ネトフリでこのホラー観ましたか?

今日は映画館でサメ映画をハシゴという夏らしいにも程がある過ごし方をしてしまいました。
『ケージ・ダイブ』、ファウンドフッテージ形式でしかもメチャクチャ嫌な気分になれるという新鮮なサメホラーだったのでみんな観るといいと思います。

それで僕の場合普段休みの日映画館に行かない場合はネトフリでダラダラ映画観ている場合が多いのですけど、これラインナップはなかなか良い一方で面白い映画を探すのが大変なんですよね。
自分はホラーに関してはそこそこ心得があるつもりだし、夏なのでなにか皆の見逃しているかもしれない面白いホラーを紹介していければというのが今回の趣旨で。もうこれは皆観ているだろうというのは今回はスルーしていきますのでご了承ください(『残穢』、『ミスト』、『REC』『パラノーマル・アクティビティ』、どれも傑作だけど観ましたか?)。
ホラーってやっぱその性質上出来れば映画館で観てほしいのですけど、そうは言っても都内ですら2、3館でしか公開してない、タイムテーブルがほぼレイト一日一回、なんてことも珍しくないジャンルでもあるので、こうして電気を消した部屋で気軽に楽しめるようになっているのはそれはそれでいい事と思います。
めどいので画像貼ったりとかはないですけど気になったら検索してみてください

そういえば昨年書いたPOV/ファウンドフッテージ縛りの記事もあったので置いておきます(ネトフリにはまだ無いやつもあります)


ネトフリのサイト見ながら書くから新しく追加されたほうからいく


『お化け屋敷列伝/戦慄迷宮MAX』
ええとコレから始める時点でフザけてるだろ?というご意見は重々承知の上なのですけど、それでもあえて言うと、この映画は面白い。
お馴染み富士急ハイランドの日本一怖い/長い常設お化け屋敷こと戦慄迷宮。あれは怖さレベルに複数の設定があって、イベント時はそのより怖いバージョンというのをやったりするのですけど、この映画はその設定はあるけどやらないというレベルマックスのところに挑戦して貰ってその様子を撮るというドキュメンタリ的内容。あるいは90年代の過激バラエティ番組か。
日本ってお化け屋敷までガラパゴス的なところがあって、その独自の進化の極点を見られるというのがひとつ。演出・シチュエーション、これ絶対怖い/かっこいいと唸らされる場面がいくつも登場する。挑戦者にカメラを持たせてPOV形式で見せるのも楽しいひと工夫かなと。
もうひとつは、我々ホラーファンというのは、勿論怖いものを見るのが好きなんだけれど、同時に(嫌らしくも)恐怖する人を見るのもまた同じ位好きということですよね。端的に言って、怖がる人というのは面白い。その演技としてじゃなく本当に心の底から怖がっている様子というのをここまで見せてくれる映画というのもないでしょう。また逆に、挑戦者の中で一人度胸MAX人間の方がいて、この人は我々とはまったく異なる世界観の中で生きているんだなというのがはっきり見えてそれも見もの。


『アパートメント:143』
『リミット』等で個人的にも大好きな名監督ロドリゴ・コルテスが手掛けた心霊POVもの。
やはりこの人の映画が単なるジャンル的なお約束物語に終始するはずなく、みるみるうちに意外な方向に舵を切っていく。
精神分析というか統合失調とオカルトの関係の話ってよく言われるけど、それをこのスタイルで語ろうとするのが偉い。捻った物語を語るのには工夫を要するジャンルではあるので。
キャラクターがおざなりにされがちな(観終わった後登場人物の名前が全然浮かんでこないとか)ところのあるジャンルの中で、ここまではっきりとキャラ立ちが感じられて彼らへの愛着も湧くというのは、ストーリーテリングの秀逸さを証明してもいる。
この手のもの好きな人にこそおすすめしたい一品。


『パラノーマル・アクティビティ第2章 TOKYO NIGHT』
有名シリーズの全然知られていない続編。これパチモンじゃなくてちゃんとオフィシャルな続編(というかスピンオフ)なのですよ。
手掛けるのは、『放送禁止』シリーズなど日本のモキュメンタリといえばこの人、な長江監督。
勿論シリーズ特有の手法…カメラを仕掛けて、登場人物たちが寝ている間に事が起こる…をやっているのだけど、しっかりJホラー的な文脈をそこにミックスしている。
生々しいお祓いのシークエンスであったり、長い黒髪を垂らした女幽霊というイメージの変奏形態のような"それ"など。
最後の最後のシークエンスだけは蛇足と言わざるを得ないけど、その直前の、住み慣れた家が闇に落ちた途端ゴーストハウスと化すという箇所は本当にぞっとさせられるものがある。


『エビデンス-全滅-』
砂漠の真ん中のガソリンスタンドにいくつも死体が転がっており、ビデオカメラが残されている、その映像から一体何が起きたのかを読み解く…という内容。
面白いのは、ファウンドフッテージスタイルを主流にしつつ、その合間に捜査チームが映像を検証していくパートが挿入されること。
といってもどっちつかずな内容という訳ではなく、発見映像の携帯カメラで廃墟を歩いていくところなどはかなり生々しい質感ですばらしい。
そしてオチ、反則スレスレながら、こう来たか!と唸らされる。というのは、超低予算で作ったPOV/ファウンドフッテージホラーで一発当てて新人監督デビュー、というのが流行った世相を見事に反映させていて…これ以上は書けないか。
これもまた通好みというか、この手の映画好きな人こそ楽しい映画でしょう。


『武器人間』
これはかなりハチャメチャなPOVホラー。
時代設定は二次大戦中で、ソ連軍の兵士がナチスの極秘施設に潜入していくが…という、POV形式でこの話、ありだったんだ!的な驚きの内容。
時代設定の為かカメラの手ぶれ補正などはなく、劇場のスクリーンで観た時は中々(三半規管に)クるものがあった。一人称過激アクション『ハードコア』という映画がちょっと前にやったけど、あれレベルの揺れを想定して下さい。
話はタイトルでほぼ言っているというか、勿論(?)ナチスが兵士と武器を融合した改造人間を作っていたというもの。
しかしこの武器人間たちのビジュアルがどれもケレン味に溢れ素晴らしい。それ、意味あるの?的なデザインの、ショッカーの怪人をエグい方向にふた回り強化しました的なバケモノが次から次へと登場。どんどん行っちゃいけない方へいけない方へ突っ込んでいってくれる"よく分かってる"展開も好印象。
作中、ナチスの博士が戦争を終結させるための驚きのアイディアを提示するのだが、その箇所は本当に最高。あらびきだなぁ~、って。


『ラスト・エクソシズム』
これもまた玄人向けファウンドフッテージの枠かな。
悪魔祓いをする神父を追ったドキュメンタリーの撮影、というところから入っていくんだけど、最初から意表を突く仕掛けを打ってくる。
この神父のやっている悪魔祓いというのがなんとイカサマ。そもそも神父は悪魔なんて信じていない。悪魔憑きなんてのは精神疾患に過ぎないと。
そこでどうするかと言えば、様々なトリックを使って超常現象を自分で演出し、マッチポンプ的に自分で解決、それを見て憑かれている本人がああ悪魔はいなくなったという風になれば心因性の疾患も治まり解決、というわけ。
それをモキュメンタリ=虚構のドキュメンタリとして見せるというところにこの映画の面白さがある。モキュメンタリの中でモキュメンタリを撮る。
虚構を前提にした真実、という構造が二重になっているわけだ。
その中で描かれる本当の本当とは何なのか?というところがこの映画。
上で書いた『エビデンス』と同じくジャンル批評的なところに突っ込んだ語り口の面白さがある。


『パラノーマル・アクティビティ3』
『パラノーマル・アクティビティ4』
これ、続編ちゃんと見てますか?というところで。
上でも書いたが本当に優れたシリーズなのだよね。
自分は全7作映画館で観ているけど、続編の中で特に優れている、大好きなのがこの二本。
ヘンリー・ジュースト&アリエル・シュルマンは『ナーヴ』『キャットフィッシュ』など、インターネットビデオカルチャー、ドキュメンタリへの批評を深く盛り込んだ作品を手掛ける切れ者監督コンビ。
この二本では仕事をキッチリこなし、映画作家としての腕の良さを見せつける。
3は単純に恐怖映画としてシリーズ中最高の出来。クライマックス、「勝手知ったる家が闇に沈んだ途端にゴーストハウスに変貌」展開のシークエンスは圧倒的に怖い。
4は一転シンプルかつミニマルな内容で、一作目に回帰したかのような引き絞った怖さで見せてくる。
と言いつつ新機軸もあり、ウェブチャットカメラを巧みに利用した志村後ろー!的カメラワークが新鮮な怖さ。


『トライアングル』
ヨットで海に出て遭難、通りがかった大型客船に迷い込む…というゴーストシップ的なストーリー。
船内には謎の殺人鬼がいて大変なことになる。謎の?いや、あいつどこかで見たような…。
ちょっと何も書けないが驚愕の展開を見せる一品。SF的ですらある。
ある種宗教的な話でもあって、話の展開や登場するモチーフの意味であるとか、主人公の選択は正しいのであろうか?とか、観た後かなり腹に残る深みを持った内容。


『フッテージ』
スコット・デリクソンのオカルト路線最高傑作。
引っ越した家で見つけたフィルムを再生すると凄惨な内容の一家殺人ビデオ。しかもそれがいくつもある。
不穏でおぞましくしかし目を離せなくなるカッコ良い画がバンバン出てくるが、ここでは音楽に特に着目したい。
オリジナルの劇伴のサントラはノイズ/実験系ホラーサントラの傑作であるし、その他の楽曲についてもUlver筆頭に異質すぎるチョイスで映像を更に凶悪なイメージに磨き上げる。
カタストロフィックなクライマックスでかかるSunn O))) & Borisの圧殺ドローンは崇高で神々しくすらある。映画館で観た時震えたなあ(音の振動で)。


『アフリクテッド』
過去記事でまるまる一本書いたのでこれを読んでくれ。
知られざる傑作。


『ロスト・ウィークエンド』
冷めた仲を修復しようと海沿いにキャンプに向かった夫婦の顛末を描く。
何とも説明の難しい映画。
何しろ様々なことが起こるのだけど、それが結局何であったのかは分からないし、そもそもがすべて偶然と言う事もできる。
ただ、その積み重ねで人は壊れうる。そういうことを描いている。
閉塞感に満ちて嫌な空気が映画の中に充満しており、じっとりと粘つく怖さがある。
観て判断してくださいとしか言えないが観た時には手遅れという難しい作品。


『フリーキッチン』
これをホラーと言うべきかわからないけど、ジャンル的にはここに分類されてるしなあ。まあそれはそれとして是非観て頂きたく。
福満しげゆき原作のミニマルな邦画という、今回挙げている中では異色な一本かな。でも素晴らしい出来。
お父さんが知らない女の人を連れてきた。
お母さんが料理がヘタだから、この人に料理の先生になってもらうんだよ。
しばらくしてその人はうちに来なくなった。お父さんも帰ってこなくなった。
それからお母さんは、毎日僕に、お肉の料理を食べさせる。


『死の恋人ニーナ』
昨年のベストに挙げたのでそちらで。
毒と笑いと切なさの青春ホラー傑作。


そんな感じでわぁっと挙げてみましたけど、どうですかね。観たことないやつありますかね。
最初普通にネトフリで観られるマイナーないい映画っていうのをジャンル関係なく挙げようと思ったのですけど、そうするとキリがないので今回はこんな感じに。
機会があれば少しづつそういうのもいきたいですけど。

それではよろしくどうぞ
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昨年読んだ怖い本

あけましておめでとうございます!
年末年始は年跨ぎ8連勤リレーで完全に心が闇に沈んでおりました
新年一発目ですが音楽の記事じゃないしそもそも今年の話でもない
まだ昨年を引きずった内容をちょっと書こうと思います

kuwaidan2016.jpg

昨年は60冊ほどの怖い本を読んだのですがせっかくだからベストを選出しました。

kuwaidanbest2016.jpg

城谷歩『恐怖怪談 呪ノ宴』
国内でも数少ない怪談バーである六本木のスリラーナイトで怪談師として怪談を語っている城谷さんの本。
これぞ!という感じの正統派な怪談を集めた内容ではあるのだけど、どうしてこれが怖い。
どこかで聴いたような話も、この人の語り口の上では極上の怖い話になる。

我妻俊樹 『奇々耳草紙 死怨』
この人は今コンスタントに書いている書き手の中で自分が一番好きな人なのだが、今回も期待以上のものをあげてきてくれたなと。
この人の話の特徴は、不条理。これに尽きる。普段生きている世界の理で解釈しようとするとワケが分からないのだが、どこか狂った場所で辻褄が合っている、そんな怖さであり、理屈の向こうの世界の理屈を読んでいるような感覚がリアルを感じさせる。頭で考えてこれは出てこないだろうという。
"行旅"は著者の代表作になりうる傑作。

黒史郎 『実話蒐録集 暗黒怪談』
この黒史郎さんも大好きな作家。
パキッと折れてしまって、接着剤でくっつけようとするとどうも破片が足りない、そんな噛み合わなさが不安を煽る怖い話。
この人は以前に頭がアレな人に関わってしまって怖い目に遭う、みたいないわゆる人間系の怖い話を集めた本も出していて、その超常と人間の狭間にあるような話も独特の味わい。
"山本、ごめん"という話が、一番大切なところがすっぽり抜け落ちているような感触が堪らなく不気味で大好き。


伊計翼 『怪談与太話~怖い話の最後に大声を出してびっくりさせる人はちがうと思った件~』
怪談を蒐集しては語るライヴを主として活動する怪談社の書記による一冊。
これが他とは毛色違った本で、怪談社の日常、という感じでエッセイ調に始まっていくのだけど、油断しているといつの間にか怖い話に引きずり込まれている。
不意でしかも鋭いネタを突き入れてくる、単純に読みものとして面白く、怪談目当てで読んでも非常に楽しませる一冊。


こんなところかな。
番外でもう二冊ほど紹介しますね。
怪談本ではないのだけど、この手のものが好きな人なら必ず楽しめるやつを。


吉田悠軌 『怪談現場 東京23区』
映画化もした『残穢』、あれのとった怪談へのアースダイバー的なアプローチを実際に仕掛けて東京の怪談を読み解く本。その土地というのはもともとどのような場所でどんな歴史/事件を経て来たのか?というのを徹底的にリサーチする。
怪談といえば水場、というけど、東京には水場は少ない。どういうことかというと、ほとんどが暗渠として地下に隠れている。じゃあその暗渠はどんな道の下を通っているのだろう?そんなところから、過去のその土地の表情を浮かび上がらせ、地図を透かすように…という、今までにないアプローチの怖い本。

森達也 『オカルト』
これも昨年文庫化したということで、ぜひ。
ドキュメンタリー映画監督の森達也が、事象超能力者、霊能者、催眠術師…などなど、あらゆるジャンルのオカルトな人々に会って話を聴いたルポルタージュ。これが信じるでもなく馬鹿にするでもなく、ただありのままに目の前で起きていることを受け入れて思考する、真摯な取材姿勢によって実に読み応えある一冊になっている。
「ある」とか「ない」とかはっきりしている物事のほうが少ないのかもしれない。
この手の話が好きな人なら必読の一冊かなと。



2016年は我妻俊樹と黒史郎という当代最強の書き手たちがそれぞれ二冊づつ出していたり、平山さんの全集シリーズも出ていたり、怖いものに関しては読むものがなく困るということが全くなかった年かなと。
上にもちょっと書いたけど怪談社のもの中心に結構頻繁にライヴで怖い話を聴きに行けたのも良かったな。
これも何度も書いてるけどやっぱり怪談って"談"であるので。
そんな感じで、2017年も怖い話を沢山読んだり聴いたりできるといいな。

2016年もありがとありがとなのですv

こんばんは!
皆さん、盛り上がってますか?
年間ベストです。
今年はシンプルに、音楽と、映画!で、いかせてください!
がんばっぺーっ、ウェイクアップガ~ルズ(ギネスビールの缶、カシューッ)!


最近

最近というか今日、3本の映画を観て来ました。
君の名は。、聲の形、怒り。
ツイッター公式からツイート貼ってくみたいなの試してみよう

君の名は。~






うーん日本のアニメ技術博覧会みたいな感じで映画としてはずんぐりしてて下品かもしれないけど、こう言わんとしていることには価値があるかなという映画だったなと。
あとやっぱ自分は青春厨的な感覚を嗅ぎ取るとどうしても肩入れ気味のポジションになってしまうというのはあるかな。
しかしつかさ君可愛かったな


聲の形~







これ、ザ・フーのマイジェネレーションのオープニングからただならぬアニメ、映画、という感じはするんだけど…。
ヒロインの女の子が聾で、言葉が奪われている、でも喋れないわけじゃない、何かを伝えようともがくことはできる、映画もそれに呼応するように多くを語らず比喩めいたイメージを繋いでいく…という。そのもどかしさ。
字幕とか一切出ないのが偉い。手話で、言葉以前の声で、それが何を表現しているのか、観る側も読み取ろうと努めることになる。
その一旦はノイズとして入って来るものを自分の中で飲み下していくうちに、こっちも映画の意を汲めるようになっていく。
それであのラスト。
素晴らしい。
あとこの映画、今年やった森達也監督の『FAKE』と対になる作品と思うので、どっちかで感動した人はぜひもう片方も観てほしいっすねー


怒り~






これはですね~ミステリタイプの映画なんで話に関して語れることはあまりないけど、とにかくもう極上の演技をただ堪能しましょうと。
パンフ(これがまた濃密な内容でとてもおすすめ)読むと、映画の中で役者たちはみんな本当に泣いていると分かって、しかもその感情の一番頂点のところっていうのは、みんな少ないテイク、普通に1テイクとかでキメている。ただ、そのために序盤のシーンのテストを延々40回や50回やってるっていう、ああ、役作るのってそういうことかって。
ほんとの涙を流すために、そこまでいくために自分の中に別の人生とか人格をつくっていく作業かって。
なんか感動のドラマみたいに書いちゃってるけどそうでもなく、本当に過酷で打ちのめされるような話なんだけど…
ただ上のツイートでも言ってる妻夫木と綾野のシーン、そこで綾野が言うことに集約されてると思いますハイ

このやり方覚えるとめっちゃ手抜きしてしまってマズいな~
てかまたしても全部邦画っすね
今年はホント邦画異様な豊作で…いいんですかねこんなにいい映画どんどん観られて…


あと前のセッションの音源あげています

クリーピー

なんかライブしたりセッションしたり映画観たりしていたら半月以上経ってましたねはい…

そんなわけで今日は映画の話を。
観て来ましたよ『クリーピー』。
最近、解ける謎がミステリー(サスペンス)で、解けない謎がホラーなのかな?っていう風に思っているんですけど、それで言ったら完全にホラーですよねこれは。
端的に虚無というか、謎を解こうとして見ればそこには何もない。で、それはここ最近表現される恐怖のかたちに共通するものでもある。

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公式サイト

コレもあんまり情報入れないで観たほうが面白い映画なんで、ネタバレなしでいきます


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これ観たらだれでも同じ事を思い浮かべると思ってて、というかある程度の人はあらすじだけでピンと来そうなんだけど…。
あの事件の特殊性はどういうことかというと、何が起こっていたかを解説しようとする図なり文なりが大量に出て、しかしそれらを読めば読むほど、実際にあの場で本当は何が起こっていたのかまるで解らなくなっていく、ということで。
そういう、とても理解し得ないような謎が、深い闇がありうる場所とは、どんなところなのだろう?
この映画は言う、それはおまえの隣だよと。


マルキ・ド・サドは閨房という最も親密な空間が開かれることが公共性だというふうに言っているけど、それに倣って言えば、『パラノーマル・アクティビティ』が僕らを芯から震撼せしめたのは、閨房、最も私的な領域であるベッドルームが、"それ"に対して開かれてしまっている…イメージに合う比喩を探すと…"呪われている"、しかも"すでに呪われている"ことを描いたからだ。
典型的には、恐怖は、(『クリーピー』のひとつの参照元である『悪魔のいけにえ』のように)呪われている土地に踏み込むこと、ついで呪いがそこからやって来ること、という形式をとっている。ここに移動があるということは因果と由来があるということと同義で、それはシンプルな教訓を喚起する。危ない場所に行かない、危ない人を家に入れない、という。ここでは家はセイフプレイスであって、その一番奥に位置するベッドルームは最も安全な空間としてイメージされている。
ところが最新型の恐怖はそういうものでなくて、自分が選びえない地点/時点においてそこがすでに呪われている、というものだ。
典型的な怪談に、超常的な現象が起こる家を解体してみると床下に埋められた井戸が出てきた、というものがあるけど、このイメージは新しい呪いの想像力にぴったりと合致する。
床下にひっそりと残る埋められた井戸からある日突然井戸水が湧くように、呪いが湧出する。これはアメリカではもちろん9.11に対応している。アメリカの本土が、しかもひとつの中心が直接攻撃されるという完全にあり得なかった事態、これが古井戸から湧いた呪いのように受容されたことは、あの日を境にアメリカ国内でのあらゆるセキュリティをとりまく状況が一変したことからも分かる。この呪いがどう受容されたかについて戦列に描かれているのは、奇しくも『クリーピー』と同時に続編が公開された『クローバーフィールド』だ。9.11のパロディとして描かれたこの映画のクライマックスで示されるのは、呪いが映画の始まるずっと前の──つまり映画にとってもう選択し得ない過去の──時制にすでにそこにやって来ていた、ということだ。

この古井戸の呪いをイメージさせる映画が、邦画ホラーの領域でも今年一本あった。傑作『残穢』だ。
新しい家にやって来たはずが、その土地はすでに呪われていて、しかもそれは自分が関わることがどう考えても不可能な過去の時点に措定されている。なんで今こういうことが描かれているのかということは、上で挙げた9.11の対応物を探せば簡単に分かる。
つまり…3.11のイメージは、いや、これこそが、まさに古井戸の呪いそのもので、自分の選択し得ない無限遠の過去の時点において、すでにここが呪われている、という恐怖を喚起する。


『クリーピー』にはオカルト的な要素は全くない。
にも拘らず、これが強烈な呪いのイメージを喚起するのはなぜだろう?と思っていて。
それはひとつにはどう掘り下げてもそこに因果が見いだせないということ、自分が破滅的な恐怖に襲われることの原因が(特に自分の落ち度としては)どこにもないということ。
もうひとつは親密圏のレイヤーで──人間関係におけるベッドルームのような、きわめて近い距離感で──それが古井戸からやって来る呪いのように突然湧き出てくるということ。
自分が関わり得ない選択によってそれはすでにそこに根差していて、突然姿を現したものであるということ。
この呪いの厄介なところは、"そこ"は常に"ここ"でもあり得るということだ。原因が見いだせず、やって来る姿も見えないということは、この呪いはもう"ここ"にあるのだとしても何もおかしくない。それは『残穢』における呪いのように、土地に根差しているのでなくて、あえて言うなら全体に、この社会の構造そのものの床下に埋まった古井戸だからだ。ちょうど3.11のあと僕らがずっと感じ続けている通奏低音のような不安と同じように。
この映画を見て、隣に住んでいる人間に関して不安を覚えない人というのがいるんだろうか?この記事の一番最初にとりあげた事件が明らかにしたことは、その呪いは普通に僕らの隣にすでにやって来ている、ということじゃなかったか?

説教くさいことを言うつもりはないけど、この不安の元を探ると、思わずにはいられないことがある。
『クリーピー』に現れるこの途轍もない怪物はどこからやって来たのか。呪いは湧いて出るけど、受肉しているものとしての怪物は違くて、やはりこれはどこからかやって来たものなのだ。ただそれを呪いのように感じさせているものがある、それがこれを"いま、ここ"の話足らしめている条件だ。
そこから想像されるのはこんな単純な見取り図だ。もともと怪物は野山にいたのだが、人里に自分が狩りをするのに適した餌場ができた。だからいまそいつはここにいる。現に今ここにある社会は、この怪物たちにとって実に都合のいい餌場を提供してしまってはいないか…?という。これは映画を観て貰って、この怪物がどうやって狩りをしているのかじっくり見て考えてもらいたいと思うな。
ただ、ここを呪ったのは、社会の床下に古井戸を埋めたのは、僕らがずっとやってきたことなんじゃないかと、僕にはそういう風に思えたな。



しかしまたクライマックスが良いのだよな。
ある転回によって、ベタなというか、ホラー的に言ったら失敗なエンディングに舵を切るように一瞬思えるんだけど、この映画が凄いのはそこからだ。
『残穢』で一躍国内トップクラスのホラー女優となった竹内結子の演技を見てほしい。いや見ずにはいられない。何も語る必要はない、これだけでいい、とう、役者への全的な信頼が感じられるシーン。
このエンディングが示す更なる転回はこれだ。すべてが失われてはいない、ということによって、より一層、何かが確かに喪われてしまった、ということは、強調される。その落ち窪むような虚無の、謎の、闇の深さ、床下の古井戸を覗き込むとはこういうことなのだ。

めちゃくちゃ怖い映画だった。とてもおすすめ。
 

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