Colin Stetson 『All This I Do For Glory』 Greg Fox 『The Gradual Progression』

ここ最近また休みの日ずっと映画館にいるんですけど、わりと面白い映画多すぎて嬉しい。
まず『新感染』、ゾンビ映画の勘所をキッチリ抑えつつ圧巻の見せ場を連打しつつドラマもおざなりにしない、ロケーションというかシチュエーションを徹底的に絞り込み凝縮するようなやり方でそれを達成しているというゾンビ映画のニュースタンダードの一本になりそうな傑作。
『ザ・ウォール』、カフカ的な状況から展開する戦場の悪夢的寓話で、ロドリゴ・コルテスのリミットのような、あるいはゲームのザ・ラインみたいな、ちょっと超現実的ですらあるような実話ベースソリッドシチュエーション戦争映画で異形ながら強烈な印象を残す作品だったなと。
『ダンケルク』、全編に渡って苛む地獄のような音響で、観終わったあとの感想が「生きて此岸に辿り着いた」というかつてない戦争映画だったな、『エイリアン・コヴェナント』、大体『君の名は。』だったな(「これってもしかして」「身体の内側から宇宙生物に」「「入れ替わってる!?」」)…とかですね。
ただ自分が一番ズンと来たのは『三度目の殺人』ですかね。
役所さんの顔のない怪物とでも言いたくなるような壮絶極まりない演技。なんと7度も繰り返される面会シーンでその度にまるで違う顔を見せていく。そこに引っ張られるように共演者もそれぞれ最高の仕事をしていて、特に福山雅治は今まで見た中でいちばん良かったな。光と影のによって喩えてみせるような撮影・画面づくりもいちいち正解!という感じであり、答えのない問いを投げかけてくる系の作品として相当残ってくるもののある作品だった。


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それでちょっと前にEx Eyeというバンドのアルバムについて書いたけど、その中心のふたりのソロアルバムがそれぞれ出ていたので買ってみた。
どちらも今年の焼きたてホヤホヤの作品。


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Colin Stetson 『All This I Do For Glory』

映像を見てもらえば分かる通りで、この人のやることは基本的にサックスソロだ。
あらゆる種類のサックスを用いて…特に巨大なバスサックスでの演奏が知られているが…循環呼吸を利用したきめの細かい反復演奏を行うという、一種のミニマル。
今回もオーバーダブもループも用いずライブ録音されているとはっきり表記されている。
その演奏はどこかテクノ的でもある。サックスの操作音でもってビートを作り出し、息の加減でノイズを滲ませたトーンはときに電子音のよう聴こえてくる。
ニュアンスの微妙な上昇下降、ふとしたブレイクに挟まれる叫びめいた音、ホーミーのように重なる持続音。
すべての要素が高いスキルで制御されていることがよく分かる。
"In The Clinches"でツェッペリン風の強靭なビートを聴かせたかと思えば"Spindrift"では弦楽隊のように聴こえたりと、曲によって全く別様の姿を見せもする。
ミニマルってストイックにひとつのことを極めた先にオープンな表現の世界が広がっているようなジャンルだったりして、それをこう正面から突き付けられれば、その強固な説得力の前に、参りました!となってしまう。


Greg Fox 『The Gradual Progression』

レーベルRVNGってのがなかなか面白いな。
この人もまたジャズ経由ミニマルタイプの表現者だけど、今回のアルバムではかなり様々な楽器の入ったアンサンブルライクな音を聴かせる。
その機材の中心になっているのは、今年の来日でも使用していたセンサリー・パーカッション。ドラムに装着して、叩く箇所やニュアンスによって割り当てられた音・エフェクトをトリガーするというものらしい。
アンビエントから様々な楽器の音、果ては合成音声まで、あらゆる音が鳴っており、そのベースとしてグレッグのドラミングがある。
基本的には執拗な反復のリズムがあるけれど、この人の場合はその展開力が半端じゃない。アクセントをずらし巧みに音に波を作り出し、ある大きなリズムを病的なまでに細かく割った上で音符の抜き差しをリアルタイムで仕掛けていく。
正直、一度二度聴いたのでは何が起きているのかまるで分からないドラミングだ。
僕はライヴで見たのでその様子を想像できるけど、にしてもあれは驚異としか言いようのないものだったな。
様々な構成要素がドラムの周囲に弾けまくるこの作品は刺激的でもちろん楽しいが、純然たるドラムの音のみのソロも聴いてみたい。
というか、この人の叩く音ならいくらでもいつまででも聴いていたい。
そう思わせる。
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Michalis Moschoutis 『Nylon』

え~、ハイ!(笑)
久しぶりにここを訪れてみたら戦車を選択せよ。戦闘開始!などと書かれたバナーが下からせり上がってきたりして、あっ、なんか、自動的にそういうサイトに改造してくれるんだ!と思っておりました。
ひと月くらい空けていたのは普段通り仕事で死んでたってのもあるんですが、単純に新しい音楽をほぼ聴いてなかったからですかね?
あとsteamサマーセールもあったし笑
自分がやったやつだと…セールでなくとも300円で買えるのですけどone night standというゲームは非常におすすめです
痛飲した翌朝隣で寝てた知らない女の子と朝を過ごすという話なのですが、リンクレイターかソフィア・コッポラが超低予算で短編を撮ったらこうなるだろう、という感じ。
ロトスコープ風のアートスタイルやトレモロがかったギターのみの微睡みのサウンド等、あらゆる要素がひとつの方向を向いていて作品として完成されています。
ビターな内容ながら、ひとつの朝にさえ12もの結末があるということそれ自体に胸の締め付けられるような美しさがあります


映画もいっぱい見ていたのですけど、ローガン!パトリオットデイ!22年目の告白!ハクソーリッジ!どれも素晴らしかったのではないでしょうか。
洋画の三本はあえて僕が推さなくてもみんなが絶賛してると思いますが22年目の告白。
これは韓国のオリジナルのほうも結構好きだったのが、今回完全にいまの日本で公開して意義のある作品へとチューンされたリメイクでとても良かったなと。
震災と少年A。95年というのはやはり日本にとって特異点的な…自分もその時を生きていたからそう思うのだけど…年で、そこと今が直結している、95年に生まれた傷がいま浮かび上がる、それってすごく語るべきお話ではあるなと。
自分的にはその95年の回想シーンでテレビからシャ乱Qのシングルベッドが流れていたところでワリと満点!ってなったのですが。


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そんな昨月聴いた数少ない中でガツーンとやられたのがこれ。
タイトルはナイロン弦から来ているのかな?
LPちょっと手に入り難いけどデータだとブームカットで買える

音源は出たばかりで、レーベルのホロタイプ・エディションズというところもよく分からず、Michalis Moschoutisという人もこれが1枚目で全然情報が分からず(そもそも名前の読み方が分からん、ミハリス・モシャウティスで合ってます?)。ギリシャの人ということは辛うじて分かりますが。
あっ、レーベルはこれ自分でやってるとこなのか。公式サイトに載ってる。

でなんかちょっと以前のPANっぽい感じにてもう目を引き寄せられる微妙な気持ち悪さのジャケから素晴らしいこのアルバム、内容は近年の氏の実践をまとめたもの。
その実践というのは、アコースティックギター…クラシックギターの音響可能性を極限まで引き出すということ。


こう、アコースティック楽器の可能性を引き出すための特殊奏法/演奏というと例えばプリペアドピアノ的な、現代音楽の一派の実践を思い浮かべると思うけど、そういうのってある種アカデミックな、スーツキチッと着てホールで、繊細で音楽的な手つきで…みたいなイメージしますよね。
それ、そのイメージしたままで。ストップ。オーケーそのまま。
この人の演奏見てほしい。



どうですか?思ってたやつとかなり違いませんか?

バキバキとピッキングのアタックノイズのみが鳴る破壊的なピッキングはかなり衝撃的なものがあるけど、音源は全編こんなノリが続く。
聴いての印象としては、楽器の悲鳴が収められている。これに尽きる。

主たるアプローチは先のようなアタックノイズ演奏、それと複数の弓による弓弾き。
どちらも楽器への容赦のなさにまず驚く。
楽器に過剰な負荷をかけることによってノイズが生まれる、というのは、自分も演奏者として感覚的によく分かるのだけど、そこのみにフォーカスしているというのはやはり異常な…。
以前にもゴールデン・セレネーズについて同じことを書いたかな?楽器破壊というのはある面から見るとひとつの奏法アプローチに過ぎない、そしてあらゆる演奏とは緩慢に楽器を破壊していくことだ、というシンプルな一面の事実。
演奏の過程において楽器が損なわれることを厭わない時にここまで凄まじいサウンドが得られる、それを至近距離から収めたのがこのアルバムと言えるのかなと。

どれも過激きわまるサウンドで耳を拷問しアコースティックギターという言葉へのイメージを裏返すような凄まじい音。
自分としては"Braced Pair"のどう考えてもナイロン弦からこんな音は出ないだろうという弓弾きノイズが特に気に入った。

もうひとつ映像を貼っておきます


Cristian Alvear / Cyril Bondi / D'incise 『Stefan Thut 'ABC, 1-6'』

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art into life

バンドキャンプもある

持続音系に偏ったラインナップの印象があるMoving Furnitureから最新リリース、コレ系でお馴染みの三者が現代音楽家Stefan Thutの2012年のスコア"ABC, 1-6"を演奏したもの。
47分20秒1トラックの内容。

Cristian Alvear - guitar
Cyril Bondi - percussions, objects
D'incise - laptop

無音。
モーターの振動音。
無音。
無音。
スネア表面の擦過音。
無音。
コンタクトマイクのフィードバック。
無音。
無音、無音。
弦を一本弾く音。
無音……。

無音の時間が半分か、それよりすこし少ないか?それくらいの配分に感じる。
もともと色のない、虚無的な、反(半)-音楽とでも言いたくなるようなアプローチの共通する3人だけど、それにしたってこの音源は異常という気がする。


D'inciseによるモディファイの施されたギターを演奏するCristian Alvear


D'incise、Cyril Bondiを含むセッション


Stefan Thutによる別の曲の演奏


この演奏に用意された膨大な無音の時間を使って、こういうことを考えてみる。
50分の演奏が収められているCDがあるとする。
この演奏は、あるタイミングでピアノが一音弾かれるだけのものだ。
これは音楽だろうか?
言い換えれば、このCDに音楽的な価値はあるだろうか?
モノとしての価値なしで、その音源がデジタルリリースされていたら、買いたいと思うだろうか?

二音だったらどうだろう。
三音だったら。四音だったら……
これが一分に4回くらい鳴っている、というところまでくると、(価値を認めるかは別として)多くの人に「これは音楽だ」と同意が取れるんじゃないか。

少し違う位相から見てみる。
無音に音楽的な意味を見出すということの一番分かり易く解釈は、それが休符である、とすることだ。
ところで、休符があることの条件は、テンポないし、それに準ずる指示があることだ。縦軸-音程と、横軸-音価があって、休符であっても後者は要求する。
テンポがあることの条件は、二音以上の実音符が存在していることだ。
速度は、二点の測定点があって定義できるもののはずだ。

この視点をそのまま縦軸-音程に移植してみる。
単一の音と、音楽の違いは何か?
最初に一音だけの音楽というものについて考えたけど、もう一度その地点に戻ってみよう。
一音だけの音が音楽になるためには、どんな条件を付せばいい?
たとえばピーという単一の発信音が鳴っている。これを音楽とみなすことは難しい。
そこに違う音程のもう一音が重なればどうか?
さらにもう一音。
同一の持続音が数十分鳴り続けるようなドローンの音源を僕も好んで買うけど、それは単純にはこういうものだと言えるだろう。

二点の音が配置されている。リズム。
二音が重なっている。コード、とか、ハーモニー、とか呼ぶ。
"音楽的"であること、"音"が"音楽"であるとみなされること。
お察しの通りで、音が別のある音との関係の中で相補的なやり方で互いを位置づけあっているとき(同じ文脈の上に、あるいはその文脈を構成するために、相対的なものとして配置されているとき)、それを"音楽的"と呼ぶのではないかな?あるいは、それがミニマムな条件なのでは?という風に僕は考えている。


面白いので、最後にもう少しだけ別の問題も立ち上げておこう。
単純にポップソングで考えてみてほしい。
35分のアルバムがある。68分のアルバムがある。
ギター弾き語りのアルバムがある。バンドにオーケストラまでついて音のギチギチに詰まったアルバムがある。
同じ値段で売っている。
これって、何かおかしくないか?
良くない音楽、良い音楽、みたいな主観の価値づけでなくて、それは明瞭な基準のはずだ。
このことは、やはり無音であるとか音の欠けにたいして、一般的な考え方としてある種の価値を見出しているということなのかなと。
で、それを延長していく…ギターの弾き語りのほうのコードの構成音を一音づつ減らして、歌詞も絞っていく…と、上のほうで書いたような一音の音楽というものに近づいていくわけ。
これってフォーマットゆえのおかしさというか、バンドキャンプなんかでアーティストが好きに自分の音楽に値段をつけられるようになったことで気付いたところでもあるのだけど…。


なんて言っていると今回取り上げているアルバムは終わっていたのだが、このアルバムの面白いところをもうひとつ見つけた。
終わっていることに気づけない。
それが音楽が終わったという無音なのか、演奏の合間に設置された無音なのか、2分程経ってやっと気づく。
このことは、自分でセッションなんかしていてもよく思うのだけど、即興演奏の終わりについての感覚を思い起こさせる。
音の余韻が消えるタイミングで演奏の当事者たちが顔を見合わせて頷きあうような場面を、この手の音楽が好きな人なら見たことがあるはずだ。
演奏の終わりというのは、複数の音=演奏者たちの相補的な関係の中で定位された焦点のようなものなんじゃないか。


それぞれが他の音と同線上に配置されることを拒否するような無意味に放られた音たちの中で、だからこそその終わりだけは強く取り結ばれた同意なのではないかな?と想像する。
静かな部屋で聴いてほしい一枚。

Dave Phillips 『South Africa Recordings』 Marc Behrens 『Sleppet』

今日は二本の映画を観て来ました。
『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』、『愚行録』、どちらもメチャクチャ良かったですね~~
前者は少し早く春がやって来たような晴れやかな気持ちで映画館を出られる映画で、後者はどんよりとした気持ちで息も絶え絶えに映画館を出ることになる映画です。











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今日はフィールドレコーディング二作。
どちらもArt Into Lifeで買えます。

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うちでは何度も取り上げているスイスのアクショニストDave Phillips デイブ・フィリップスによる二枚組フィールドレコーディングシリーズ最新作。
このシリーズはベトナム、タイ等様々なロケーションのものがリリースされているけど、今回は南アフリカにて2015年末から2016年頭に録音されたもの。ちなみに当の地は南半球なので季節が日本と逆で、そのくらいの時期の気温は30度~43度になる。特に生物絡みの録音をしようとしたらベストシーズンというわけ。
シリーズでは基本的に無加工の音源を収めたものになっていたけど、今回はイコライジングとパンのエフェクトのみ用いているとの表記がある。そのほか、特徴的なのが、合間合間に2-4の録音をレイヤードしたトラックが入っている。
以前にカセットでリリースしていたものにコウモリの発する音を無加工と加工で片面ずつ収めたものがあったから、それの感じがちょっと入っていると。
毎度のことながら録音がとても良い。大音量で、ヘッドホンを用いてのリスニングを推奨、とあるけど、なるほど包み込むような広い音場から耳もとでちらつく羽虫の音まで繊細に録音されている。
大まかに二つの方向性でのレコーディングがあって、ひとつは単一の対象に照準して録音したもの。動物や虫の声など。これは短いトラックが多くて、10秒に満たないものもある。もうひとつは環境に照準して録音したもの。あるロケーション、シチュエーションでの場のサウンドスケープを捉えている。こちらは圧巻20分越えのトラックもあって、じっくりと聴かせる。
急な天候の変化にフォーカスして、突如としてやってくる激しい雷雨の様子を捉えたトラックなんかもある。こういうのは以前の作品ではあまりなかったはず。
それぞれのトラックには長い長いタイトルがつけられ、状況が細かく記述してある。

このシリーズ聴いていてよく思うことなのだが、やはり自然はミニマルだ。
生態系は機械的なものではなくて、個々のものたちがランダムに、ばらばらに振舞っている、というイメージを持ちがちなのだが、実際にこうして音として聴いてみると、一定の規律に基づいた調和ある響き、周期性を持っている。
ジョジョで黄金の回転ってのを言っていて、黄金比を用いた黄金長方形を回転させると得られる渦が、ミクロからマクロまで、自然のあらゆるところに存在している、という話なんだけど、それをスゴク感じるのだよね。
アリが隊列を組んで進むようなメカニズムは自然中に普遍的なものなのかもしれないと。


sleppet.jpg

こちらは09年のノルウェーでのフィールドレコーディングツアーをもとに制作された同名のコンピのスピンオフ的作品。
コンピでは6名のサウンドアーティストによるトラックが収められていたけど、このCDはその中のMarc Behrens マーク・ベーレンスにフォーカスしてコンピの中の同氏によるトラックにアウトテイク3つを加えたもの。
アウトテイクといってもクオリティは高く、ほぼ自然な録音から加工によってなにか電子的な響きに変調したものまで幅のある内容。4曲とも10分前後の尺の中で場面が次々移り変わるように展開していく。クレジットに"Composed and produced by Marc Behrens"とあるのだけど、氏は環境音を素材に曲を構成するという意識が結構強いのではないかな。
"Sheep and Industry"なんてタイトルのトラックは突飛な組み合わせに笑ってしまうが、中身を聴くとゴツゴツとしたカッコいいコンクレートノイズになっていたりする。
気に入っているのは"Glacier"というトラックで、タイトルの通り氷河での音を用いて作られたもの。これが足下の水滴から遠景の地鳴りのような環境音まで、ミクロ-マクロの視点をギュッと凝縮して聴けるようにしたような作り。白一色の世界からのものとは思えないような色彩豊かな響きがしかしやっぱり全体では調和しているというところに、自然の音のおもしろさがある。


酷暑から酷寒まで、この気温差は続けて聴いていたら風邪をひきそうになるけど、どちらも秀逸なフィールドレコーディング作品かなと。
寝るとき聴いていると心細くも雄大な気持ちになる。


Marc Behrens、ライブの様子もなかなか面白いので続きに貼っておこう。

Dither 『Dither』

『サウルの息子』という映画を観まして、これが先の大戦時の強制収容所を舞台にしたいわゆるホロコースト映画なんですけど、とんでもない一品でしたねハイ。
ガス・ヴァン・サントの『エレファント』という映画があって、これの有名なシーンに、男の子が学校の中を歩いていくのを彼の背中~肩越しのカメラで映してず~っとワンカットで…階段上って、角曲がって、いろんな人とすれ違ったり、挨拶したり…ってのがあるんですけど、この映画はそれをもっと徹底した形でやってるんですね。
収容所で主に死体処理なんかの雑用をやっていたゾンダーコマンドと呼ばれるユダヤの人達がいたんですけど、主人公サウルはそれ。で、映画ではその彼とほぼ同じ視線を共有する位の位置にカメラをつけていて。
ただ画面の半分くらいはサウルの頭で埋まっている。視線を共有すると書いたけど、見えない部分のほうが多いんですねこの映画は。
フォーカスはサウルの頭のほうに合っていて周囲の景色はほとんどピンぼけ、カメラの射角は狭く、状況を俯瞰で映すことはない。
でもそれゆえに隙間から見えるものが際立っている。そこら中に無造作に転がる死体であり、死体を焼く煙の覆いつくすそれであり、鉄扉の向こうから響く悲鳴であり…。
絶滅収容所での、ただの日常(と書いて、じごく、と読む)。そういうものを劇伴も説明も排してただ淡々と描いている。
歴史の闇の社会見学であり、人間処理工場という限界状況の職場体験。地獄の釜の底VRであり人間の成し得る凡そ最低最悪の行為4DX。
これはちょっと過去に類を見ない異形の傑作ホロコーストムービーかなと。ぜひ。


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Dither
2010年作。

前にちょっぴりこの人達について書いた時にも貼ったけどやはりこの演奏から。

アヴァンギャルドな演奏だけど、大袈裟な身振りや表情まで含めたやりとりの様子など、どこか遊びに満ちてるという感じがするんだよね。
遊びといえばこの曲はジョン・ゾーンの"ラクロス"、いわゆるゲームピース。あらかじめ意味の定められたジェスチャーやカードを用いて、互いにコミュニケーションをとりながら演奏を進めていく。
彼らはゾーンの楽曲集も(ゾーン自身のレーベルから!)リリースして、そこでもこの手の曲を中心に取り上げている。
そんなとこも含め、僕は彼らについて、遊びの好きな人たち、知性と遊びによってギターカルテットというものの可能性を拡張していこうとする人たちだという印象を持っている。


Dither ディザーはNYCのギター・カルテットで、メンバーはTaylor Levine、David Linaburg、Joshua Lopes、James Mooreとある。
ditherという言葉の意味は、おろおろする、うろたえる、混乱する。へー、おもしろいじゃん。
アルバムは8曲入り53分で、うち4~7は"Cross-sections"なる楽曲の4つのパートに分かれたもの。
彼らは即興演奏ではなく、曲を演奏する。といっても、先ほども書いた通りゲームピースのような現代音楽的なものが多いようだけど…。
コンポーザーの名前を見てみると、Lainie Fefferman、Jascha Narveson、Lisa R. Coonsとあって、まぁ全然知らんのですが…エリオット・シャープによる解説を読むと、これはやはりNYCベースの若手の作曲家たちの作品を取り上げてるとのこと。


例えばその中の一人の曲を挙げてみるとこんな感じなので推して知るべし


実際にアルバムを聴いていくと、まず多芸さに驚く。ついで全く違うものの収められた引き出しを手際よく開け閉めしていくフットワーク。
全体にさり気なく行き渡ったユーモアというか、ある種のマスロックバンドが得意としていたような音楽的飛躍。
そしてやはり、それらがエレクトリックギター×4という形態で表現されていること。
オープニングの"Tongue of Thorns"は一定のリズムで単一のコードを刻み続ける様が土台になるチャタム/ブランカ的アプローチのミニマルで、倍音の独特の濁りと微妙に加えられる装飾のフレーズが徐々に変化する。
続く"Vectors"。クリーントーンの単音のフレーズ~ハーモニクスなどを4本のギターが絡めていくのだけど、ここでの面白い仕掛けは音の定位。それぞれのギターの音の鳴る位置が絶妙に散らしてあり、様々な方向から例えばフレーズの1と3番目の音は右から、2と4の音は左前方から…という風に、パズルめいてヒプノティックな音響を生み出している。
"Pantagruel"はマスロック的だ。かなり複雑なフレーズをユニゾンで演奏しつつ、その合間合間に各々のギターのノイズ的プレイが挟まり、中間部のインプロ的なパートでは多種多様なエフェクトを用いて豊かな色彩のノイズが跳ね回る。
4~7曲目で展開される"Cross-sections"は、静謐なミニマルを基調にしつつも時折Eボウで奏でる持続音ハーモニーパートやら電子音の雨のようなパートやらがポンと投入される…何だろうこれは…Zs的でもある?パンキッシュさはなくもっと音響寄りだけど…予測できない動きも見せてくる。
クライマックスの"exPAT"はいよいよパレットをひっくり返したような混ざり濁って横溢するギターノイズの禁じられた遊び的な何かか。
『蟲師』というマンガがあって、舞台がどうも江戸と明治の間みたいな(明言はされない)妙な世界観なのだが、主人公ギンコは"蟲"と呼ばれる妖怪的なものの関わる事件に対処するプロ(でフリーランスで流し的な感じ)で、そいつが旅する中で常に大量の小さな引き出しのついたタンスのようなバックパックを背負っている。その中には、オカルト関係の物々交換で得た怪しげなアイテムやら、蟲の死体から煎じた薬やら、しまいには小さな蟲そのものまで、もう妖怪版四次元ポケットみたいな感じで何でも入っている。なんなら開けるといきなり手紙が届いてたりする。
なんで突然こんなことを長々と書いてるかというと、このアルバム聴きながら思い浮かべていたのがそのタンスのことなのだよな。小さく色も形も様々の、あるものは飛びあるものは土に潜っていくような、全然違う性質の虫たちが蠢いている。しかしそれはカオスでなくて、自然の抱えるミニマリズムというか、種を越えた奇妙な同一性、繊細さによって、ある角度から眺めれば整然さをもってひとつの様態を成しているのだ。
あるいはこういう喩えでもいい。板状のケースのアリの巣観察ってあったと思うけど、あそこに土中で生きるいろんな虫がしっちゃかめっちゃかに入っちゃってると。でもなぜか共存している。それを共存させているコードがコンポーズ、スコア、楽曲だ。

現音/実験系ギターアンサンブルの最新形か?
NYCらしくクラシカルもノーウェイヴもフリージャズもインディロックもノイズも呑み込んでるが、知性と繊細さ、それにユーモアをもって、遊びを孕みながらまとめられているというサウンド。呑み込んでるって書いたけど、この人達なら飲み方は明らかに錠剤の形でしょう。
てなわけでオモロいサウンド。
続きに映像など。


 

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