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コンジアム + POV/モキュメンタリ、またはファウンド・フッテージ その2

POV/モキュメンタリ、またはファウンド・フッテージ10…いや11…プラス、5選(絞れなかった)
↑三年くらい前にいわゆるファウンドフッテージタイプの映画についてまとめた記事を書いたけど、手法が自然に通常の劇映画の中に取り入れられるようになると同時に、本数自体は減少傾向にあって。
そんな中で先日公開された『コンジアム』という映画。いろんな国のものを見ているけど、このジャンルで韓国産というのは初めてでもあり、興味半分で観に行ってみた。
それでこの映画について書きつつ、ついでにここ数年で観た中から6本ほど選んでみようと思う。


『コンジアム』
https://gonjiam.net-broadway.com/
無軌道な若者たちが配信番組の広告料で一攫千金を目指し、実在の心霊スポットの廃病院に潜入。
廃墟潜入もの自体王道、スタンダードな内容と言えそうだけど、それだけあってジャンルの遺産をフル活用してる感じが面白い。
で、ありつつ、核心の恐怖描写は実にフレッシュというところに好感が持てる。
ベースのアイディアは『グレイブ・エンカウンターズ』で、この実在の心霊スポットで…ってのを辿ってくと『セッション9』があったり。
多種多様なカメラを用いて、最初は映画としての体裁が整ったような映像が、徐々にカメラを減らすとともに「ナマの映像風」になっていく、という見せ方は傑作『ブレア・ウィッチ』から。
『ブレアウィッチ・プロジェクト』や『REC』といったジャンルのレジェンドへのオマージュもここぞというポイントに配置されている。
ある時点で恐怖描写の質がガラリと変わるんだけど、そこ以前での複線の撒き方が実によく効いてる。
本筋はひとつの開かずの間についての物語であるという、シンプルな怪談話というのもスマート。
POV/ファウンドフッテージというのは神の視点が失効したあとの映画であるということをなんどか書いてるけど、その意味で本作にはゲームマスター的な立ち位置のキャラクターがいて、そこの安全が脅かされていくという構造も面白い。観る側にも怖さが伝播してくるというか。
皮肉の効いたクライマックスの味わいも独特。
今になって公開される意味のしっかりと感じられる、ハイクオリティな作品になっているように思う。



こっからはこの手法を使った作品で、ここ最近で観た中で特に面白いと感じたものを。

『アンフレンデッド』
これ先日公開された続編(とはいっても手法を同じくする以外はほぼ別作品)『アンフレンデッド:ダークウェブ』も非常に面白い内容だったけど、やはり傑作というとこの一作目ということになるのかなと。
PCのデスクトップ上のみで展開されるという個性的すぎる心霊ホラー。
デジタルと心霊がこんな馴染むっていうのがもう面白いんだけど。
感想はこちらに書いた通り。
この手法でどんな演出ができるのか?というところを徹底的に突き詰めてある。
『search/サーチ』でも引き継がれていくアイディアの大部分はすでにここで見られる。


『プロジェクト・アルマナック』
『パワーレンジャー』でハリウッドデビューした南アフリカのディーン・イズラライト監督、その前作がこれ。
主人公は科学オタクの青年で、早いときに父親を亡くしている。
そのお父さんが生前にタイムマシンの研究をしていたのが分かる。
しかも基幹部は家の地下室に隠してあると。
それでタイムマシンの製作を引き継ぐという内容をPOV形式で見せている。
これは内容としては『バタフライ・エフェクト』的なアイディアというか、時間跳躍のギミックをうまく使った切なくもキラキラした青春映画になっている。
ジャンルの中だと『クロニクル』に近い様な。
夜の学校に侵入したり、青春映画イベントもふんだんに盛り込まれてて、目新しさはないぶん、この手法がもたらす親密さがよく効いている。
XBOXの筐体をタイムマシンに改造するとか、ディティールもいちいち良い。あと妹キャラがやたら可愛いというのも監督のオタクとしての業を感じさせる。


『ディープ・サンクタム』
これはスペイン映画なのかな。
内容は実にシンプル。
海辺にキャンプしに来た若者達がノリで洞窟に入ったら出口が分からなくなる。
これは珍しく超常的なことが何も起こらない。怪物もなし。
ただただ、絶望的な状況が淡々と描かれていく。
この手法ならではの閉塞感がハマっていて、息苦しさすら感じるような映像。
80分というランニングタイムでスパッと終わるのもあり、あんまり解説する部分もない。
ただ切れ味鋭く、それでいて鉛のような後味が腹に残る。
確かネトフリで見られたはず。


『ガール・ライク・ハー』
ネトフリ映画。
これも感想はこちらに。
いじめ被害者が記録していた映像。
奇しくもこれも青春ものか。
やはりこの手法は青春ものと相性いいんだろうな。
神の視点がないということは、大人の視線がないということでもあって。
そこってやっぱり、通常の劇映画だとどうしても捉えにくい。『エレファント』とかか、成功してるのって。


『ケージ・ダイブ』
これもこちらに感想あり。
ファウンドフッテージでサメ映画というのも、ありそうでなかったパターン。
タイトルのケージダイブ自体は最初しかしてないのだが、逃げ場のない海原が広大な密室となり、八方が開けた中に居ながらまさにケージの中にいるような閉塞感を演出している。
最初は報道映像とか周辺のフッテージを早いテンポで出して行って、徐々に本筋に入っていくというのも最近のファウンドフッテージっぽいつくり。
救いのない絶望恐怖描写はむしろクラシック。
これは埋もれそうなのでここで特に書いておきたい一作。


『ブレア・ウィッチ』
感想ここで。
ジャンルのオリジネイター『ブレアウィッチ・プロジェクト』は一作わりとしょうもない続編があったけど、オリジナルから手法も受け継ぎ、高い批評性を作品に織り込むことに定評のあるウィンガード&バレットが手掛けた本作は、紛れもない傑作。
上で書いた通り、『コンジアム』の手法の引用元もおそらくここ。
そのことをそもそも「ファウンドフッテージ/POVホラー」とは何なのか?という探求の為に用いている。
ジャンルのマニアとしてはそこにやっぱり感じ入ってしまうものがあるんだけど、内容も実に怖い。素晴らしい。


そのほか、厳密には形式違いだけどこの手法がフィードバックされてるなと感じるのが、昨今いくつか出ているワンカットないしきわめて長い/少ないカットで構成された映画。
『アイスと雨音』、『ヴィクトリア』、『ウトヤ島、7月22日』、『ブッシュウィック 武装都市』。
どれも手法と映画の伝えようとしているものが深く絡み合っていて、印象深い作品。



関連記事というか、内容被ってる部分もあるけど
ネトフリでこのホラー観ましたか?
こういうのも書いてたんでよろしければ。
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2018年ベスト等







えと、上の写真の通りで、先月バンジージャンプしてきました笑
もともと一生で一度は飛んでみたいなあみたいなのをぼんやり思っていて、一度なら一番高いとこ行くよなあと思い「バンジー 日本一」で調べてみたらいけなくもない距離で。
自分の住んでる松戸から電車とバスを乗り継いで3時間程行くと茨城の竜神峡というところに着くのですが、これの上に橋が架かっていて。その橋が吊橋としては国内最大クラスのもので、その上から飛べるようになっているという感じ。
高さもこれまた国内のバンジージャンプスポットでは最も高く落差100mとなっています。落ちるのは時間にして4秒くらい。
一度飛ぶのに諸々込みで16000円ほどかかるのでこういう事に価値を見出さない人はやる必要ないと思うけど、まあ自分はやって良かったかなと思っています。やっぱたまには自分に対してオマエなかなかやるなー!って思いたい。

二十歳くらいのときに静岡でシーカヤックをやって、そこは巨岩奇岩だらけの海岸なんだけど、ちょっと上から見渡すと高さ6,7mはあるなっていう岩がドカンと転がっているのが見える。インストラクターの人に「あれはいつくらいからああなってるんですか?」と訊くと、「9年前ですね」という。「結構景観はコロコロ変わりますね」と。何かこう数百年みたいなスケールを想像してたんで面食らう。
カヤックで海に出て、崖の壁面に空いた巨大な裂け目のような洞窟に入っていって、さっきの話を思い出す。てことは、ここも極端な話いま崩れてもおかしくないわけだよなあ、と。
こういう場に身を置いてみると、偶有性って言葉の意味は直観的に分かって。この瞬間に生きてるってことは無数の条件が絡んだ途方もない奇跡ではある、と同時にそれは気まぐれのようなものでもあって、大した意味とかはない。
そのときのことを、バンジージャンプしてから思い出してて。よく言うやつだけど「生の実感」てそういうことなんじゃないですか。
自分のいる場所が分かるっていうか。世界って思ったよりこわくないんだなって思う。



ここまでは雑記なので、続いて例年通り2018年のベストについて書いていきます。
なーんか今音楽について書き終えて記事分けた方がいいんかな?って一瞬思ったんですが(映画なんか絶対クソ長くなるし)
自分の中ではそれぞれの分野ってそんなに分離してないんで、そういう棲み分けもなんか違うなと思い
いつもの一斉に書く感じのスタイルでいきます
そんな感じで最初は音楽からです、続きでどうぞ

ボーダーライン ソルジャーズ・デイ、ア・ゴースト・ストーリー、イット・カムズ・アット・ナイト、へレディタリ― 継承、ディザスター・アーティスト

今日は新作オンリーで
ただ一作事情があって劇場ではなく配信になっています

『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』
デイ・オブ・ザ・ソルダードって原題クッソカッコ良くないっすか。
これ、前作がメチャ良かったゆえに監督交代がどう作用するか心配だったけど、杞憂。
素晴らしいっす。
監督のステファノ・ソッリマはイタリア出身で、かの国と言えばのマフィア映画で頭角を現した人らしい。
なるほどという感じなんだよね、暴力を扱う手つきが。
物語を聞く構えで行ったらいきなり銃床でぶん殴られるような導入部から、もうそれ。
引きの画なら引きの画のまま、カットも割らずに、前触れもなく突如として破壊的な暴力が到来する。
ハネケとかあの辺にあるような客観的なカメラ・演出+超暴力。
ストーリーも、最悪の暴力には最悪の暴力で対抗するという構図。
そこに脚本は続投のテイラー・シェリダンならではの、境界において世界から遺棄された人々の話と。
そしてラスト。
「羊を追い立てる牧羊犬」に対してアレハンドロはこう聞くわけ。
「狼になりたいのか」と。
そして故ヨハン・ヨハンソンによるメインテーマ…。
前作とガチっと重なるような。
これは理想の続編のありかたと言えるような作品かと。


『ア・ゴースト・ストーリー』
死んだ男がオバケになって奥さんをずっと見守っているって話。
なんだけど、独特なトリックを用いて斬新なストーリーテリングを行っている。
それはつまり、終わりが無い存在にとって時間というのはどう認識されるのだろうか、という問い。
その時間の中で、ある思い出だけが、自分を世界に繋ぎとめているとしたらどうだろう?
さらにその変容した時間のあり方を描くにあたっては、独自の映画文法を導入している。
映画って基本的には横方向に時間が動いていくもので、それはシネスコという形態からの要請であると考えたとき、その時間を断ち切るためにまずどこに手を入れるか。
というわけで、この映画は全編が角を切り取られた独特の正方形スクリーンで進む。
そして、移動は基本的に横方向でなく手前奥方向に行われる。
映画で登場人物が奥手前に動くときって、位置の移動というよりは、意識、意志の動きを現してる場合が多い。
それに加え、随所で登場する超長回し。
これも映画的時間、空間的時間から内的時間、心的時間にフォーカスする手法。
なんかこれは、ゴースト・ストーリーというタイトルではあるんだけど、勿論ラブ・ストーリーだし、更にはシネマ・ストーリーでもあるだろうと思ったんだよね。
この映画の中で描かれていることは、まさに映画を観るということに似ている。
同じ映画を繰り返し見て泣くことは、偽物の感情なんだろうか。複製できる体験は。何度もやってくる思い出は。
悲しみは時だけが癒すって、時間の外側(それは果てしなく自分の内側だということだ)からそのことをどう思えばいいんだろうか。


『イット・カムズ・アット・ナイト』
森の奥に何かがいて、それは死の病を伴って来る。
だから日が暮れたら、絶対にドアを開けちゃいけないよ。
という話。
近年の「恐怖の対象が名指しできなくなったホラー」ということについて、何度も何度もしつこく語ってると思うんだけど、ペニーワイズじゃない、この「イット(それ)」は、まさにそれそのものだ。
先に書いてしまうと、この物語はある種の「ゴドー」で。ゴドー形式の映画ってそろそろ一冊のムービーガイドになりそうなくらい増えてきたけど。
「それ」はただ、生い茂る森の木々の奥、あるいは真っ暗闇の向こう側としてだけ描写されている。
その描き方が表現するものって何かな?と考えたとき、私事であれだけど、沖縄のガマを見学したときのことを思い出したのね。
ガマは天然の洞窟を使っていて、中には灯りはない。開けた場所に出たとき、案内の人がふいに懐中電灯を消すわけ。
「これが本物の暗闇ですよ」。
するとどうなるかっていうと、不思議なことに、目が閉じてるのか開いてるのか分からなくなる。
自分の肉体で、自分で制御しているのに。その制御って、確かなのか?と。
次に、自分の体の内側と外側の境目が分からなくなる。
世界が内面に侵入してくるし、内面が世界に溶け出していくような。
身体感覚ってそんだけ曖昧だよということでもあるけど。まぁ普通に生きてて完全な暗闇ってのを体験できる場面はないんで。
映画の話に戻ると、森は、暗闇は、劇場は、その中のスクリーンは、映画は、ホラーは、たぶん世界に内面を投影するということのメタファーだったり、現れだったりするのではないかな。


『へレディタリー 継承』
これ、メッチャ褒められてるじゃん。
「現代ホラーの頂点」とかいって。
だからもうバカにしてやろうと思って。「全然怖くなかったですね」って。
すんません。スゲー怖かったです。それ以上に、最高に面白かったです。
設定とか話の運びはまさに王道のホラーといったところ。新鮮味はとくにない。
冒頭のある印象的なカットの引用元を考えると、「この映画はこういう過去の遺産をフル活用していきますよ」という宣言でもあるのだろうな。
それでまぁ起こることも「そうなるな」てな感じなんだけど、事態の捉え方、解釈、それを画面に演出として還元するということにおいて、この映画の感性は圧倒的。すべてを恐怖に奉仕させるということに、迷いなく振り切っている。ある流れの中で、絶対に描かれて欲しくない事へと、躊躇なくカメラを向けていく。事態への登場人物の反応も実にリアルだけど、ゆえに盲点みたいなところを突いてくる。だからこそ恐怖が伝わる。
凄まじいと思うのは、ケチのつけどころがない映画だということ。
ホラーって、何か瑕疵があっても一点突き抜けていることによって傑作足り得ている、みたいな作品を多く持つジャンルで。
ただ、模範解答的な、間違いがないということによって満点になっている作品ってそうない。で、これがそれ。
ゆえに、スレたホラーオタクじゃなくただ怖いものが見たいだけの普通の人にたくさん見て欲しいなって思った。
ホラーのイメージ変わる。
あと言及したいのが音楽。
なんと、当ブログでも何度か取り上げているコリン・ステットソンが担当している。
非常にマッチしているし、バス・サックスの圧倒的な低音が座席を揺らして映画内の震動を観客にまで伝えてくるような箇所もあり、素晴らしい。


『ディザスター・アーティスト』
これは配信のみのためアマゾンビデオで鑑賞。
本国アメリカではかなりの高評価を得た作品なのだが、なぜ配信スルーかというと、恐らくふたつほど理由がある。
ひとつは、本作はこちらも日本未公開の『The Room』という03年の映画にまつわる実話ベースの物語であること。二本セットで公開するとなるとかなりハードルが上がってくる。
もうひとつは、監督・製作・主演を兼任したジェームズ・フランコが、丁度この映画が波に乗ったところで(近年の流れの中の)セクハラ騒動でケチがついてしまったこと。
さて、映画の内容は上にも書いた『The Room』をつくった二人の男の話。監督・脚本・製作総指揮・主演を務めた謎のおっさんトミー。ひょんなことから彼と深く関わることになった俳優志望のグレッグ。肝心の映画の内容はというと、これが酷い演技・支離滅裂な脚本・寒すぎる演出で初週末の興収1800ドルを叩き出すポンコツっぷり。ところがそのダメさが逆に愛されてカルト化、今でも上映が続いているというもの。
この『ディザスター・アーティスト』という映画の面白さの核は、映画自体が『The Room』に重なるようなつくりをしているという構造じゃないかな。
つまり、上に書いたのを見れば分かる通り、フランコのトミーのコピーっぷりは映画製作手法それ自体にまで及んでいる。中央集権ワンマン体制。出演している役者を見てみれば、セス・ローゲンやザック・エフロンといった友達ばかり(しかも苦笑いで何でも付き合ってくれそうな「絶対イイ奴」って感じの人ばっかだ)。
こういう想像をする。
フランコは本当にトミーのことを好きだったんじゃないか。(笑)抜きで。もしかしたらトミーになりたかったのかもしれない。
だって映画を作るって簡単なことじゃない、どころか、狂気の沙汰みたいなところがある…ってこれもまた二本の映画の間に重ね合わせにされた問いだ。
エキセントリックな「お騒がせ役者」としても知られるフランコだから、その孤独がトミーの姿に重なる。
映画のクライマックス、プレミア上映のシーンでそのことを一層強く思う。
客席に笑いの飛び交うのに耐えられなくなり、席を立ち劇場を出ていくトミー。追いかけてきたグレッグがこう声をかける。
「ヒッチコックはウケたか?」
それでトミーは席に戻っていく。
欲しかったのはこれじゃない、それでも今愛されてる、ほろ苦い多幸感…とても表現したくなる味わいはちょっと他にない。






そういえば今日取り上げた映画、最初の一本除く4本がA24という配給会社の映画で。
ここ凄まじくて、他にもグッド・タイムとかフロリダ・プロジェクトとか、大当たりを連発している。
注目しておくと良い映画が見られるかも。

ヴェノム、マンディ 地獄のロード・ウォリアー、ボヘミアン・ラプソディ、シャドー・オブ・ナイト、イップ・マン 継承、家に帰ると妻が死んだふりをしています。、REVENGE リベンジ、沈黙 サイレンス



なんかもらいました


『ヴェノム』
マーヴェル限らず、今年のアメコミ映画の中で一番好き。
いろいろ理由はあるけど、やっぱりシリーズ、ユニバース的なくびきから自由っていうのがひとつ。自分は全部追うタイプの熱心なファンではないので。やっぱ単体の作品としてどうかっていうのが大事。
ロケーションを活かしていること。サンフランシスコといえば大きな坂が走る美しい街並みで、これを存分に活かした本作は実に「映画らしい」ルックを作り出せている。これって近年のアメコミ大作の中では貴重なことと思える。
役者に必然性がある=役者の映画になっていること。『デッドプール2』ではレイノルズの実人生をきわどく反映した物語が独特な味わいになっていた。本作のトム・ハーディは狂気を演じさせるならこの人、的なところがあって、それだけに特にメインストリームで万能に使えるとは言い難い部分もある人。それがこのイキイキとした演技はどうだろう。水を得た魚、っていうか。極端な二面が一瞬で入れ替わること、正気と狂気のグラデーション、見事としか。それからこれは本作のテーマにも繋がるけど、「シンビオートの適正」なるものが何なのか考えると、それはあらかじめ内面にシンビオートを抱えていること、矛盾した二極に引き裂かれていること、と言えるんじゃないか。この辺は敵役のやろうとしてる事というのを考えるとはっきり分かるけど。そういう意味で、トムハの中にはシンビオートがいるし、なんなら実際に一人二役でそれを演じている。
物語のスケールが小さいこと。ロケーションの話を繰り返すようだけど、本作はひとつの街についての物語でもあると思ってて。それは一番最初のスパイダーマンがやってたところにまで戻ってる。街レベルの世界と、個人の内面。そういう物語が好きだ。
最後に、一番大切なこと。これはネタバレしないように詳細は書けないけど…、最後の戦いの直前、スペースシャトルの発射台を遠目に眺めながら、ヴェノムがある告白をする。何でもなく流しそうになる、さりげない一言。それがどうしようもなく泣けた。あ、そういうことか、だからこの映画って何か愛おしいんだ、って。『かいじゅうたちのいるところ』で「おれの味方はいつもおれだけ」ってセリフあって、それ見た瞬間あり得ない位滝の涙になったんですけど、それ思い出して。今回のセリフは全然違う内容なんだけど、まあその類の深いところで琴線に触れてくるセリフだったなと。


『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』


斧持ってきた

これは正にカルト映画として生まれた、ような、歪な作品。生まれた時からカルト化してるって表現的にはおかしいんだけど。
妻を焼き殺されたニコラス・ケイジがカルト集団&化け物と化したバイカー軍団に皆殺しの復讐。この感じでケイジだと近年なら『ヴェンジェンス』とかシリアスなムードを想像するけど、この映画はちょっと違う。上に貼った写真、これを自前で作って振り回すという…なんか、え?って感じだけど。このデザイン、メタルバンドのロゴに由来してるとかで、奥さんも終始いろんなメタルバンドのTシャツ着てたり。表現的にも急にアニメ化したりとか。
もうそのケイジ主演でそんなモンドな、アングラ~なノリってのが分かるような分からないような感じで。
ただ、一番スゴイのが、音楽がヨハン・ヨハンソン&スティーブン・オマリー。
重厚なドローンアンビエントとグラッグラに煮込んだドゥームドローン。
何かもう、何見せられてるんだろうって気分になる。
映像は超サイケデリックな色調でトリップ。
ブリーフ一丁で咆哮するケイジ。
ドローン。
ちょっとこう、ここまでのはなかなか見られないな、って感じの内容だったな。
ヨハン・ヨハンソンに捧ぐって最後に出るけど、こんなメタルノリの人にもリスペクトされてたんだ~っての思うとそこも面白かったり。


『ボヘミアン・ラプソディ』
今一番の話題作なのかな?
新宿TOHOのドルビーアトモスで鑑賞。
正直なところクイーンというバンドには全然興味がなかったんだけど、それでも本作はメチャクチャ楽しめた。
正攻法で直球でゴージャスなエンターテインメント。
『グレイテスト・ショーマン』とか『ラ・ラ・ランド』にも通ずるような、「映画、最高かよ…」ってなる一本。
それでバンドものとしてバッチリ来る感じがまたポイント高い。
曲作りの過程を描くシーンが沢山あるんだけど、こういうアイディアを提示して、このパートから始まって、この音が乗っかって…って。音の構造が理解できることが、ライヴシーンの音響的な楽しさを底上げする。
ストーリーラインも、天狗になっちゃって一度は大切なものを全部失ったフレディが「やっぱオレにはバンドがなきゃダメだわ」つって帰って来る、って話で。そこでバンドのみんながメッチャいい奴ってのも爽やかに効いてくるポイント。
最後のライヴシーンに向けて溜めて溜めて、解放!って構成は音楽映画の王道中の王道だけど、そこに至るまでの映像表現には工夫が凝らされてて。アメリカツアーの箇所なんかかなり驚きの見せ方をしてくる。
で、ラストシーン。歌われる楽曲の歌詞が、悉くそれまでに語られてきた物語を反映してる。だからこそ表面のスゴさだけじゃなく中まで沁みてくる…感情と同期した、ミュージカル的なエモさがあって。そういうクライマックスでの感動の種をさり気なく蒔いてきてた語り口のうまさにも唸らされる。
これはもうね、"ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ"っていう言葉に集約されてる感。
つまり、この映画を観た俺たち全員が優勝したんですよ。


こっから旧作
ネトフリとアマゾンビデオで鑑賞

『シャドー・オブ・ナイト』
これは旧作じゃなく新作のネトフリ映画になるのかな。
『ザ・レイド』『ヘッドショット』でお馴染みのモー・ブラザーズが手掛けたアクション。
上の二作どちらの血も入ってるけど、どっちかというと『ヘッドショット』の方向性をより発展させたものに見えた。
やたらとアクの強い殺し屋たちが繰り広げる残虐無残格闘絵巻。
主人公は『レイド』のヒゲのSWAT隊長で、イコ・ウワイスも出てるしでこれまでの作品のファンならそれだけで必見の感じはある。
超絶格闘も、それに付随する過激な人体破壊もバキバキで見応えあり。
物語にはジョン・ウーや北野武へのリスペクトを感じさせるようなところがあって、破滅の美というか、アウトロー映画としての旨味もたっぷり。


『イップ・マン 継承』
これは、語彙が死んだ。凄くて。
ここでのドニー・イェンの拳は、喩えるなら詩の域に達してるなと思ってて。
交し合う拳だけで感情やドラマを語り得るまでのところに行ってる。
殴り合いが劇中の大半を占めるカンフー映画ではあるけど、美しいと思った。


『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』
家に帰ると妻が必ず死んだふりをしているという話。
『ママは日本に嫁に行っちゃダメと言うけれど。』という映画について以前書いたけど、この手の映画で良くなる条件のひとつって、映像にせよ音楽にせよ、語りすぎないこと、見せすぎないこと、余白を残しておくことかなって思っている。
宛て先を広くとるほど難しくなるそれを、こなせていること。
何かそれが出来ていて、かつ軽く流せるだけじゃない適度な重み苦みがあって、それで甘さが生きているみたいな作品、そういうのがたまにある。
だったらこういう映画をオレはたまには見ていきたいなと思った…という話。


『REVENGE リベンジ』
タイトル通りの王道レイプ・リベンジ。
ところがどうしてこれが完成度高い。
レフンっぽい超ビビッドな色彩感覚、手持ちカメラの長回しで演出する荒削りなサスペンス、血糊量もハンパないウルトラバイオレンス。いかにもミッドナイトマッドネスらしい、クリシェへの愛情とそれを更新しようとする前のめりなエネルギーがせめぎあう素敵な作品。
そんでなんと若い女性監督の作品と。
いや女性だからどうとか言うつもりは当然ないけど、ただこのジャンルってやっぱ男の監督ばっか作ってるのもおかしいっていうか、それこそ一種の暴力構造の温存じゃん、みたいなこと思わないでもないし、だから痛快とも感じた。
むせ返るような熱量とエネルギーを浴びてるだけでも楽しめる作品だけど、『RAW 少女のめざめ』あたりからの思春期ガールホラーの流れの中に位置づけても面白いんじゃないかと思った一作。


『沈黙 サイレンス』
マーティン・スコセッシ監督作。
自分の中で最近のだと『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の印象が強かったのでギャップに驚いた。
たださすがスコセッシ。完成度メチャ高い。
日本人が洋画とか海外の物語を受け取るときに、一番理解しづらいのが信仰にかかわる部分だと思っている。
その意味で、この映画を観ていると「信仰」にまつわる感情が流れ込んでくる、感情として理解できるってのが凄い所。
教科書的な記述じゃ分からないディティールを感情に訴える形で描き込むことで、その史実なり歴史上のイベントなりが、自分の中で立体感を持って立ち上がって来る。
やっぱこういう歴史映画って、それだよな、って思う。
踏み絵って、今を生きる我々からすると、本当によく分からないもののひとつなんだけど。何の葛藤があるの?踏めばいいじゃん、って。
そういうものがまさに感情のレベルで理解できる、しかも海外の話でもなくかつての日本人たちの話、っていう。こういう形での信仰ってかつてここにあったんだ、ってことに、なにか気が遠くなるような。
映画的な表現の部分で驚いたのが、音響。
ほぼ劇伴使ってないけど、代わりに環境音をかなりダイナミックに活用してる。オープニングからそうだけど、ザワザワザワと遠くからやって来ていつの間に周囲を取り囲んだり、密度の濃淡が次々変化していったり、波音や鈴虫の声のような特定の音が特定の意味を担って強調されてきたり。
構築型のフィールドレコーディング作品のような。
作品タイトルにある通りの沈黙、無音も存分に活用される。
これはヘッドホンで聴いてて何度も驚いたし、演出の手段としてこう来るかと唸らされた。

デス・ウィッシュ、テルマ、search サーチ

個人的に西川美和監督週間という感じで、旧作を見てたのですけど、エッセイ『映画にまつわるxについて』読んでみたらこれもえらく面白い。
普段何となく見てる映画内の描写や表現の中に、これだけの葛藤や逡巡が織り込まれていたのだなと。


今日は現在劇場でかかっている新作映画三本。


『デス・ウィッシュ』
イーライ・ロスがブルース・ウィリスを主演に迎えド・メジャーなバイオレンスアクションに挑んだという作品。
『狼よさらば』が原作と書いてあるけど、まあ僕は見たことない。本作は多分観なくても問題なく楽しめるかと。
観て思ったのが、イーライ・ロス、普通にめっちゃ巧みな映画監督になってるやん…という。
ワンカット風で長い時間経過を表現するショット、スプリットスクリーン等、小洒落た感じに見せたかと思いきや、暴力の予兆めいたシーンではじっくりと緊迫感を醸成するホラー譲りのテクニックを披露。
ギリギリエンタメといったところのファンサービス的残虐描写もチラっと覗かせる。
しかしながら全体のノリは痛快リベンジアクションで、ここぞというところで鳴り響くバック・イン・ブラックのリフがそれを象徴しているかと。
たまには『グリーン・インフェルノ』のような変態性癖モロ出しの作品も手掛けて欲しく思うものの、こういうのも全然やってっていいじゃんという感想。


『テルマ』
北欧百合ホラー。
超能力というのは映画的な現象だよな、と兼ねがね思っていて。
どういう事かというと、映画的表現、という言葉の意味は、ひとつには「比喩や見立てを通して内面を外世界に投影すること」。
つまり、登場人物がボロボロに傷ついて虚ろな心境で歩いていたら、雨が降っている、とか、問題が解決して状況が良くなっていくという場面でタイミングよく日が昇り朝が来たりとか。
これは現実においては逆で、世界のほうが我々の内面に影響を及ぼしてくることが多い。我々の内面を世界に反映するには、手足という、内面じゃなく世界=物理、現実の側に属するもので外世界に干渉していかないといけない。
こうして考えると、超能力というのは映画的表現そのもので。
内面、願いとか想いとかいうもの、を、直接外世界に反映させる。
ここで『テルマ』に戻ると、本作はそんな超能力を様々な奇抜で実験的な音響/映像表現で描いている。中でも特徴的なのは、異常にカッコいいタイトルバックから炸裂し、劇中でも重要なシーンで用いられる、ストロボライト的表現。
この表現手法が我々の身体を傷つけるかもしれないということを、あのポケモン事件以降の我々は知っている。冒頭に警告が出ることからも、主人公のテルマが能力を発現させる際に「癲癇に似た痙攣」を発症することからも、恐らく監督は意図的にやっていると思うけど。
真っ暗な映画館でこのストロボ表現を見る、いや浴びるというのは不思議な体験で、その「映画がこの身体を直接攻撃してくる(かもしれない)」ということをもって、映画と現実の境目がおぼろげになってくる。
で、その、スクリーンの向こうからの現実への攻撃でもってテルマが撃とうとしているものは何かというと、ひとつは「家父長制」というか、「父性」、「父の権力性」で、もうひとつは─これがより重要だと思うけど─映画ではキリスト教に象徴されている「旧態依然とした社会通念」で、これはテルマが焦がれている女の子への想いを叶えるために照準されている。
これってもう、まさにこの社会に向けて…、今この社会を撃つために、明確な狙いで放たれている銃弾というか。
それを思うと、ゾクッとするような鋭さを持った、美しいのにパンキッシュでもある奇妙な映画だよなと思う。


『search サーチ』
全編PC画面上で展開する、という触れ込みは傑作ホラー『アンフレンデッド』を思い起こさせるけど、こちらもベクマンベトフがプロデュースでかかわっているとのこと。
本当にそのままのPC画面を見せていた『アンフレンデッド』に対して『サーチ』では画面の必要な箇所にズーム、パンしていったり、劇伴も全編に渡って使われていたり、より映画らしいルックになっている。
まぁこれは良し悪しあって、「この世界の片隅で確かに存在しているかもしれない」ファウンドフッテージの延長として考えるなら前者が正解なんだけど(PCビューの映画という表現をまさに自分はその文脈で考えていたんだけど)、ドラマを語るための手段として用いるなら全然アリなやり方だと思う。
で、この『サーチ』、単純にサスペンス、ミステリーとして抜群に面白い。
二転三転しながらこちらの興味を一瞬たりとも放さない絶妙なストーリーテリング。父娘のドラマとしても秀逸なもので…ってか正直に書くと泣きました、オレは。
まあそんな感じで手段と目的が逆になってないのが美点かなと。
PCビューならではの方法で盛り上げる箇所も、こう来たか!の連続であり、特にお馴染みのあの「草原」で一瞬で強力なノスタルジーと共に映画の世界に引き込む冒頭、また誰もが知っている「設定」を最大のエモーショナルへと変換するクライマックスにはヤられる。
これは文句なしに面白い。
インド系監督がアジア人キャストで撮った映画、ということも痛快で…、自分なんかはやっぱり、インドの人が作る映画って『バーフバリ』みたいなのだろ?みたいなのに対してうーん…ってとこがあるので。


SEEDS | Google Glass from Aneesh Chaganty on Vimeo.


これは監督が以前にグーグルグラスで制作した2分半の短編なのだけど、もう才気迸ってるなあと。
食事と家族のイメージ反復、一瞬封筒を失くしかける所のサスペンス、洗濯物を干す母親のシーンのキメ絵としての圧倒的な強度…など隙がない。もとの素材がどれだけの長さあったんだろう?と考えると、ちょっと気が遠くなる。
 

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