最高。

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雑記

あのー、なんか獲りました。


今まででも怪談で飲み代がディスカウントされるとか本が貰えるとかそんな事はあったんですが、今回アマゾンギフト券ということでかなり現金に近いですよ。ほぼほぼ、金、と言っていいのではないでしょうか。自分の怪談が初めて金になった。って思ってそれはかなり嬉しいっす。


それで何を書こうと思ったかっていうと、この前配信でとあるアニソンを買おうと思ってひさびさにitunesを立ち上げたんですね。
とあるアニソンっていうか、"閃きハートビート" (『上野さんは不器用』)なのですが…。
まぁとにかく、そうしたら昨年はアニソン買ってなかったなぁ~って思って、するとみるみるうちに曲がカートに入っていったんですね。
入っていったっていう言い方は語弊があって、自分で突っ込んでいったのですが。
それで、いろいろ聴いてたんですけど、改めて聴くといい曲多かったな~って思い、また最近ポップスについて語るのが好きだというのもあって、昨年特に良かった5曲について書いてみようと。
いつも何でこんなに冗長な前置きが出来るんだろう?校長先生か?って自分が心配になります。


"曲名" (『楽曲が使用された作品名』) という記述方式に統一しています。
ジャンル的に、コンポーザーひいてはアレンジャーのウェイトってどんどん大きくなってて、自分的にはアーティスト名で語るものでもなくなってるというのがあり、でも延々クレジットを書くのも柄ではないので、スパッとシンプルに。
ランキング形式でお送りします。

5."New Stranger" (『ハイスコアガール』)
TVでこのイントロが流れた時の衝撃ったらなくて。
Tera Melosかよ?っていう。
ハイスイノナサ・照井順政氏お得意の偏執的なキメとリズム構築、そこにアニメの題材であるレトロゲーム的なサウンドを組み合わせたつくり。
氏が作詞も手掛けているけど、これもゲームネタの言葉遊びに終始しない一歩引いたノスタルジーみたいなものがよく作品とマッチしている。
サビの三連で雪崩れるような旋律が強烈なインパクト。


4."オトモダチフィルム" (『多田くんは恋をしない』)
エンディングテーマがサンボマスターの"ラブソング"のカバーで、最高ぉ~~~ってなったけど、カバー曲なのでここでは取り上げないことにして。
オーイシさんの自分名義の曲はブラックミュージックのエッセンスがうまく消化されてるところが面白い。
一番顕著なのは"君じゃなきゃダメみたい"のカップリングの"純情可憐書店屋ガール"で、文化系きわまる内容に楽曲はバリバリのソウルというギャップがスゴかったけど。
そこで考えると、今回は仕掛けのない純粋なポップスで新鮮。
ただそれゆえにメロディの圧倒的な良さが際立ってる。
ここまで良かったら、文句ないなって。


3."言わないけどね。" (『高木さんはからかい上手』)
これ、エンディング曲が毎週変わるちょい懐かしいJポップカバーで、毎回悶絶しておったのですが。
このオープニングもスゲー良いっす。
ネオアコ風の見晴らしの良いポップスなのだが、スタッカートでストップ&ゴーを繰り返しながら進むリズムの飛び跳ねる感じが気持ち良い。
これもネオアコアレンジあるある的な感じはあるのだが、間奏部のギターソロ&アウトロで4ビートのベースラインのジャズ風アレンジとか。
やっぱベースを聴いちゃうってのがあって、ベースラインがリードするうねる疾走感でもう好きになっちゃうよねっていう。


2."Harvest Moon Night" (『ハクメイとミコチ』)
タイトルから想像する通りのブルーグラス/カントリー風のサウンドは同時期の作品の中でも類例がなく、目立っていた楽曲。
異様というわけではないけど、似たものがない、だけに「ある空気がつくられる」曲だよなって感じ。
エヴァン・コールによる劇伴も素晴らしく、音楽という面において昨年の作品の中でも頭ひとつ抜けていた印象の作品。
「音楽という面において」というか全部良くて、自分は昨年で一番好きな作品なのだけど。
この楽曲のつくる空気感は作品全体に浸透していて、それについて考えるときに「これが何の歌か」ってことが効いてくる。
つまり、アニソンにおいて非常に珍しい事に、酒を飲むことについての歌なんですねこれは。
歌詞検索して読んでみて欲しいんだけど、酒と肴の話しかしてないですから。
だからもう、このアニメ見るときは飲酒許可証、発行!wカシューッ!wみたいな感じだったもん毎週。
それって最高じゃない?


1."スパッと!スパイ&スパイス" (『RELEASE THE SPYCE』)
脳のゆるくなる萌えアニメかと思いきや、「スパイス」ちゅうのは「ハーブ」の言い換えであり、ありつつも、その過酷さをポップに乗りこなすような(つまり『まどマギ』的な騙し討ち的シリアスさはない)語り口、とくにアクションにおいて凝りに凝ったコンテが透けて見えるような映画的な画面作りと、質実剛健な内容だった作品。
このオープニングテーマは一聴するとオールドスクールなグループアニソンのテイストなんだけど、何やらアレンジが半端ない。
グリッサンドで抉り込むようなフレージングのエゲツないスラップで蠢くベースサウンドはバッキバキ。ドラムスはキックの譜割りがどうなってんのよという、凄まじいツインペダル捌き。各々にソロ的なパートすら聴かせるこの強力きわまりないリズムセクションが核になり、腰をひっ掴んで揺さぶるヘヴィメタル・ファンク。
ホーンセクションのコール&レスポンス的な動きも鋭い。
で、驚くのがこれ生バンドでやってるっていう。こういう曲調で、こんな異常なアレンジで、なにげに昨今のアニソンのヤバい部分を凝縮してる感がある。それがパッと聴きだとポップで萌えキュンなザ・アニソンだね~みたいに聴こえちゃうのもヤバさある。



って感じなんですけど~
あと"ふゆびより" (『ゆるキャン△』)とか良かったし、書かなかったけど2017年の『ボールルームにようこそ』の曲全部良くなかった?とか、"FULLSCRATCH LOVE" (『フレームアームズ・ガール』)ってほぼアット・ザ・ドライヴインだったよね?とか、『月がきれい』の挿入歌カバー曲シリーズが完全に30代のおっさんを殺すチョイスでどうしたって良かったとか、とはいえ最強の名曲は『怪獣娘』の"KAIJUハート"だったねとか、いろいろあります。
いろいろありますが、ここまで。

"無限宇宙を駆ける侵略者のフリをしても
君の気は引けない
こっち向いてよ"
     "KAIJUハート" (『怪獣娘~ウルトラ擬人化計画~』)

2018年ベスト等







えと、上の写真の通りで、先月バンジージャンプしてきました笑
もともと一生で一度は飛んでみたいなあみたいなのをぼんやり思っていて、一度なら一番高いとこ行くよなあと思い「バンジー 日本一」で調べてみたらいけなくもない距離で。
自分の住んでる松戸から電車とバスを乗り継いで3時間程行くと茨城の竜神峡というところに着くのですが、これの上に橋が架かっていて。その橋が吊橋としては国内最大クラスのもので、その上から飛べるようになっているという感じ。
高さもこれまた国内のバンジージャンプスポットでは最も高く落差100mとなっています。落ちるのは時間にして4秒くらい。
一度飛ぶのに諸々込みで16000円ほどかかるのでこういう事に価値を見出さない人はやる必要ないと思うけど、まあ自分はやって良かったかなと思っています。やっぱたまには自分に対してオマエなかなかやるなー!って思いたい。

二十歳くらいのときに静岡でシーカヤックをやって、そこは巨岩奇岩だらけの海岸なんだけど、ちょっと上から見渡すと高さ6,7mはあるなっていう岩がドカンと転がっているのが見える。インストラクターの人に「あれはいつくらいからああなってるんですか?」と訊くと、「9年前ですね」という。「結構景観はコロコロ変わりますね」と。何かこう数百年みたいなスケールを想像してたんで面食らう。
カヤックで海に出て、崖の壁面に空いた巨大な裂け目のような洞窟に入っていって、さっきの話を思い出す。てことは、ここも極端な話いま崩れてもおかしくないわけだよなあ、と。
こういう場に身を置いてみると、偶有性って言葉の意味は直観的に分かって。この瞬間に生きてるってことは無数の条件が絡んだ途方もない奇跡ではある、と同時にそれは気まぐれのようなものでもあって、大した意味とかはない。
そのときのことを、バンジージャンプしてから思い出してて。よく言うやつだけど「生の実感」てそういうことなんじゃないですか。
自分のいる場所が分かるっていうか。世界って思ったよりこわくないんだなって思う。



ここまでは雑記なので、続いて例年通り2018年のベストについて書いていきます。
なーんか今音楽について書き終えて記事分けた方がいいんかな?って一瞬思ったんですが(映画なんか絶対クソ長くなるし)
自分の中ではそれぞれの分野ってそんなに分離してないんで、そういう棲み分けもなんか違うなと思い
いつもの一斉に書く感じのスタイルでいきます
そんな感じで最初は音楽からです、続きでどうぞ

ボーダーライン ソルジャーズ・デイ、ア・ゴースト・ストーリー、イット・カムズ・アット・ナイト、へレディタリ― 継承、ディザスター・アーティスト

今日は新作オンリーで
ただ一作事情があって劇場ではなく配信になっています

『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』
デイ・オブ・ザ・ソルダードって原題クッソカッコ良くないっすか。
これ、前作がメチャ良かったゆえに監督交代がどう作用するか心配だったけど、杞憂。
素晴らしいっす。
監督のステファノ・ソッリマはイタリア出身で、かの国と言えばのマフィア映画で頭角を現した人らしい。
なるほどという感じなんだよね、暴力を扱う手つきが。
物語を聞く構えで行ったらいきなり銃床でぶん殴られるような導入部から、もうそれ。
引きの画なら引きの画のまま、カットも割らずに、前触れもなく突如として破壊的な暴力が到来する。
ハネケとかあの辺にあるような客観的なカメラ・演出+超暴力。
ストーリーも、最悪の暴力には最悪の暴力で対抗するという構図。
そこに脚本は続投のテイラー・シェリダンならではの、境界において世界から遺棄された人々の話と。
そしてラスト。
「羊を追い立てる牧羊犬」に対してアレハンドロはこう聞くわけ。
「狼になりたいのか」と。
そして故ヨハン・ヨハンソンによるメインテーマ…。
前作とガチっと重なるような。
これは理想の続編のありかたと言えるような作品かと。


『ア・ゴースト・ストーリー』
死んだ男がオバケになって奥さんをずっと見守っているって話。
なんだけど、独特なトリックを用いて斬新なストーリーテリングを行っている。
それはつまり、終わりが無い存在にとって時間というのはどう認識されるのだろうか、という問い。
その時間の中で、ある思い出だけが、自分を世界に繋ぎとめているとしたらどうだろう?
さらにその変容した時間のあり方を描くにあたっては、独自の映画文法を導入している。
映画って基本的には横方向に時間が動いていくもので、それはシネスコという形態からの要請であると考えたとき、その時間を断ち切るためにまずどこに手を入れるか。
というわけで、この映画は全編が角を切り取られた独特の正方形スクリーンで進む。
そして、移動は基本的に横方向でなく手前奥方向に行われる。
映画で登場人物が奥手前に動くときって、位置の移動というよりは、意識、意志の動きを現してる場合が多い。
それに加え、随所で登場する超長回し。
これも映画的時間、空間的時間から内的時間、心的時間にフォーカスする手法。
なんかこれは、ゴースト・ストーリーというタイトルではあるんだけど、勿論ラブ・ストーリーだし、更にはシネマ・ストーリーでもあるだろうと思ったんだよね。
この映画の中で描かれていることは、まさに映画を観るということに似ている。
同じ映画を繰り返し見て泣くことは、偽物の感情なんだろうか。複製できる体験は。何度もやってくる思い出は。
悲しみは時だけが癒すって、時間の外側(それは果てしなく自分の内側だということだ)からそのことをどう思えばいいんだろうか。


『イット・カムズ・アット・ナイト』
森の奥に何かがいて、それは死の病を伴って来る。
だから日が暮れたら、絶対にドアを開けちゃいけないよ。
という話。
近年の「恐怖の対象が名指しできなくなったホラー」ということについて、何度も何度もしつこく語ってると思うんだけど、ペニーワイズじゃない、この「イット(それ)」は、まさにそれそのものだ。
先に書いてしまうと、この物語はある種の「ゴドー」で。ゴドー形式の映画ってそろそろ一冊のムービーガイドになりそうなくらい増えてきたけど。
「それ」はただ、生い茂る森の木々の奥、あるいは真っ暗闇の向こう側としてだけ描写されている。
その描き方が表現するものって何かな?と考えたとき、私事であれだけど、沖縄のガマを見学したときのことを思い出したのね。
ガマは天然の洞窟を使っていて、中には灯りはない。開けた場所に出たとき、案内の人がふいに懐中電灯を消すわけ。
「これが本物の暗闇ですよ」。
するとどうなるかっていうと、不思議なことに、目が閉じてるのか開いてるのか分からなくなる。
自分の肉体で、自分で制御しているのに。その制御って、確かなのか?と。
次に、自分の体の内側と外側の境目が分からなくなる。
世界が内面に侵入してくるし、内面が世界に溶け出していくような。
身体感覚ってそんだけ曖昧だよということでもあるけど。まぁ普通に生きてて完全な暗闇ってのを体験できる場面はないんで。
映画の話に戻ると、森は、暗闇は、劇場は、その中のスクリーンは、映画は、ホラーは、たぶん世界に内面を投影するということのメタファーだったり、現れだったりするのではないかな。


『へレディタリー 継承』
これ、メッチャ褒められてるじゃん。
「現代ホラーの頂点」とかいって。
だからもうバカにしてやろうと思って。「全然怖くなかったですね」って。
すんません。スゲー怖かったです。それ以上に、最高に面白かったです。
設定とか話の運びはまさに王道のホラーといったところ。新鮮味はとくにない。
冒頭のある印象的なカットの引用元を考えると、「この映画はこういう過去の遺産をフル活用していきますよ」という宣言でもあるのだろうな。
それでまぁ起こることも「そうなるな」てな感じなんだけど、事態の捉え方、解釈、それを画面に演出として還元するということにおいて、この映画の感性は圧倒的。すべてを恐怖に奉仕させるということに、迷いなく振り切っている。ある流れの中で、絶対に描かれて欲しくない事へと、躊躇なくカメラを向けていく。事態への登場人物の反応も実にリアルだけど、ゆえに盲点みたいなところを突いてくる。だからこそ恐怖が伝わる。
凄まじいと思うのは、ケチのつけどころがない映画だということ。
ホラーって、何か瑕疵があっても一点突き抜けていることによって傑作足り得ている、みたいな作品を多く持つジャンルで。
ただ、模範解答的な、間違いがないということによって満点になっている作品ってそうない。で、これがそれ。
ゆえに、スレたホラーオタクじゃなくただ怖いものが見たいだけの普通の人にたくさん見て欲しいなって思った。
ホラーのイメージ変わる。
あと言及したいのが音楽。
なんと、当ブログでも何度か取り上げているコリン・ステットソンが担当している。
非常にマッチしているし、バス・サックスの圧倒的な低音が座席を揺らして映画内の震動を観客にまで伝えてくるような箇所もあり、素晴らしい。


『ディザスター・アーティスト』
これは配信のみのためアマゾンビデオで鑑賞。
本国アメリカではかなりの高評価を得た作品なのだが、なぜ配信スルーかというと、恐らくふたつほど理由がある。
ひとつは、本作はこちらも日本未公開の『The Room』という03年の映画にまつわる実話ベースの物語であること。二本セットで公開するとなるとかなりハードルが上がってくる。
もうひとつは、監督・製作・主演を兼任したジェームズ・フランコが、丁度この映画が波に乗ったところで(近年の流れの中の)セクハラ騒動でケチがついてしまったこと。
さて、映画の内容は上にも書いた『The Room』をつくった二人の男の話。監督・脚本・製作総指揮・主演を務めた謎のおっさんトミー。ひょんなことから彼と深く関わることになった俳優志望のグレッグ。肝心の映画の内容はというと、これが酷い演技・支離滅裂な脚本・寒すぎる演出で初週末の興収1800ドルを叩き出すポンコツっぷり。ところがそのダメさが逆に愛されてカルト化、今でも上映が続いているというもの。
この『ディザスター・アーティスト』という映画の面白さの核は、映画自体が『The Room』に重なるようなつくりをしているという構造じゃないかな。
つまり、上に書いたのを見れば分かる通り、フランコのトミーのコピーっぷりは映画製作手法それ自体にまで及んでいる。中央集権ワンマン体制。出演している役者を見てみれば、セス・ローゲンやザック・エフロンといった友達ばかり(しかも苦笑いで何でも付き合ってくれそうな「絶対イイ奴」って感じの人ばっかだ)。
こういう想像をする。
フランコは本当にトミーのことを好きだったんじゃないか。(笑)抜きで。もしかしたらトミーになりたかったのかもしれない。
だって映画を作るって簡単なことじゃない、どころか、狂気の沙汰みたいなところがある…ってこれもまた二本の映画の間に重ね合わせにされた問いだ。
エキセントリックな「お騒がせ役者」としても知られるフランコだから、その孤独がトミーの姿に重なる。
映画のクライマックス、プレミア上映のシーンでそのことを一層強く思う。
客席に笑いの飛び交うのに耐えられなくなり、席を立ち劇場を出ていくトミー。追いかけてきたグレッグがこう声をかける。
「ヒッチコックはウケたか?」
それでトミーは席に戻っていく。
欲しかったのはこれじゃない、それでも今愛されてる、ほろ苦い多幸感…とても表現したくなる味わいはちょっと他にない。






そういえば今日取り上げた映画、最初の一本除く4本がA24という配給会社の映画で。
ここ凄まじくて、他にもグッド・タイムとかフロリダ・プロジェクトとか、大当たりを連発している。
注目しておくと良い映画が見られるかも。

ヴェノム、マンディ 地獄のロード・ウォリアー、ボヘミアン・ラプソディ、シャドー・オブ・ナイト、イップ・マン 継承、家に帰ると妻が死んだふりをしています。、REVENGE リベンジ、沈黙 サイレンス



なんかもらいました


『ヴェノム』
マーヴェル限らず、今年のアメコミ映画の中で一番好き。
いろいろ理由はあるけど、やっぱりシリーズ、ユニバース的なくびきから自由っていうのがひとつ。自分は全部追うタイプの熱心なファンではないので。やっぱ単体の作品としてどうかっていうのが大事。
ロケーションを活かしていること。サンフランシスコといえば大きな坂が走る美しい街並みで、これを存分に活かした本作は実に「映画らしい」ルックを作り出せている。これって近年のアメコミ大作の中では貴重なことと思える。
役者に必然性がある=役者の映画になっていること。『デッドプール2』ではレイノルズの実人生をきわどく反映した物語が独特な味わいになっていた。本作のトム・ハーディは狂気を演じさせるならこの人、的なところがあって、それだけに特にメインストリームで万能に使えるとは言い難い部分もある人。それがこのイキイキとした演技はどうだろう。水を得た魚、っていうか。極端な二面が一瞬で入れ替わること、正気と狂気のグラデーション、見事としか。それからこれは本作のテーマにも繋がるけど、「シンビオートの適正」なるものが何なのか考えると、それはあらかじめ内面にシンビオートを抱えていること、矛盾した二極に引き裂かれていること、と言えるんじゃないか。この辺は敵役のやろうとしてる事というのを考えるとはっきり分かるけど。そういう意味で、トムハの中にはシンビオートがいるし、なんなら実際に一人二役でそれを演じている。
物語のスケールが小さいこと。ロケーションの話を繰り返すようだけど、本作はひとつの街についての物語でもあると思ってて。それは一番最初のスパイダーマンがやってたところにまで戻ってる。街レベルの世界と、個人の内面。そういう物語が好きだ。
最後に、一番大切なこと。これはネタバレしないように詳細は書けないけど…、最後の戦いの直前、スペースシャトルの発射台を遠目に眺めながら、ヴェノムがある告白をする。何でもなく流しそうになる、さりげない一言。それがどうしようもなく泣けた。あ、そういうことか、だからこの映画って何か愛おしいんだ、って。『かいじゅうたちのいるところ』で「おれの味方はいつもおれだけ」ってセリフあって、それ見た瞬間あり得ない位滝の涙になったんですけど、それ思い出して。今回のセリフは全然違う内容なんだけど、まあその類の深いところで琴線に触れてくるセリフだったなと。


『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』


斧持ってきた

これは正にカルト映画として生まれた、ような、歪な作品。生まれた時からカルト化してるって表現的にはおかしいんだけど。
妻を焼き殺されたニコラス・ケイジがカルト集団&化け物と化したバイカー軍団に皆殺しの復讐。この感じでケイジだと近年なら『ヴェンジェンス』とかシリアスなムードを想像するけど、この映画はちょっと違う。上に貼った写真、これを自前で作って振り回すという…なんか、え?って感じだけど。このデザイン、メタルバンドのロゴに由来してるとかで、奥さんも終始いろんなメタルバンドのTシャツ着てたり。表現的にも急にアニメ化したりとか。
もうそのケイジ主演でそんなモンドな、アングラ~なノリってのが分かるような分からないような感じで。
ただ、一番スゴイのが、音楽がヨハン・ヨハンソン&スティーブン・オマリー。
重厚なドローンアンビエントとグラッグラに煮込んだドゥームドローン。
何かもう、何見せられてるんだろうって気分になる。
映像は超サイケデリックな色調でトリップ。
ブリーフ一丁で咆哮するケイジ。
ドローン。
ちょっとこう、ここまでのはなかなか見られないな、って感じの内容だったな。
ヨハン・ヨハンソンに捧ぐって最後に出るけど、こんなメタルノリの人にもリスペクトされてたんだ~っての思うとそこも面白かったり。


『ボヘミアン・ラプソディ』
今一番の話題作なのかな?
新宿TOHOのドルビーアトモスで鑑賞。
正直なところクイーンというバンドには全然興味がなかったんだけど、それでも本作はメチャクチャ楽しめた。
正攻法で直球でゴージャスなエンターテインメント。
『グレイテスト・ショーマン』とか『ラ・ラ・ランド』にも通ずるような、「映画、最高かよ…」ってなる一本。
それでバンドものとしてバッチリ来る感じがまたポイント高い。
曲作りの過程を描くシーンが沢山あるんだけど、こういうアイディアを提示して、このパートから始まって、この音が乗っかって…って。音の構造が理解できることが、ライヴシーンの音響的な楽しさを底上げする。
ストーリーラインも、天狗になっちゃって一度は大切なものを全部失ったフレディが「やっぱオレにはバンドがなきゃダメだわ」つって帰って来る、って話で。そこでバンドのみんながメッチャいい奴ってのも爽やかに効いてくるポイント。
最後のライヴシーンに向けて溜めて溜めて、解放!って構成は音楽映画の王道中の王道だけど、そこに至るまでの映像表現には工夫が凝らされてて。アメリカツアーの箇所なんかかなり驚きの見せ方をしてくる。
で、ラストシーン。歌われる楽曲の歌詞が、悉くそれまでに語られてきた物語を反映してる。だからこそ表面のスゴさだけじゃなく中まで沁みてくる…感情と同期した、ミュージカル的なエモさがあって。そういうクライマックスでの感動の種をさり気なく蒔いてきてた語り口のうまさにも唸らされる。
これはもうね、"ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ"っていう言葉に集約されてる感。
つまり、この映画を観た俺たち全員が優勝したんですよ。


こっから旧作
ネトフリとアマゾンビデオで鑑賞

『シャドー・オブ・ナイト』
これは旧作じゃなく新作のネトフリ映画になるのかな。
『ザ・レイド』『ヘッドショット』でお馴染みのモー・ブラザーズが手掛けたアクション。
上の二作どちらの血も入ってるけど、どっちかというと『ヘッドショット』の方向性をより発展させたものに見えた。
やたらとアクの強い殺し屋たちが繰り広げる残虐無残格闘絵巻。
主人公は『レイド』のヒゲのSWAT隊長で、イコ・ウワイスも出てるしでこれまでの作品のファンならそれだけで必見の感じはある。
超絶格闘も、それに付随する過激な人体破壊もバキバキで見応えあり。
物語にはジョン・ウーや北野武へのリスペクトを感じさせるようなところがあって、破滅の美というか、アウトロー映画としての旨味もたっぷり。


『イップ・マン 継承』
これは、語彙が死んだ。凄くて。
ここでのドニー・イェンの拳は、喩えるなら詩の域に達してるなと思ってて。
交し合う拳だけで感情やドラマを語り得るまでのところに行ってる。
殴り合いが劇中の大半を占めるカンフー映画ではあるけど、美しいと思った。


『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』
家に帰ると妻が必ず死んだふりをしているという話。
『ママは日本に嫁に行っちゃダメと言うけれど。』という映画について以前書いたけど、この手の映画で良くなる条件のひとつって、映像にせよ音楽にせよ、語りすぎないこと、見せすぎないこと、余白を残しておくことかなって思っている。
宛て先を広くとるほど難しくなるそれを、こなせていること。
何かそれが出来ていて、かつ軽く流せるだけじゃない適度な重み苦みがあって、それで甘さが生きているみたいな作品、そういうのがたまにある。
だったらこういう映画をオレはたまには見ていきたいなと思った…という話。


『REVENGE リベンジ』
タイトル通りの王道レイプ・リベンジ。
ところがどうしてこれが完成度高い。
レフンっぽい超ビビッドな色彩感覚、手持ちカメラの長回しで演出する荒削りなサスペンス、血糊量もハンパないウルトラバイオレンス。いかにもミッドナイトマッドネスらしい、クリシェへの愛情とそれを更新しようとする前のめりなエネルギーがせめぎあう素敵な作品。
そんでなんと若い女性監督の作品と。
いや女性だからどうとか言うつもりは当然ないけど、ただこのジャンルってやっぱ男の監督ばっか作ってるのもおかしいっていうか、それこそ一種の暴力構造の温存じゃん、みたいなこと思わないでもないし、だから痛快とも感じた。
むせ返るような熱量とエネルギーを浴びてるだけでも楽しめる作品だけど、『RAW 少女のめざめ』あたりからの思春期ガールホラーの流れの中に位置づけても面白いんじゃないかと思った一作。


『沈黙 サイレンス』
マーティン・スコセッシ監督作。
自分の中で最近のだと『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の印象が強かったのでギャップに驚いた。
たださすがスコセッシ。完成度メチャ高い。
日本人が洋画とか海外の物語を受け取るときに、一番理解しづらいのが信仰にかかわる部分だと思っている。
その意味で、この映画を観ていると「信仰」にまつわる感情が流れ込んでくる、感情として理解できるってのが凄い所。
教科書的な記述じゃ分からないディティールを感情に訴える形で描き込むことで、その史実なり歴史上のイベントなりが、自分の中で立体感を持って立ち上がって来る。
やっぱこういう歴史映画って、それだよな、って思う。
踏み絵って、今を生きる我々からすると、本当によく分からないもののひとつなんだけど。何の葛藤があるの?踏めばいいじゃん、って。
そういうものがまさに感情のレベルで理解できる、しかも海外の話でもなくかつての日本人たちの話、っていう。こういう形での信仰ってかつてここにあったんだ、ってことに、なにか気が遠くなるような。
映画的な表現の部分で驚いたのが、音響。
ほぼ劇伴使ってないけど、代わりに環境音をかなりダイナミックに活用してる。オープニングからそうだけど、ザワザワザワと遠くからやって来ていつの間に周囲を取り囲んだり、密度の濃淡が次々変化していったり、波音や鈴虫の声のような特定の音が特定の意味を担って強調されてきたり。
構築型のフィールドレコーディング作品のような。
作品タイトルにある通りの沈黙、無音も存分に活用される。
これはヘッドホンで聴いてて何度も驚いたし、演出の手段としてこう来るかと唸らされた。

 

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伊達さん

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恐怖と雑音と
カワイイだけがオレの信仰
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