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Olivia Block 『』 Henning Schmiedt 『Schöneweide』

というわけでここ数年のいいと言われている邦画を少しづつ観ていっているのですがこれも素晴らしかった、『永い言い訳』。
奥さんが事故に遭って死んだ時に浮気相手と逢ってた人気作家の話。葬儀とかテレビ出演とか色々するんだけど全然悲しみがやって来なくて困るという。
『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』は同じ状況…悼み忘れ…に関するアメリカ映画で見比べると面白いほか、『そして父になる』とも近いとこがあるな…と思ったらこの映画の監督さんは是枝監督のお弟子さんらしいですね。
どうりで、役者の良い表情を引き出す手腕が共通しているなと。
1年近くかけて撮影されているというのも邦画では珍しく、また方法論としてハマっていて、やっぱそういう時間っていうのは、特に人が関わり合う話描こうとすると画面に出てくるものだよなと思いますね。
それと観てて思ったのが、子どもが大人になる時っていうのは周囲や社会が「ココ!」と(成人式とかで)言ってくれるんだけど、大人がおじさんになる時ってそういうのがなくて。なりそびれてしまう人も多い。
法事とかで親戚の子供と会うと、オレ、いつ「お兄さん」から「おじさん」になるんだろう?とか思ったり。この映画は、主人公が40代半ばにしてやっと「おじさん」になるプロセスを描いているとも言えるような。


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そんな感じで出たばかりのピアノソロ作品二本立て
この季節の朝などやはりこういったものが身に沁みる
DSC_0038.jpg


Olivia Block 『』
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静音実験系のおなじみレーベルAnother Timbreより、サウンドアーティストOlivia Block オリビア・ブロックの無題作品。
この人はフィールドレコーディングしか聴いたことなかったのだが、これ聴くと演奏者としてもとても面白いというのが分かる。
13分~8分~13分の3パートに分かれていて、最初はまあこのレーベルらしいというか。
空気、空間ごと録音しているようなホワイトノイズと反響の中で、散発的にポツポツと置くように互いに関係のない音が放られていく。
不協和なような奇妙な響きで、メロディも構成せず、現音系のピアノってこういうのだなぁという音。
徐々に倍音の揺らぎを狙ったような演奏に変化するも、ピアノ演奏の枠を出ない、まぁこの手の王道といえば王道な。
続く2トラックめはいきなり弦を掻く音から始まり、内部奏法かと思っていると、後ろにジリジリというゼンマイのような音が聴こえる。
と思いきやかなりのスピードでパチパチと鳴るパーカッシヴな金属音。
恐らくこの辺りはモーター仕込みの機械か何かを使っていると思われ、ここに来て急激にピアノ演奏の想像の枠から外れた音になっていく。
途中ほぼ機械の作動音だけの箇所、ゴトゴトと重い金属の転がる音が溢れるような箇所すらあり、もう何の演奏なんだこれはってところまでいく。
3トラックめは、これもピアノに何らかの仕掛けを施していると思うが、低域のドローンと無音が交錯する虚無の境地。
なんちゅうか空間含み、無音の水面に近いところでいろんなものが踊っているような録音でもあるので静かな環境で聴くのがいいかなと。



Henning Schmiedt 『 Schöneweide』
ライナスレコードで買える
おなじみヘニング・シュミートおじさん最新作。
例によって本作も彼らしく普遍的な美しさをもったメロディがそこかしこに散りばめられているのだが、その一方で意外な仕掛けも施してある。
全15曲中の1-7をサイドA、8-15をサイドBと分けて裏ジャケに表記してある。
このうちサイドAの部分はまさに彼の音楽そのもの。空間の響きと演奏に際に楽器が生む軋みまで掬い取ったような繊細な録音で捉えられた"美しい音楽"。
驚いたのはサイドB。
冒頭の"Blauer Wind"からエレクトロニクスの冷たい響きとダブ風な音響加工が施された演奏。
音が反射して増殖するようなエフェクトをされた"barfuß laufe ich"はもっと電子的なアンビエントのような、今までにない響きだ。
パーカッション的な内部奏法にピアノ自体が生むノイズを加工した装飾も加わる"kann dich schon sehen"に至っては本来的なピアノ演奏のサウンドははもはや主軸でないようにも思える。
ラスト3曲はピアノ音源を用いたエレクトロニカのように聴こえる箇所も増えてきて、ここでも、今までひたすらにピアノにこだわってきたように思えるこの作家の意外な表情が窺える。
長いキャリアをぶれずに同じスタイルを貫いて捜索活動を続けてきた人だから、ここにきて新しいところに行こうとしているのが実に新鮮。
とはいえ、何がと言われても困るけどやっぱこの人の音楽だよなぁという感想。
聴き終われば不思議な統一感を感じるし、ちょっと冒険をしてきても全然空気を邪魔しない音楽っていう。冬の朝が楽しみになる。
ぜひ。
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Colin Stetson 『All This I Do For Glory』 Greg Fox 『The Gradual Progression』

ここ最近また休みの日ずっと映画館にいるんですけど、わりと面白い映画多すぎて嬉しい。
まず『新感染』、ゾンビ映画の勘所をキッチリ抑えつつ圧巻の見せ場を連打しつつドラマもおざなりにしない、ロケーションというかシチュエーションを徹底的に絞り込み凝縮するようなやり方でそれを達成しているというゾンビ映画のニュースタンダードの一本になりそうな傑作。
『ザ・ウォール』、カフカ的な状況から展開する戦場の悪夢的寓話で、ロドリゴ・コルテスのリミットのような、あるいはゲームのザ・ラインみたいな、ちょっと超現実的ですらあるような実話ベースソリッドシチュエーション戦争映画で異形ながら強烈な印象を残す作品だったなと。
『ダンケルク』、全編に渡って苛む地獄のような音響で、観終わったあとの感想が「生きて此岸に辿り着いた」というかつてない戦争映画だったな、『エイリアン・コヴェナント』、大体『君の名は。』だったな(「これってもしかして」「身体の内側から宇宙生物に」「「入れ替わってる!?」」)…とかですね。
ただ自分が一番ズンと来たのは『三度目の殺人』ですかね。
役所さんの顔のない怪物とでも言いたくなるような壮絶極まりない演技。なんと7度も繰り返される面会シーンでその度にまるで違う顔を見せていく。そこに引っ張られるように共演者もそれぞれ最高の仕事をしていて、特に福山雅治は今まで見た中でいちばん良かったな。光と影のによって喩えてみせるような撮影・画面づくりもいちいち正解!という感じであり、答えのない問いを投げかけてくる系の作品として相当残ってくるもののある作品だった。


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それでちょっと前にEx Eyeというバンドのアルバムについて書いたけど、その中心のふたりのソロアルバムがそれぞれ出ていたので買ってみた。
どちらも今年の焼きたてホヤホヤの作品。


DSC_0926.jpg

Colin Stetson 『All This I Do For Glory』

映像を見てもらえば分かる通りで、この人のやることは基本的にサックスソロだ。
あらゆる種類のサックスを用いて…特に巨大なバスサックスでの演奏が知られているが…循環呼吸を利用したきめの細かい反復演奏を行うという、一種のミニマル。
今回もオーバーダブもループも用いずライブ録音されているとはっきり表記されている。
その演奏はどこかテクノ的でもある。サックスの操作音でもってビートを作り出し、息の加減でノイズを滲ませたトーンはときに電子音のよう聴こえてくる。
ニュアンスの微妙な上昇下降、ふとしたブレイクに挟まれる叫びめいた音、ホーミーのように重なる持続音。
すべての要素が高いスキルで制御されていることがよく分かる。
"In The Clinches"でツェッペリン風の強靭なビートを聴かせたかと思えば"Spindrift"では弦楽隊のように聴こえたりと、曲によって全く別様の姿を見せもする。
ミニマルってストイックにひとつのことを極めた先にオープンな表現の世界が広がっているようなジャンルだったりして、それをこう正面から突き付けられれば、その強固な説得力の前に、参りました!となってしまう。


Greg Fox 『The Gradual Progression』

レーベルRVNGってのがなかなか面白いな。
この人もまたジャズ経由ミニマルタイプの表現者だけど、今回のアルバムではかなり様々な楽器の入ったアンサンブルライクな音を聴かせる。
その機材の中心になっているのは、今年の来日でも使用していたセンサリー・パーカッション。ドラムに装着して、叩く箇所やニュアンスによって割り当てられた音・エフェクトをトリガーするというものらしい。
アンビエントから様々な楽器の音、果ては合成音声まで、あらゆる音が鳴っており、そのベースとしてグレッグのドラミングがある。
基本的には執拗な反復のリズムがあるけれど、この人の場合はその展開力が半端じゃない。アクセントをずらし巧みに音に波を作り出し、ある大きなリズムを病的なまでに細かく割った上で音符の抜き差しをリアルタイムで仕掛けていく。
正直、一度二度聴いたのでは何が起きているのかまるで分からないドラミングだ。
僕はライヴで見たのでその様子を想像できるけど、にしてもあれは驚異としか言いようのないものだったな。
様々な構成要素がドラムの周囲に弾けまくるこの作品は刺激的でもちろん楽しいが、純然たるドラムの音のみのソロも聴いてみたい。
というか、この人の叩く音ならいくらでもいつまででも聴いていたい。
そう思わせる。

Michalis Moschoutis 『Nylon』

え~、ハイ!(笑)
久しぶりにここを訪れてみたら戦車を選択せよ。戦闘開始!などと書かれたバナーが下からせり上がってきたりして、あっ、なんか、自動的にそういうサイトに改造してくれるんだ!と思っておりました。
ひと月くらい空けていたのは普段通り仕事で死んでたってのもあるんですが、単純に新しい音楽をほぼ聴いてなかったからですかね?
あとsteamサマーセールもあったし笑
自分がやったやつだと…セールでなくとも300円で買えるのですけどone night standというゲームは非常におすすめです
痛飲した翌朝隣で寝てた知らない女の子と朝を過ごすという話なのですが、リンクレイターかソフィア・コッポラが超低予算で短編を撮ったらこうなるだろう、という感じ。
ロトスコープ風のアートスタイルやトレモロがかったギターのみの微睡みのサウンド等、あらゆる要素がひとつの方向を向いていて作品として完成されています。
ビターな内容ながら、ひとつの朝にさえ12もの結末があるということそれ自体に胸の締め付けられるような美しさがあります


映画もいっぱい見ていたのですけど、ローガン!パトリオットデイ!22年目の告白!ハクソーリッジ!どれも素晴らしかったのではないでしょうか。
洋画の三本はあえて僕が推さなくてもみんなが絶賛してると思いますが22年目の告白。
これは韓国のオリジナルのほうも結構好きだったのが、今回完全にいまの日本で公開して意義のある作品へとチューンされたリメイクでとても良かったなと。
震災と少年A。95年というのはやはり日本にとって特異点的な…自分もその時を生きていたからそう思うのだけど…年で、そこと今が直結している、95年に生まれた傷がいま浮かび上がる、それってすごく語るべきお話ではあるなと。
自分的にはその95年の回想シーンでテレビからシャ乱Qのシングルベッドが流れていたところでワリと満点!ってなったのですが。


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そんな昨月聴いた数少ない中でガツーンとやられたのがこれ。
タイトルはナイロン弦から来ているのかな?
LPちょっと手に入り難いけどデータだとブームカットで買える

音源は出たばかりで、レーベルのホロタイプ・エディションズというところもよく分からず、Michalis Moschoutisという人もこれが1枚目で全然情報が分からず(そもそも名前の読み方が分からん、ミハリス・モシャウティスで合ってます?)。ギリシャの人ということは辛うじて分かりますが。
あっ、レーベルはこれ自分でやってるとこなのか。公式サイトに載ってる。

でなんかちょっと以前のPANっぽい感じにてもう目を引き寄せられる微妙な気持ち悪さのジャケから素晴らしいこのアルバム、内容は近年の氏の実践をまとめたもの。
その実践というのは、アコースティックギター…クラシックギターの音響可能性を極限まで引き出すということ。


こう、アコースティック楽器の可能性を引き出すための特殊奏法/演奏というと例えばプリペアドピアノ的な、現代音楽の一派の実践を思い浮かべると思うけど、そういうのってある種アカデミックな、スーツキチッと着てホールで、繊細で音楽的な手つきで…みたいなイメージしますよね。
それ、そのイメージしたままで。ストップ。オーケーそのまま。
この人の演奏見てほしい。



どうですか?思ってたやつとかなり違いませんか?

バキバキとピッキングのアタックノイズのみが鳴る破壊的なピッキングはかなり衝撃的なものがあるけど、音源は全編こんなノリが続く。
聴いての印象としては、楽器の悲鳴が収められている。これに尽きる。

主たるアプローチは先のようなアタックノイズ演奏、それと複数の弓による弓弾き。
どちらも楽器への容赦のなさにまず驚く。
楽器に過剰な負荷をかけることによってノイズが生まれる、というのは、自分も演奏者として感覚的によく分かるのだけど、そこのみにフォーカスしているというのはやはり異常な…。
以前にもゴールデン・セレネーズについて同じことを書いたかな?楽器破壊というのはある面から見るとひとつの奏法アプローチに過ぎない、そしてあらゆる演奏とは緩慢に楽器を破壊していくことだ、というシンプルな一面の事実。
演奏の過程において楽器が損なわれることを厭わない時にここまで凄まじいサウンドが得られる、それを至近距離から収めたのがこのアルバムと言えるのかなと。

どれも過激きわまるサウンドで耳を拷問しアコースティックギターという言葉へのイメージを裏返すような凄まじい音。
自分としては"Braced Pair"のどう考えてもナイロン弦からこんな音は出ないだろうという弓弾きノイズが特に気に入った。

もうひとつ映像を貼っておきます


Cristian Alvear / Cyril Bondi / D'incise 『Stefan Thut 'ABC, 1-6'』

IMG_20170331_210619.jpg


art into life

バンドキャンプもある

持続音系に偏ったラインナップの印象があるMoving Furnitureから最新リリース、コレ系でお馴染みの三者が現代音楽家Stefan Thutの2012年のスコア"ABC, 1-6"を演奏したもの。
47分20秒1トラックの内容。

Cristian Alvear - guitar
Cyril Bondi - percussions, objects
D'incise - laptop

無音。
モーターの振動音。
無音。
無音。
スネア表面の擦過音。
無音。
コンタクトマイクのフィードバック。
無音。
無音、無音。
弦を一本弾く音。
無音……。

無音の時間が半分か、それよりすこし少ないか?それくらいの配分に感じる。
もともと色のない、虚無的な、反(半)-音楽とでも言いたくなるようなアプローチの共通する3人だけど、それにしたってこの音源は異常という気がする。


D'inciseによるモディファイの施されたギターを演奏するCristian Alvear


D'incise、Cyril Bondiを含むセッション


Stefan Thutによる別の曲の演奏


この演奏に用意された膨大な無音の時間を使って、こういうことを考えてみる。
50分の演奏が収められているCDがあるとする。
この演奏は、あるタイミングでピアノが一音弾かれるだけのものだ。
これは音楽だろうか?
言い換えれば、このCDに音楽的な価値はあるだろうか?
モノとしての価値なしで、その音源がデジタルリリースされていたら、買いたいと思うだろうか?

二音だったらどうだろう。
三音だったら。四音だったら……
これが一分に4回くらい鳴っている、というところまでくると、(価値を認めるかは別として)多くの人に「これは音楽だ」と同意が取れるんじゃないか。

少し違う位相から見てみる。
無音に音楽的な意味を見出すということの一番分かり易く解釈は、それが休符である、とすることだ。
ところで、休符があることの条件は、テンポないし、それに準ずる指示があることだ。縦軸-音程と、横軸-音価があって、休符であっても後者は要求する。
テンポがあることの条件は、二音以上の実音符が存在していることだ。
速度は、二点の測定点があって定義できるもののはずだ。

この視点をそのまま縦軸-音程に移植してみる。
単一の音と、音楽の違いは何か?
最初に一音だけの音楽というものについて考えたけど、もう一度その地点に戻ってみよう。
一音だけの音が音楽になるためには、どんな条件を付せばいい?
たとえばピーという単一の発信音が鳴っている。これを音楽とみなすことは難しい。
そこに違う音程のもう一音が重なればどうか?
さらにもう一音。
同一の持続音が数十分鳴り続けるようなドローンの音源を僕も好んで買うけど、それは単純にはこういうものだと言えるだろう。

二点の音が配置されている。リズム。
二音が重なっている。コード、とか、ハーモニー、とか呼ぶ。
"音楽的"であること、"音"が"音楽"であるとみなされること。
お察しの通りで、音が別のある音との関係の中で相補的なやり方で互いを位置づけあっているとき(同じ文脈の上に、あるいはその文脈を構成するために、相対的なものとして配置されているとき)、それを"音楽的"と呼ぶのではないかな?あるいは、それがミニマムな条件なのでは?という風に僕は考えている。


面白いので、最後にもう少しだけ別の問題も立ち上げておこう。
単純にポップソングで考えてみてほしい。
35分のアルバムがある。68分のアルバムがある。
ギター弾き語りのアルバムがある。バンドにオーケストラまでついて音のギチギチに詰まったアルバムがある。
同じ値段で売っている。
これって、何かおかしくないか?
良くない音楽、良い音楽、みたいな主観の価値づけでなくて、それは明瞭な基準のはずだ。
このことは、やはり無音であるとか音の欠けにたいして、一般的な考え方としてある種の価値を見出しているということなのかなと。
で、それを延長していく…ギターの弾き語りのほうのコードの構成音を一音づつ減らして、歌詞も絞っていく…と、上のほうで書いたような一音の音楽というものに近づいていくわけ。
これってフォーマットゆえのおかしさというか、バンドキャンプなんかでアーティストが好きに自分の音楽に値段をつけられるようになったことで気付いたところでもあるのだけど…。


なんて言っていると今回取り上げているアルバムは終わっていたのだが、このアルバムの面白いところをもうひとつ見つけた。
終わっていることに気づけない。
それが音楽が終わったという無音なのか、演奏の合間に設置された無音なのか、2分程経ってやっと気づく。
このことは、自分でセッションなんかしていてもよく思うのだけど、即興演奏の終わりについての感覚を思い起こさせる。
音の余韻が消えるタイミングで演奏の当事者たちが顔を見合わせて頷きあうような場面を、この手の音楽が好きな人なら見たことがあるはずだ。
演奏の終わりというのは、複数の音=演奏者たちの相補的な関係の中で定位された焦点のようなものなんじゃないか。


それぞれが他の音と同線上に配置されることを拒否するような無意味に放られた音たちの中で、だからこそその終わりだけは強く取り結ばれた同意なのではないかな?と想像する。
静かな部屋で聴いてほしい一枚。

Dave Phillips 『South Africa Recordings』 Marc Behrens 『Sleppet』

今日は二本の映画を観て来ました。
『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』、『愚行録』、どちらもメチャクチャ良かったですね~~
前者は少し早く春がやって来たような晴れやかな気持ちで映画館を出られる映画で、後者はどんよりとした気持ちで息も絶え絶えに映画館を出ることになる映画です。











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今日はフィールドレコーディング二作。
どちらもArt Into Lifeで買えます。

southafrica.jpg
うちでは何度も取り上げているスイスのアクショニストDave Phillips デイブ・フィリップスによる二枚組フィールドレコーディングシリーズ最新作。
このシリーズはベトナム、タイ等様々なロケーションのものがリリースされているけど、今回は南アフリカにて2015年末から2016年頭に録音されたもの。ちなみに当の地は南半球なので季節が日本と逆で、そのくらいの時期の気温は30度~43度になる。特に生物絡みの録音をしようとしたらベストシーズンというわけ。
シリーズでは基本的に無加工の音源を収めたものになっていたけど、今回はイコライジングとパンのエフェクトのみ用いているとの表記がある。そのほか、特徴的なのが、合間合間に2-4の録音をレイヤードしたトラックが入っている。
以前にカセットでリリースしていたものにコウモリの発する音を無加工と加工で片面ずつ収めたものがあったから、それの感じがちょっと入っていると。
毎度のことながら録音がとても良い。大音量で、ヘッドホンを用いてのリスニングを推奨、とあるけど、なるほど包み込むような広い音場から耳もとでちらつく羽虫の音まで繊細に録音されている。
大まかに二つの方向性でのレコーディングがあって、ひとつは単一の対象に照準して録音したもの。動物や虫の声など。これは短いトラックが多くて、10秒に満たないものもある。もうひとつは環境に照準して録音したもの。あるロケーション、シチュエーションでの場のサウンドスケープを捉えている。こちらは圧巻20分越えのトラックもあって、じっくりと聴かせる。
急な天候の変化にフォーカスして、突如としてやってくる激しい雷雨の様子を捉えたトラックなんかもある。こういうのは以前の作品ではあまりなかったはず。
それぞれのトラックには長い長いタイトルがつけられ、状況が細かく記述してある。

このシリーズ聴いていてよく思うことなのだが、やはり自然はミニマルだ。
生態系は機械的なものではなくて、個々のものたちがランダムに、ばらばらに振舞っている、というイメージを持ちがちなのだが、実際にこうして音として聴いてみると、一定の規律に基づいた調和ある響き、周期性を持っている。
ジョジョで黄金の回転ってのを言っていて、黄金比を用いた黄金長方形を回転させると得られる渦が、ミクロからマクロまで、自然のあらゆるところに存在している、という話なんだけど、それをスゴク感じるのだよね。
アリが隊列を組んで進むようなメカニズムは自然中に普遍的なものなのかもしれないと。


sleppet.jpg

こちらは09年のノルウェーでのフィールドレコーディングツアーをもとに制作された同名のコンピのスピンオフ的作品。
コンピでは6名のサウンドアーティストによるトラックが収められていたけど、このCDはその中のMarc Behrens マーク・ベーレンスにフォーカスしてコンピの中の同氏によるトラックにアウトテイク3つを加えたもの。
アウトテイクといってもクオリティは高く、ほぼ自然な録音から加工によってなにか電子的な響きに変調したものまで幅のある内容。4曲とも10分前後の尺の中で場面が次々移り変わるように展開していく。クレジットに"Composed and produced by Marc Behrens"とあるのだけど、氏は環境音を素材に曲を構成するという意識が結構強いのではないかな。
"Sheep and Industry"なんてタイトルのトラックは突飛な組み合わせに笑ってしまうが、中身を聴くとゴツゴツとしたカッコいいコンクレートノイズになっていたりする。
気に入っているのは"Glacier"というトラックで、タイトルの通り氷河での音を用いて作られたもの。これが足下の水滴から遠景の地鳴りのような環境音まで、ミクロ-マクロの視点をギュッと凝縮して聴けるようにしたような作り。白一色の世界からのものとは思えないような色彩豊かな響きがしかしやっぱり全体では調和しているというところに、自然の音のおもしろさがある。


酷暑から酷寒まで、この気温差は続けて聴いていたら風邪をひきそうになるけど、どちらも秀逸なフィールドレコーディング作品かなと。
寝るとき聴いていると心細くも雄大な気持ちになる。


Marc Behrens、ライブの様子もなかなか面白いので続きに貼っておこう。

 

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