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ハナレグミ 『だれそかれそ』 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 『東京ブギウギ』


行こうぜ、森林限界の向こう側へ



てなわけでよく聴いているカバーアルバム二枚。
貼ったツイートにも書いてる通りで、きっかけは映画の『きみの鳥はうたえる』。
これとてもいい映画なのだが、作中でカラオケシーンがあって、石橋静河が"オリビアを聴きながら"をうたう。
これがスカ調の軽妙なアレンジで、ただその享楽的な感じとせつなさの交差するイメージが、妙に映画にハマっている。
更にはフェイクを派手に効かせた独特の節回し。とても気になって調べてみると、これがハナレグミのカバーアルバムに収録されているヴァージョンであると。
それで、聴いてみよう、となり、そしたらコレも一緒に欲しいな、と二枚一緒にカートに入れたというのが今回のチョイス。
カバーアルバムだけにアレンジのネタバレを抑えたく、特に気になった曲を三曲づつ取り上げるかたちで紹介したい。
あと、あらかじめ書いとくと、この二人(一人と一組?)のカバーアルバムを特徴づけていると思うのは、歌の感触をグッとパーソナルなものに引き寄せているということ。
普遍的ポップソングを個人的なものとして歌うこと。
いわゆる「うまい歌」とはまるで異なるその独特極まる歌唱が、これらのアルバムを特別なものにしているように感じた。


ハナレグミ 『だれそかれそ』
"Hello, My Friend"
言わずと知れたユーミンこと松任谷由実の大ヒット曲のカバーでアルバムは始まる。
まさにポップソング中のポップソング、普遍の中の普遍、といた曲であるけれど、この曲の成り立ちは特殊だ。
94年のシングルリリース時、カップリングになっていた"Good-bye friend"のほうが、実はこの曲のベースになっている。
ただこれは内容がタイアップにそぐわないということで、サビ以外が書き直され、それがこの"Hello, My Friend"という形。
その「そぐわない内容」って何だったかというと、これは松任谷夫妻と当時親交があり、(僕の世代なら皆憶えていると思うが)レース中の事故で亡くなったF1レーサー、アイルトン・セナに捧げられたというもの。
それを思うとき、この曲のタイトルと何とも乖離した歌詞の意味はよく分かる。
「もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて」。
「悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも / めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから」。
最もこれは実にユーミンらしいというか、そもそも初期の"ひこうき雲"あたりも秀逸なポップソングであると同時に反戦の歌でもあるわけで、そういう何か「フォークの残り香」みたいなものってこの当時のポップスの空気ではあったように思う。
と長々書いたところで、このカバー。
実におもしろい。
王道ポップスの豪勢なアレンジが施されたオリジナルと比較すると、あまりにも簡素で素朴なアコースティックカバー。
ギターのミスタッチも残る生々しさで、余計なリヴァーヴがないところは空間の狭さ(=距離の近さ)を感じさせ、歌声も全編、ポツポツと呟くように歌われている。
きわめてプライヴェートな録音に思える。
ただそれは、今まで書いてきた曲の成り立ちを知ると、ごく自然で、曲のひとつのあるべき姿としてのアレンジと分かるんじゃないか。

"オリビアを聴きながら"
そしてこれ。
バックを務めるのは東京スカパラダイスオーケストラ。
その意味では、アルバム中でもポップソングとしての完成度はとりわけ高いものと言える。
ただ、この節回し。
メロディーの大胆な崩しで全編生々しくうねる歌になっており、この辺、誰しも知る曲だからこその絶妙なアレンジ。
でもって、映画での石橋静河のカバーもこれの再現だったかと合点がいく。
しかしこうザ・バラードって感じの曲が、真逆の躍動感溢れるアレンジで。
そこで「ああ、やっぱいい曲だな」って思えるのが、曲としてどんだけよく出来てるかっていう。

"ラブリー"
これまた言わずと知れた名曲。
ただ、だからこそというか、やはりこの人がやるとアレンジで強烈なフックを加えてくる。
せーののスタジオセッション一発録りがそれ。
アカペラでギターと即興の掛け合いをしながら曲が始まる。
スタジオの空気がそのままパックされたようなホワイトノイズの豊かな手触り。
楽器陣が徐々に徐々に加わり、弾ける多幸感に満ちたメロディ。
ここでもハナレグミの歌唱は派手にうねるような節回しで、自由にメロディを繋いでいく。
それでふいにこんな歌詞が飛び込んでくる。
「いつか悲しみで胸がいっぱいでも / OH BABY LOVELY LOVELY 続いてくのさデイズ」。
最近、6年ぶりの新刊として三巻が出た『花と奥たん』読んでて、ちょうどこの歌を思い出してた。
やっぱこの曲も、ポップスという普遍性とパーソナルな悲しみのあわいに生まれた曲だったのだろう。





奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 『東京ブギウギ』
"THE TENNESSEE WALTZ"
バンド名の通りというか、このカバーアルバムではJポップのほかにジャズスタンダードやアメリカントラディショナルも取り上げられている。
その中でとりわけ印象深いのがこの曲。テネシー・ワルツ。
これもまた名曲として知られている曲だけど、その内容がおもしろい。
恋人とテネシー・ワルツで踊っていると友人が来たので、紹介したら、その友人に恋人をとられたという。
奇妙礼太郎の歌声は、つねに酔っぱらっているような独特の調子があって、これが良く作用している。
こういう歌はいわゆる「うまい歌」という感じで歌われるよりも、こういうトーンを加えられることで、「生きた歌」というか、本来そこに込められているエモーションを正確に伝えるようになる。
要するに、こういうカバーアルバムとか、いろんな人のものを聴いていて、うん?って思うのは、なんか「名曲だからうまく歌わなくちゃいけない」みたいな謎のやつがあって。
でも、そうじゃないじゃん。
名曲ってことは、最良の形ってのはもうすでにあって、それをなぞるって愚行であって。
それよりも、自分が思ったことを思ったふうに、なにか風呂場で口ずさむみたいに歌うことが、名曲をカバーするということの最良の形なんじゃないか。
少なくとも自分はそれが一番好きだな。

"赤いスイートピー"
1982年の松田聖子の歌唱がオリジナルで、日本のアイドルソングを代表する一曲。
つまりこれもまたポップス・オブ・ポップス、王道中の王道ポップソング。
ただ、自分に関して言えば、このヴァージョンを聴いた時に初めて、あ、いい曲だな、いやいや、メチャクチャいい曲だなこれ、って思ったのだ。
思ったってか、泣いたのだ。
アルバム中でも目立ってそうだと思うのだけど、この曲での奇妙の歌唱は酔っぱらったオヤジそのもの…とまで言うと失礼だけど、何というか、「めちゃくちゃ歌のうまいオッサンがガンガンに酒を入れて号泣しながら歌う懐メロ」状態のそれ。
震える歌声にメロディーを派手に崩され、過剰なるエモーションで装飾されたそれは、オリジナルは老いたロック・シンガーのソロですとも言えば納得しそうになるほどで、少なくともアイドルソングとは全く聴こえない。
ここに管楽器とオルガンの重なる場末感漂うオケも効きまくっている。
やっぱりこれだと思うのだ。
オリジナルの再現なんてカバーにおいてはどうでもよくて、重要なのは、その楽曲にまつわる自分の感情をこそ再現すること。
だからこのカバーはこんなにも汚くて美しい。

"愛の讃歌"
最近、『旅のおわり 世界のはじまり』という映画を観た。
黒沢清の最新作。
正直言って、いや文句なしに、今年ベストクラスの傑作だと思う。
今年この先、これを超える映画を観られるのだろうか。
そこにおいてこの曲が、印象的にリフレインし…今日ここまで書いてきたまさにそのこと…、世界=普遍と私=パーソナルを接続する、という映画の中の物語装置として最大の機能を担わされている。
そこでは「世界」を「私」の中に捉え直すにあたって、「あなた」との間にある距離としてそれを想像しなおす、という操作が行われる。
改めて、ポップソングとはつまるところ、それだろう、と思う。
誰もが口ずさむが、その口の端に乗るたびに百人に百通りの、パーソナルな情景や感情と結びついて分かちがたく固有のものとなる。
誰もが結局は切ないほど個である、という約束事を思い起こさせることによって、個と個を分け合わせるような、そんな機能を担うのが、いわゆるポップスの名曲というものじゃないかと思う。
今日書きたかったのはそれで、奇妙礼太郎の酔っぱらったような歌唱はいつもそれを思い出させる。
この"愛の讃歌"ってまさに「名曲中の名曲」、「究極の楽曲」みたいに言われる曲だけど、内容は、そんな圧倒的な、超越的な普遍性と真逆の、無限遠の彼方にあるような、きわめてパーソナルな領域へと一直線に向かっている。こういう風な。
ビルに飛行機が突っ込もうが、大きな地震が来ようが、そんなことどうってこたあないんだから。
朝目が覚めてあんたのぬくい掌の下であたしの身体があって。
それで充分。それで全部なんだよ。
あんたがそうしろって言えば
金髪だって染める
世界の涯てにまでいく
どんな宝物だってあのお月様だって盗むし
祖国だって友達だってなんでも全部裏切るクソなんだよそんなものは。
あんたがそうしろって言うなら誰が何て言ってあたしたちのこと嘲り笑ったってあたしは平気なんだどんな恥ずかしいことだってするからね。
そしてずっとずっと長い時間が過ぎてその時が訪れてそいつが来てそう死があたしからあんたを引き裂いていくとしたってそれも平気よ。全然まったく何でもない。

だってあたしも必ず死ぬんだから。

そうやって死んだあとにもあたしたちは手に手を取ってあの遠くどこまでも広がる泣けるほど濃い青の中心に座ってそして永遠の愛をもう一度約束するの。
あの遠くどこまでも広がる泣けるほど濃い青の中で。

なんの問題もない。

そして神様も、そういうあたしたちを祝福して、永遠に、永遠に祝福して下さるでしょう。





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Tania Chen with Thurston Moore, David Toop, Jon Leidecker 『Electronic Music for Piano (John Cage) 』

https://yamap.com/users/1003665




あのー、これ何だろう?
自分、何なんだろう?
って思いながら、ひたすら山登ってますね笑





Tania Chen with Thurston Moore, David Toop, Jon Leidecker 『Electronic Music for Piano (John Cage) 』

2016年の録音で最近出たやつ。
ジョン・ケージの1964年のスコア、"electronic music for piano (john cage)" ピアノのための電子音楽は、ケージによる数多のピアノ曲のスコアの中からピアニストが部品を選び出して、他の演奏者に電子機器を用いた演奏を指示していく…というものなのだが…。
ピアノを担当するタニア・チェンはケージの楽曲を独自に解釈して演奏した作品を数多くリリースするアーティスト。
この人が集めたのが、おなじみギターのサーストン・ムーア、フライング・リザーズのデヴィッド・トゥープ、何だかよく分からん人ジョン・レイデッカー。
レイデッカーはミキサー等を扱っていて、トゥープは一人別録りで例によってさまざまな楽器や非楽器を用いて参加している。

これが蓋を開けると70分1トラックというシロモノなのだが、聴いてみるとちょっとそういう感じでもない。
なんかブツ切り的に、いきなり演奏が切断され、前触れなくノイズの暴風が吹き荒れ、文脈というものがないかのようにプリペアドピアノの物音がトンと置かれる、ような感じで、しかも無音部分が多い。
いきなりバツッと音が切れて、そのまま数分鳴らなかったりする。
たぶんこの辺りは、ミキサーの裁量が大きいんだろうな。
終わりも何となく聴いてると分からず、あれ、ずっと演奏始まらないな、あ、終わったんだ、という感じ。
で、最初ひとつなぎの演奏をバラバラにカットアップ的編集したものなのかな、と思ったのだが、リアルタイムのライブ演奏かもと思わせるところが端々にあったり。
静かなところで聴いていると演奏者の息づかいや椅子の軋み、アンプのノイズが聴き取れるとか。
ピアノ中心だからサウンドの手触りとして統一感はあるけど、まるっきり曲という感じがしない演奏。
まったくの無よりも、スコアというかルールというか、秩序から無秩序を出力しようみたいなことは、こういう現代音楽のひとつのベクトルではあるんじゃないか。
なんかヘッドホンでなくオープンなスピーカーで部屋で流してると良い感じになるアルバム。
カッコいいと思います。


 

Siraph 『past & current』 MOROHA 『MOROHA IV』

随分立ってしまいましたが、何をしていたかというと、山を登っていました。
何言ってんだって感じですが…






山は、良いっすな~~~!(爆笑)

https://yamap.com/users/1003665
5月は週イチペースで登ってまして
私の山行の記録はここで見ることが出来ます


そんなこんなで



Siraph 『past & current』
は、こうしてリリースのライブにも行ってきたのですが…

あっ、このバンドについてはこの記事でも書いています

今回のアルバムはライブ限定販売のシングルシリーズをまとめたものなのだが、そのシリーズはアイディアをパッパッと早いペースでまとめて出すような感じだったらしく、そう思って聴くと確かにミニアルバムと曲の感触が違う。
もっとロック的というか、音楽としてシンプルな響きに聴こえる。
確かにリズムやサウンドの組成は奇妙で複雑なところが多いけど、ミニアルバムでの、そのレイヤーが神経症的に重なって音響っぽい領域まで行ってしまうところとはまた違うというか。
ざっくり言うと、ちゃんとポップミュージックに聴こえる。ポストロックでもない。
"風琴と朝"という曲が一番好きなんだけど、この曲はA→B→Cで4/4→7/8→6/8と拍子が変わっていく。だけどちゃんとサビに向かっていくというポップスとしてのベクトルが感じられるし、心地良い解放感があるんだよね。
続く"hyos"の5拍子にしても、そのリズムを使うためにやってるって感じはしない。ちゃんとメロディがメインになっていて。
"ニュースモーカー"などで聴かれる明快なギターソロも、あ、こういう事もやるんだ、って思ったし。
65daysofstatic的なインストの"so far"なんかも引っ張りすぎず良い刺激として加わってる。
相変わらずヴォーカルというか、ヴォイスというか、声はかなり楽器のサウンドに混ぜて聴かせてるよなって思うんだけど。
だから楽器陣の刺激的極まるサウンドを抑えるでもなく押し出すでもなく、「それでも調和する」ぐらいの落としどころ。そういうバランス感覚が抜群のバンドだなと思うのだが。
しっかし相変わらず素晴らしすぎるベース。
ライブで見て更に好きになった。




MOROHA 『MOROHA IV』
この二人についてはここで少し書いた
今回のアルバムからメジャーなんですね。
な~んかシャンッ!って整った綺麗な音になっちゃうんだろ~な~いろいろ余計な音が足されちゃうんだろうな~変なゲストが入るんだろうな~~残念残念!
って思ってたら、頬張り飛ばされたような衝撃。
いや、これ目茶苦茶スゲーよ。
こんな過剰にエモーショナルでパンキッシュでライブアルバムみたいな、そして何ひとつ足してない剥き出しの音を普通に流通に乗せていいのか。
歌詞カードが付いてるけど、紙に落としたら端からもう魔法が解けてくっていうか、やっぱ音楽なので。ラップは言葉の音楽なので。
だからただ部屋真っ暗にして大きいボリュームで集中して聴き取る。それでちゃんとした形で音と言葉が入ってくる感じがする。
だから歌詞の引用とかはここでは全くしないんですけど。

しかし録音はやっぱ良い。洗練とかじゃなくて、生々しいっていう、メジャーの方とは逆に向かう意味で良い。
ギターのスラミングの音がバシッと入ってて、だから"ストロンガー"、"スタミナ太郎"みたいなビート強調した曲がキマってる。
声の、合間の息づかい、それからMCアフロ、歌うときに本気すぎて普通に息切れしてるんだけど、それがそのまんま入ってるのが素晴らしい。
これの前に出した再録ベストで"三文銭"が圧倒的に良くて、何でかっていうと、何を思ったかこの曲での歌唱はあらゆるところで上擦って掠れて裏返ってあげくハーハー息を吐いちゃってて。あ、こんなリアリティあるんだな、でも本当のことを歌うならこれだよな、って思って。
その感じがちょっと今回のアルバム全体にある感じ。

ギター。
映画『アイスと雨音』の"遠郷タワー"が彼らの曲の中でもトップクラスに好きなのだが、この曲でギターについての意識が明確に変わってるよなって思ってて。
パターンというか、ラップを載せるためのリフじゃなくて、インストとして成立するような物語性のある旋律を奏でてる。
それって今回のアルバムでは更に進んだところに来ていて、"スタミナ太郎"、"夜に数えて"の、ラップのテンションと触発しあうように有機的にサウンドを変えていくギター、ほんとにこれはもう単独な「曲」だな、ってところに来てる。

全編本当に素晴らしくて、特にアグレッシヴな方向性の曲は聴いてて震えるほどだけど、やっぱ"米"って曲。
これはちょっと、アルバム全体からしても浮いちゃってる、桁違いの曲だと思う。
前進する細かなリズムの攻めの感じと美しいメロディの組み合わさったギターがまずアルバム中でも飛び抜けた素晴らしさ。
それで、歌ってる内容。
これはもう何も言えない。
ただ聴いてくれよって思う。歌詞カードなんか読まないで集中して言葉を聴きとってくれよと思う。
身も蓋もないリアルだけど、このことをこれだけの熱量で歌えるってスゲーよ。
ただやっぱ、ラップってこれだよなって思うんだよ。
あの『ショート・ターム』で歌ってた少年のような。
ここまで本音を出せよってことだよな。
でも同時に、今回のアルバムが凄く良いなと思ったところで、やっぱ(暗かったり苦しんでるかもしれないけど)希望に向かってるって大事かなって思ってる。
マーベル映画とかよく出来たファンタジー、フィクションが溢れてるけど、そういうフィクションが何をどう描くべきか?ってことについて、自分の考えはわりとシンプルで。
ひとつは、現実を見据えろよってことで、それがなきゃ空虚だよやっぱり。
ただ、皮肉屋になって冷笑して希望ねー現実終わってるなオレらみたいなとこが落とし所になるなら意味はなくて。
だから、現実を見据えて理想を語れよ、ってことなんじゃないか。
それが語れたら創作って意味があるんじゃないか。
それってMOROHAが何とかかんとかして歌おうとしてきたことで、それが今回のアルバムでは相当に形になって歌われてると思うよ。

Sunn O))) 『Life Metal』 Machinefabriek 『With Voices』 Klaus Lang & Golden Fur 『Beissel』

自分が幼いころ、映画にかかわる人の中で最初に覚えた名前が「ジャッキー・チェン」なのだが、そのジャッキーの「老い」がしっかりと刻まれた『ザ・フォーリナー/復讐者』、大感動してしまいました。
美しいですね。この人は。




Sunn O))) 『Life Metal』
みんな大好きSunn O))) サンの太陽がサンサンな最新作。
デスメタルに対してのライフメタルってことらしいのだが……。
出たばっかの最新作に対してこう言うとメッチャわざとらしいけど、今までの彼らの作品の中で一番好きですねこれ。
単純に、とにかくサウンドがいい。
スティーヴ・アルビニはオーガニックな方法論で最良の録音をするエンジニアだけど、そのやり方ってナマの楽器を用いたものであればどんな音楽にもフィットしちゃうなあってのを改めて。
The Thing 『Bag It !』の最高さでそのジャンルレスな手腕ってのは分かってはいたんだけど…。
ドローンって自分にとっては音の質感を堪能する音楽であって、その意味でこの、持続音でありながら濃密な情報量、という感じ。
フィードバックノイズの混じり方や、低音が延びるにつれワンワンと回ってくる感じとか、もう本当美味しいところ全部入ってる。
でもシンプルだな、ロックの音だな、って感じさせるという、なんかやはり魔法があるな。この音は。
オルガンと絡むtr.2、ボトムのズンとくる感触が鼓膜に効くtr.3は特に好き。
しかしこの、音響的に作り込んだのではないがゆえに逆説的に音響としてメチャ面白く響いてくるという感じ、なんとも痛快だよね。
つまり、ノイズを音源に刻印することの面白さってそれで、そのことがアナログなアルビニ・アプローチによって自然に(まさにオーガニックに)成し遂げられているということが本作の独特さだよなと思う。
しかしヨハン・ヨハンソン筋のヒルドゥール・グルナドッティルってちょっと意外な共演ではあって、このあたり『マンディ』つながりだったりするんだろうか?などとも思った。





Machinefabriek 『With Voices』
マシンファブリーク。
今年発売の最新作で、また不思議なコラボをやっている。
8人のヴォーカリスト/ヴォイスパフォーマーに同じトラックを送って声を入れてもらい、それを素材として解体して1曲づつ曲を作っていくという。
この人のコラボ相手ってわりと知らないパターンが多くて、今回もピーター・ブローデリックやテレンス・ハナムくらいしか分からないな。
さておき音はどれも一筋縄でいかない内容で面白い。
わりと柔らかめのトラックで統一しているけど流石の幅広さ。
美しいヴォイス&メロディでポップにも感じる"IV (with Marianne Oldenburg)"、一際実験色の強いコンクレート的な"V (with Zero Years Kid)"、声テクノ感のある中にポエトリーリーディング要素の加わる"III (with Peter Broderick)"あたり特に好み。
毎度毎度手を変え品を変えって感じで飽きないねこの人の音は。
音の心地良さってところは共通していて、意外なことしてると思いきや期待を裏切らないってとこも良いね。




Klaus Lang & Golden Fur 『Beissel』
オルガン演奏家Klaus Lang クラウス・ラングと室内楽持続音アンサンブルGolden Fur ゴールデン・ファーが一緒にやったアンビエントドローン。
編成はオルガンの他、クラリネット、ヴィオラ、チェロ、ハルモニウムとのこと。
まードロ~~~~ンて感じなんだが、この音の質感の素晴らしさよ。
教会録音ということも影響してか、かなりそういう音楽のエッセンスが入っている気がする。
ドロッドロに融けた各楽器の持続音と美しい旋律。
40分1トラックって構成も最高。もーなんも考えなくていー聴くだけ~ってなる。
徐々に緩やかにだけど全体で聴けばどんどん演奏が展開していっている感じ。
オルガンの音がうねる感じがまたよく作用するんだよね、こういう演奏内容は。
部屋真っ暗にして聴いてて脳が耳からこぼれそうなくらい良かったけど、休みの日の午後とかに聴いてもまた良いんでしょうなあ。
こういうただ綺麗な音楽は普通に好き。
というか、最近特に好きになった。

 

The Yellow Monkey 『9999』




ミスチルの『重力と呼吸』について以前書いたけど、ここでも同じことを思った。
あれが活動25周年のアルバムで、こちらは再結成後最初の、というマイルストーン的なタイミングでのリリースなんだけど、にもかかわらずバンドの「らしさ」と離れたことをやっているのが面白い。

ただ、再結成後の流れで見たらすごく必然性のある音にも感じる。
サウンド的には17年の新録ベスト『THE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST』と連続しているから。
バンドアンサンブルの核だけ抽出したようなシンプルな音。
ドラムスがあってベースがあってギターが乗って歌を歌って。
プロダクションとしてもドライでタイトな録音で、音の輪郭は明瞭。
イエモンらしさって以前にはもっとウェットなものだったと思うけど、ただこの音は自分には嬉しいのだ。
ロックバンドとしての必然性、全ての要素が必要だし余計な要素が一個もないという、"間違いねえな"って感じの。
これくらいスッキリしていると、ポップであることとロックであることって充分両立するというのも重要。

もうひとつイエモンが「変わった」ってことについて書こうとすると、やはり歌詞は避けて通れない。
これに関しては、それくらいはっきりと変わった。
このアルバムのテーマはまさにこれ、というくらい、言葉を変えて繰り返し、同じことが歌われる。

「錆び付いたエンドロールが流れていく
またひとつ僕たちの映画が終わる」、
「さぁ ダメ元で やってみよう
泣いても 笑っても 残された
時間は 長くはないぜ」

「DEAR MY ROCKSTAR
またあなたに呼ばれた
人生半ばで 大事なこと見つけた」

「ドアを開けたら 見たような見たことない景色が
キレイな色で塗り直されて見えた」、
「帰ることのない街 戻ることのない道
走り出したら次のゲームを始めよう」

「野原を駆け出す子供みたいに
未来だけ見て進んでいたよ
花びらみたいな君の匂いで
あと少しだけ ここにいさせてよ」

「アルバムの中の未来図はとても輝いて
ベゼルの中の鼓動は戻せやしないけれど
打ち上げ花火の向こうでは皆が待っている」

そして"ALRIGHT"、この曲本当に名曲だと思うんだけど、これの歌詞の世界観が拡張されているのが結局今回のアルバムというか。
「強い絆が絡み合って 生まれ変わる蛹
ドロドロに溶けて口ずさむ 蒼い夢の続き」

一度終わったこと、それでもまた始まること、解けたから強く結び直すということ、そういうことが歌われていると思うけど、ここまでストレートにバンドの状況を歌詞にして歌うって普通はない。
言葉選びこそ相変わらず独特のものがあるけど、歌われている内容はこれ以上ないほどポジティヴでストレートだと思う。
こういうのって今までのイエモンではほとんどなかった部分で。


そんな形で大胆に変わってはいるけれど、ああ、イエモンのアルバムだ、と思わせる一曲目で始まるというのが、巧いつくり。
"この恋のかけら"の頭のサイケデリックなギターって、『Four Seasons』における"Four Seasons"、『SICKS』における"Rainbow Man"みたいな。
こういうちょっと気怠い感じで始まるのが「あ、イエモンのアルバムだ」ってなりつつ、聴いてくうちに「あ、変わってるな」って。
"天道虫"、"Love Homme"、"Breaking The Hide"、"Balloon Balloon"のようなガレージロック調の曲が中心になっていることはアルバムのカラーを決定づけているよに思う。
"Stars"、"砂の塔"、"Horizon"といった煌びやかなアレンジの「大きい」曲は一旦活動を終える直前の感じ…"バラ色の日々"、"聖なる海とサンシャイン"、"Brilliant World"とかあのへんの空気があるのかな。
あと"Changes Far Away"で思い出すのが"真珠色の革命時代"、"So Young"とか。この二曲は『NEW BEST』で大きく印象が変わっていた曲で、これもその感じが反映されてる。程よくドライな。
こうして聴いてみると"ロザーナ"の強い洗練味のあるサウンドってアルバムの中でも特別な意志を感じる音だなと思う。
やっぱりこの曲からこのアルバムに至る道が始まったようなところがあって、その意味でバンドにとっても特別な曲ではと想像する。
それとラスト、"I don't know"のボリボリいっているベースの音聴いて思ったけど、やっぱこのバンドのベースの音やフレーズの感じって大好きで。ってか、自分がベースに取り組むにあたって…もう15年以上前になるんだけど…最初に練習したのがこのバンドなんで。そう思うのは当然なんだけど。
改めて良いなって。あんま下にいる感じじゃなくて、音の芯になっているベース、で、しかもそれがやんちゃっていう。


「特別なアルバム」ではあるんだけど、聴き終えると不思議と「普通にイエモンのアルバムだな」って思うとこもあるんだよね。良い意味でだけど。
途切れず続いていたような。
どれだけアップデートされてるかってことが、耳では分かってるんだけど。
それは結局、このバンドがいかにして一体か、ってことでもあるんでしょう。

「あなたと別れて 激しく求めて
ひとつに生まれて 無数に別れて
夜空を見上げて もう一度運命の
タイマーを回して」

そう、だから、このアルバムのサウンドのシンプルさ、タイトさを、あの言葉で表現したいと思ったんだよね。
このバンドが居ない間ロックでは死んでたように思える言葉だけど。
グラマラス、と。
 

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Author:伊達さん
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