Mats Gustafsson & Joachim Nordwall 『A Map of Guilt』 Kasper T. Toeplitz & Julien Ottavi 『Blast of Silence』 Marco Fusinato 『Spectral Arrows: Venice』

えーとまずこの前即興ロックバンドOtaku Young Teamセッションしました。

ふだんサイゼリヤで活動しています


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


bandcamp見てもらうと分かる通り、ほぼグレー~ブラックのダーク系で統一されたアートワーク、出しているものも暗黒ノイズと統一感のあるラインナップが印象的なレーベル、ポーランドのBocian。
かなり好きなのだが今回また3つほど買ったので書く。


Mats Gustafsson & Joachim Nordwall 『A Map of Guilt』

お馴染みのバリトンサックス奏者(ここではオルガンもやっている)Mats Gustafsson マッツ・グスタフソンと自身のレーベルIdealでも暗黒エレクトロニクスを展開するJoachim Nordwall ヨアキム・ノルドウォールの共作。
6曲入りで2分から19分まで曲のサイズには幅がある。
が、カラーは一貫している。
ノルドウォールの色がより濃く出たような、ミニマルで荒涼殺伐とした夜の砂漠のようなドローン~ノイズをやっている。
フリーフォームなサックスのフリージャズ的要素、一定のパルスが生むテクノ的要素というのも時折前に出てくるけど、音のテンションが上がるようなことはない。
低域で蠕動するように鳴り続けるノイズが全体のムードを決めている。
やはり聴きものは19分のタイトル曲かな。不安を煽るような強迫的なビートと揺らぐオルガンの持続音がズブズブと流れ続けてなかなか落ち込んでくる曲。
セッションというにはきわめてコンセプチュアルに作られているのを感じる盤で、これぞBocianって感じでもあり。


Kasper T. Toeplitz & Julien Ottavi 『Blast of Silence』

うちでは何度も取り上げているベーシストKasper T. Toeplitz カスパー・トープリッツ。
自作の特殊ベースギターをこれまた自作の特殊なソフトに通して圧巻のノイズドローンを生成する唯一無二のベーシスト。
Julien Ottavi ジュリアン・オッタヴィははじめて音源買ったかも。普段はエレクトロニクスメインのようだがここではシンバルとボイスをそこに通して使用しているようだ。
20分×2の潔い構成だが音もやりたいことがとてもはっきりしている。
真っ黒の超重圧ノイズドローン。
無数の楽器が折り重なっているような案外複雑な響きと単純な音の重量にやられる。
たまにホワイトハウスばりのブチキレアジテーションボイスが投下されるような展開もあり。
流れとしてはゆったりしていて過剰にいろいろ詰め込んでいるような感じはないのだが、こうして聴くとやっぱト―プリッツの音って情報量多いなあと。
曲名が"Quelques éclats d'un effondrement soudain / Odblaski nagłego upadku"とかとんでもなく長いのだが、字面見ながら音聴いてると「なんかわかる…」ってなるな。


Marco Fusinato 『Spectral Arrows: Venice』

オーストラリアのギタリストMarco Fusinato マルコ・フシナトはわりと気の狂った音楽家で、ギターを自作のエレクトロニクスに通してギターの面影が欠片もない津波のようなノイズ嵐を生む。
近年はこのスペクトラル・アロウズと題されたパフォーマンスを各地で行っており、これはそのヴェニスでのものから抜粋された音源。
で、このスペクトラル・アロウズ、何かと言えば、ギターを8時間弾き続ける、これだ。
そんでもって音がコレよ。ほぼキ×ガイである。
聴いててもうホントギターの要素全くないぶっ壊れたノイズなのだが、困ってしまうのはこれがドエラくかっこいいことかな。
Sunn O)))的ドローンドゥームが下地に聴こえるような箇所もありつつ、その上にもとにかく気の狂った量のノイズをラーメン二郎ばりに盛り付けていく。これがまたとんでもない高密度で展開しており、単調さの全然ない気持ちいい音なのだ。合間にフッと訪れる静寂もナイス。
実は今回はこれ目当てで買ったのだけど、やっぱ相変わらず同じことやってるし相変わらずクソカッコいいなあ…とホッコリしてしまった。
現行の作家の中でもエレクトリックギターの限界に挑んでいる人の一人という気がする。
これの前の作品も強烈な女性器ジャケでこのレーベルから出しているが、そっちもおすすめ。





スポンサーサイト

te_ri 『kasugai low gravity』 Meysson/Loubatière Duo 『Sédition』

今更ワン公などで泣かされるものかよ…と思いながら『僕のワンダフル・ライフ』観に行って、まんまと劇場で嗚咽。
生まれ変わる犬の50年史であると同時に、アメリカの、アメリカ人の50年史でもあるということが泣きの罠というか。
やっぱね、美しいアメリカをフィルムに焼き付けるということは、映画がずっとやってきたことのひとつではあるんですよ。

韓国傑作ゾンビ映画『新感染』前日譚アニメ映画の『ソウル・ステーション/パンデミック』も素晴らしく。
誰も手を差し伸べない底辺と壊れた社会の姿が苛烈に描かれており、クライマックスの強烈なツイストでやって来る胸が潰れるような絶望に打ちのめされる。

旧作ではネトフリで観た『そして父になる』、傑作でしたね~
『三度目の殺人』もなのですが、是枝監督は福山雅治の良さ、というか、言っちゃえば福山をかっこ悪く、ある種ダメに描くことを通して、その役者としての良さというのを深いところから掬い上げることができているなという感じ。


あとエフェクター買った
voyager I
spaceman effects voyager I
ここ最近はトレモロの別の使い方みたいなのをいろいろ試しているのですが結構楽しい

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


ギター/ドラムデュオ二本立て
ロックンロールの最小単位として…まあいろいろ例外はあるにせよ…このかたちを最初に想像する


te_ri 『kasugai low gravity』
DIUeXy1VAAA9GvI.jpg
kasugai low gravity
バンドキャンプもあるでよ


te_riは前作『far east debug』についてだいぶ前に書いたけど、ギターとドラムのデュオバンドで、ものすごく雑にくくるならマスロックということになるのかな?
雑に、って言ったけど、この人達の作曲は発想の最初の時点で通常のそれとは全く異なっている。
インタビューで親切なことに譜面とか使って解説してくれているけど、単純化すると、譜面作成ソフトに無理な入力をして吐き出させた、言ってみれば壊れた譜面をあえて演奏してみる、ということ。
そうして作られた音楽は…これを何と表現すればいいのだろう?
予知能力者の即興演奏というものをイメージしてみる。語義矛盾のようだけど。
フリーインプロ然とした、混沌のように感じられる瞬間がつらなっているのだが、ポイントポイントで不思議に辻褄が合っていく。先に何が起こるのかがところどころ分かっているような。
あるいはその方法論から単純に、エラー・ロックという言い方をしてみる。
間違いや失敗というものが別の面白さにすり替わるということはアート表現ではよくあるけど、それがハプニングとしてでなく最初から織り込まれているというのは、これまた語義矛盾的な奇妙なところがある。

しかしここまでムチャクチャやっておいて、表面の音の響きとしては甘く柔らかいようなアンサンブルというのがまた面白いよな。
もちろんそうしてなんとなく聴くのを許さないようなエッジがそこかしこに立っている、集中して聴き始めれば刺激的この上ない音楽なのだけど。
前作よりも客観的な?二人の演奏を客席から見ているような距離感の録音もクールで良いな。
全然別のジグソーパズルを混ぜてムリヤリ組み立てたようなラスト2曲が特にお気に入り。





Meysson/Loubatière Duo 『Sédition』

バンドキャンプのほかLPもありますぞ

フランスのレーベルDegeliteより出ていたギターとドラムのフランス人デュオ。
面構えが素晴らしすぎますがいきなり出てきた感のあるこのCyril Meysson シリル・メイソンというギタリスト、音源聴いて一発で魅了された。
ソロ音源でドローンなども作っているようだけど、今回のデュオ作品から感じられるのはシンプルなひとつのルーツだ。
映像見たらジャズマスを振り回していてやっぱりなぁと思ったのだが、ソニック・ユースや即興やっているときのサーストン・ムーアを即座に想起させるザクザクで時に甘く痺れるようなオルタナノイズギター。
この手の前衛系ギタリストとしては珍しいくらい、ジャズのにおいがしないように感じる。
そう感じさせるもうひとつの要素。
これはドラムのRodolphe Loubatière ロドルフ・ルバティエが強く引っ張っている感じもするのだが、ムードを醸成するようなランダムな散り散りのノイズから徐々に締め上げて強烈に弾けさす展開、最早ソニックユースのアウトロという感じの長く長く引きずるフィードバックノイズ、こうした明快な…ロック・ソングのような…ストーリーを語りおろす。
どのテイクも18分半の明確なストーリーがあって、かなり計画的にやっているのだろうという感じがする。

わっと盛り上がる箇所でも単に弾き/叩きまくるというよりは音の広がりを演出するような。空間系エフェクトでシューゲイザー的に聴かせるなど。といっても根のところが鋭い感じの鋭角ギターという絶妙なバランス感覚は一貫してあるのだが。
特にBサイドのチタニウム・エクスポーズを綿菓子機で掻きまわしたような演奏が好きだ。
キャンディの瓶にダイナマイト花火を突っ込んで思いきし気持ち良くなっちゃおうぜそう一緒にさ……


どうですべらぼうにカッコいいでしょう



しかしここ数年で同編成でアート・リンゼイやビル・オーカット、サーストン・ムーアといった人々が一様にシンプルなノイズロック形式の即興演奏に取り組んでいて、タシ・ドルジみたいな新しい人も出てきて、というのがなにか即興演奏のプリミティヴがえりみたいな感じがして面白い状況だなと

Colin Stetson 『All This I Do For Glory』 Greg Fox 『The Gradual Progression』

ここ最近また休みの日ずっと映画館にいるんですけど、わりと面白い映画多すぎて嬉しい。
まず『新感染』、ゾンビ映画の勘所をキッチリ抑えつつ圧巻の見せ場を連打しつつドラマもおざなりにしない、ロケーションというかシチュエーションを徹底的に絞り込み凝縮するようなやり方でそれを達成しているというゾンビ映画のニュースタンダードの一本になりそうな傑作。
『ザ・ウォール』、カフカ的な状況から展開する戦場の悪夢的寓話で、ロドリゴ・コルテスのリミットのような、あるいはゲームのザ・ラインみたいな、ちょっと超現実的ですらあるような実話ベースソリッドシチュエーション戦争映画で異形ながら強烈な印象を残す作品だったなと。
『ダンケルク』、全編に渡って苛む地獄のような音響で、観終わったあとの感想が「生きて此岸に辿り着いた」というかつてない戦争映画だったな、『エイリアン・コヴェナント』、大体『君の名は。』だったな(「これってもしかして」「身体の内側から宇宙生物に」「「入れ替わってる!?」」)…とかですね。
ただ自分が一番ズンと来たのは『三度目の殺人』ですかね。
役所さんの顔のない怪物とでも言いたくなるような壮絶極まりない演技。なんと7度も繰り返される面会シーンでその度にまるで違う顔を見せていく。そこに引っ張られるように共演者もそれぞれ最高の仕事をしていて、特に福山雅治は今まで見た中でいちばん良かったな。光と影のによって喩えてみせるような撮影・画面づくりもいちいち正解!という感じであり、答えのない問いを投げかけてくる系の作品として相当残ってくるもののある作品だった。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


それでちょっと前にEx Eyeというバンドのアルバムについて書いたけど、その中心のふたりのソロアルバムがそれぞれ出ていたので買ってみた。
どちらも今年の焼きたてホヤホヤの作品。


DSC_0926.jpg

Colin Stetson 『All This I Do For Glory』

映像を見てもらえば分かる通りで、この人のやることは基本的にサックスソロだ。
あらゆる種類のサックスを用いて…特に巨大なバスサックスでの演奏が知られているが…循環呼吸を利用したきめの細かい反復演奏を行うという、一種のミニマル。
今回もオーバーダブもループも用いずライブ録音されているとはっきり表記されている。
その演奏はどこかテクノ的でもある。サックスの操作音でもってビートを作り出し、息の加減でノイズを滲ませたトーンはときに電子音のよう聴こえてくる。
ニュアンスの微妙な上昇下降、ふとしたブレイクに挟まれる叫びめいた音、ホーミーのように重なる持続音。
すべての要素が高いスキルで制御されていることがよく分かる。
"In The Clinches"でツェッペリン風の強靭なビートを聴かせたかと思えば"Spindrift"では弦楽隊のように聴こえたりと、曲によって全く別様の姿を見せもする。
ミニマルってストイックにひとつのことを極めた先にオープンな表現の世界が広がっているようなジャンルだったりして、それをこう正面から突き付けられれば、その強固な説得力の前に、参りました!となってしまう。


Greg Fox 『The Gradual Progression』

レーベルRVNGってのがなかなか面白いな。
この人もまたジャズ経由ミニマルタイプの表現者だけど、今回のアルバムではかなり様々な楽器の入ったアンサンブルライクな音を聴かせる。
その機材の中心になっているのは、今年の来日でも使用していたセンサリー・パーカッション。ドラムに装着して、叩く箇所やニュアンスによって割り当てられた音・エフェクトをトリガーするというものらしい。
アンビエントから様々な楽器の音、果ては合成音声まで、あらゆる音が鳴っており、そのベースとしてグレッグのドラミングがある。
基本的には執拗な反復のリズムがあるけれど、この人の場合はその展開力が半端じゃない。アクセントをずらし巧みに音に波を作り出し、ある大きなリズムを病的なまでに細かく割った上で音符の抜き差しをリアルタイムで仕掛けていく。
正直、一度二度聴いたのでは何が起きているのかまるで分からないドラミングだ。
僕はライヴで見たのでその様子を想像できるけど、にしてもあれは驚異としか言いようのないものだったな。
様々な構成要素がドラムの周囲に弾けまくるこの作品は刺激的でもちろん楽しいが、純然たるドラムの音のみのソロも聴いてみたい。
というか、この人の叩く音ならいくらでもいつまででも聴いていたい。
そう思わせる。
 

talibam! + Matt Nelson + Ron Stabinsky 『Hard Vibe』 Talibam! and Alan Wilkinson 『It Is Dangerous to Lean Out (E Pericoloso Sporgesrsi)』

このブログでも大昔に書いているんだけど、僕がフリージャズとかノイズとか聴き始めたときに好きで聴いてたバンドでTalibam!というニューヨークのデュオがいる。
ローファイなキーボードでミニマル&サイケデリックなフレーズを連発するMatt Mottel マット・モッテルとフリーフォームでパンキッシュなドラミングのKevin Shea ケヴィン・シーの二人で、10年以上活動を続けている。
7月にその片割れのマットが来日していて、六本木のスーパーデラックスでライヴをしていたのを見に行って。
Talibam!の初期の多分結構レアいCDRを持っていって話していたら


なぜか後日呼び出されて一緒にセッションするという面白すぎる事態になりました

わりと自分の人生の中でもトップクラスにクレイジーな出来事だったけど単純に楽しかったのでまあいいか


そんなTalibam!の最新音源二つ
DSC_0846.jpg
ってなんかいっぱい撮ってしまったけど青いカセットとその下のコラージュ調ジャケットのがそれです

『Hard Vibe』
bandcamp
ESP diskから出たLP(うちにあるのはライヴ会場で買ったCD版なんだけどfor promo use onlyと書いてある)。
サックス奏者Matt Nelson マット・ネルソンとオルガンのRon Stabinsky ロン・スタビンスキーとの四人編成での演奏。
サイドA/サイドBの二曲構成。各20分。
フュージョン風のリフを延々繰り返しながらサックスとオルガンが上で自由にソロを吹き(弾き)まくり、徐々に全体が変化していく。
マット・ネルソンのサックスの無限に湧き出すようなソロが凄まじい。途中からエフェクトも駆使して更なる別世界に突入。
両サイドとも同じリフを用いながら、即興で異なった展開に入っていくところが面白い。
こうしたミニマルベースの手法は今回見たライヴでもマット・モッテルの今取り組んでいるところなんだなぁと感じたので、それ踏まえて聴くと納得。

『It Is Dangerous to Lean Out (E Pericoloso Sporgesrsi)』
bandcamp
こちらは英国フリージャズ重鎮サックス奏者Alan Wilkinson アラン・ウィルキンソンとのトリオで2013年のライヴでの録音のカセット。Astral Spiritsというレーベルから。
この音源も同じく20分×2サイドの二曲構成と似たものだけど、内容は大分異なる。
ガッツリと聴かせるフリーフォームの即興演奏だ。
三者の演奏の卓越ぶりがよく分かる内容で、特にやはり即興をやらせるとケヴィン・シーというドラマーは他の誰にもできないドラムを叩く、モンスターだなあと。
普通なら即興であっても無意識に出てしまうようなビートや小節、タイム感覚を全く無視したドラムを叩ける稀有なドラマーだ。
演奏は全体に渡ってかなりゴリゴリの爆音仕様で、モッテルが用いているのであろうエフェクトを用いたノイズ展開もあり。
ウィルキンソンのサックスは例によって四六時中ビキビキのトーンで叫びまくっている。容赦なしだ。
これはもう自分のようなこの手のもの大好き人間には堪らない内容。


こうふたつ並べると全く違った内容だけど、シンプルな編成ゆえかどちらもしっかりとTalibam!の作品、という感じ。
僕の好きな音楽をやってくれるバンドだなと改めて思ったのだった。



 

Bill Orcutt 『Bill Orcutt』

今日は『パターソン』という映画を観た。
ジャームッシュの最新作。この人の映画を僕は結構好きなのだけど、なかなか不思議な人だと思っていて、アート的と言われるにしてはとてもポップだし、メジャーと言われるにしてはニッチな作風。ベテラン映画監督だけどパンクス。毎回まるで違うものを作ってくるのに、観終わってみればジャームッシュでしかあり得ないと思わせる。


物語の舞台は実在の町、ニュージャージーのパターソンで、この町でバス運転手をやっている主人公の男は名前をパターソンという。
なんとも妙な設定だけどそんなところは他にもあって、例えば映画冒頭の朝のシーンでパターソンの奥さんが「わたしたちに双子の子供がいる夢を見た」なんて言うのだが、それからバスの乗客として、あるいは町中で、パターソンはとにかく双子をよく見かける。
で、面白いのは、この映画ではそのことには何の意味もないというところだ。なにかそういう奇妙な状況に陥ったのは何故なのか?というサスペンス/ミステリーにでもなりそうなものだけど、そんなことは全くない。
というか、言ってしまうと、この映画はまさに"なにも起こらない"映画だ。その「なにも起こらない」ということの内実の豊かさを描いた映画、と言ってもいいかもしれない。

映画は綺麗に7分割されており、月曜から日曜までパターソンの一週間をほとんど均等に描いていく。
パターソンの日常は概ねパターン化されている。だいたい同じ時間に起きて、朝食を食べて職場に向かい、昼になれば町のシンボルの滝の見えるベンチで昼食を取りながらノートに詩などを書きつけて、妻と夕食を食べると犬の散歩に行き、バーに立ち寄ってビールを一杯だけ飲み、眠りに就く。
驚くのは、映画はこのプロセスを、等しく順繰りに毎日捉えていくということだ。
ところが、それによって…同じく捉えることによって、同じことの、まったく異なる側面が浮かび上がってくる。

バスを運転していると前の方に座る乗客の会話が聴こえるが、そこに座る人間も、会話も、毎日違うものだ。バーでは夜をつなぎ合わせるように、バラバラのようでいて実は前の夜の続きというような人々のやり取りに遭遇する。家に帰れば、とにかくいつも新しいことをしていたい妻が、ある時は部屋の壁をペンキで塗っており、ある時は奇抜な具材のパイを焼いており、ある時はギターを弾いている。
そんなことがそこかしこに存在している。
毎日同じように生きて、毎日違うものに遭遇する。
パターソンはそれを詩にして書き留めておく。
もちろんそれぞれの差異は、「映画」「物語」として捉えたら「何も起きてない」の範疇なのだけど、その「何も起きてない」ということにはほとんど無限の有り様があって、子細に観察してみれば、うたになるほど豊かだ。


ディティール。
ディティールということについて考える。
自分の好きなホラー映画とか、日常系(思えばこの言葉ほどこの映画に似合うものもない)な萌えアニメとかさ、あらすじレベルに…人にこういう話って説明するようなレベルに…単純化すると、全部同じ話じゃんってのが多々あるわけ。
ただジャンルにおけるこの手のものを味わう方法ってそれではないわけよ。
それは日常系ってことで言うなら、一見同じ、他愛もない、どこかで聴いた話の細部が…道端に咲いた花の品種とか、いつものメンバーでの意味のない会話の話題とか、日々に紛れこむちょっとした失敗とか、家に帰る道、いつもと一本外れた通りに入ってみるようなこと、そういう細部こそが、むしろ本質なわけ。
おそらくそのレベルで同じものを描いている作品というのは余りないし、この手の作品の作り手はそここそが肝要だと分かってもいるだろうし、その微妙な差異を楽しむという視座において、外野席からは同じにしか見えない物ものが、固有の豊かなそれぞれとして立ち上がってくる。
というか、あらゆるものはそうなのではないだろうか?
自分の好きなノイズミュージックとかドローンとかさ、多分興味ない人からしたらみんな同じに聴こえるんだろうなってのは分かるし。
逆に自分からしたら車って世界に50種類位しかあるように見えないし、せいぜい色が違うだけだろみたいな、あるいは野球やサッカーの選手も全員同じことしてるようにしか見えないわけよ。
好き、愛情を持っているということは、その間の微妙な差異を豊かなものとして楽しめるっていう意味なわけ。
それをパターソンになぞらえて言うのであれば、他人からしたら何もない、毎日変わらない他愛のない日々を、そういう区切りの繰り返す連続体としての人生、世界なるものを、愛情をもって生きてみれば、そこには同じことの毎日の微妙な差異、つまり愛すべき=そこにその瞬間にしかない・かけがえのないものとしての・性質が立ち上がってくるのかもしれない、ということ。


音楽はこれを強く思わせるものがある。
我々はなぜ同じ曲を幾度も…それどころか自分の手で…演奏したがるのだろう。
すでに熟達した演奏者の、優れた演奏が残っているんだから、もうその曲の演奏が世界に新しく生まれる必要はないんじゃないのか。
この問いが的外れで馬鹿げていることはもう直ちに分かるはずだ。ここまで書いてきた通りで、更に突き詰めていうなら、音楽が「良い」「悪い」ということと、演奏が「うまい」だとか「へた」だとかいう事は何も関連性がないということになる。
僕はよく、音楽はそこに含まれているノイズのほうが本質、みたいな言い方をしてしまうのだけれど、それはこのことだ。
楽譜の通りに置かれている音なんてのはどうでも良くて、その合間をつなぐ音の震えやかすれ、譜面に現せないジリジリという空気の音、アンプに挟まったノイズ、外れた音、ずれた音。意図せずに…しばしば間違いと言われる…そこに現れている音こそがその音楽の固有性、かけがえのなさを担保する。それは再現不可能だ。
Bill Orcutt ビル・オーカットの2017年作セルフタイトル、『Bill Orcutt』は、このギタリストがカバー集をやっている、というゆえに、音楽のそんな性質が究極的に表現されている。
ここで聴かれる演奏たちは、確かにそれぞれの曲であることには間違いないのだが、それと同時に"この演奏でしかありえない"、固有の、"ここで録音されたこのテイク以外には存在しないし、二度とやってこない"、唯一のものとして響いている。
それはオーカットが…いや、ここでもう一度こう言っておこうか…オーカットだけが辿り着いた地点だ。
だからこのアルバムのタイトルは『Bill Orcutt』なのだろう。
"When You Wish Upon A Star"、"Over The Rainbow"、"Star Spangled Banner"…。
そこら中にある曲たちのここにしかない演奏たち。
本物の傑作。


IMG_20170829_003818.jpg

Bill Orcutt









 

プロフィール

 

伊達さん

Author:伊達さん
恐怖と雑音と
カワイイだけがオレの信仰
about

拍手する

 

最新記事

 
 

カテゴリ

 
 

月別アーカイブ

 
 

検索フォーム

 

 

twitter

 

 

リンク

 
 

FC2カウンター

 

 

RSSリンクの表示

 
 

最新コメント

 
 

最新トラックバック