高杉さん家のおべんとう

「弁当作りは不思議な時間だ
今食べるわけじゃない食事を作る
どこにいてどんな状態か思いを巡らせ整える
ほんの少し未来をしつらえる作業なのだ」

高杉さん家のおべんとう高杉さん家のおべんとう
(2010/01/23)
柳原 望

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一人で暮らすようになるとごはんってわりとリアルな問題になるんですが、そのときに、料理を作る作品っていうのが面白く読めるようになってきた感じがするんですよね。『花と奥たん』(過去記事)なんか代表なんですけど。
『高杉さん家のおべんとう』はそのタイトルの通り弁当を作る話です。人のためにお弁当を作る、そのことが描かれている作品です。で、『花と奥たん』と同じ軸がこの作品にもあって、それは「料理はコミュニケーション」ということ。それに則って言うと、弁当ってのは時間差のあるコミュニケーション…あらかじめすれ違っているコミュニケーションなんですよね。上で最初に引いたのは作中のモノローグなんですけど、これを読めば分かるとおりです。それで、そのすれ違いながら少しづつコミュニケーションを交わしていく姿が「おべんとう」と重ねて描かれているのがこのマンガだと思うんです。

主人公は無職のまま研究室に居座る大学院生31歳・温巳(はるみ)。家庭の事情で行くところのなくなってしまった12歳の従妹の久留里(くるり。この名前って一発変換で出るのか…)を引き取り、一緒に暮らすことに…ってお話。
久留里ちゃんは無口な娘さんで、温巳も初日はうまくコミュニケーションがとれません。「家族」でググるなど、ダメな方向での努力はしてみるものの。で、そんな次の日の朝、久留里ちゃんが弁当を作ってくれるんですね。「これから世話になるから」と。どんなリア充だよと思うんですが、この弁当、蓋を開けてみるときんぴらごぼうのみ、という恐るべき一品弁当。久留里ちゃんはきんぴらごぼうしか作れなかったのです。
そんな初弁当だったわけですが…

もふ弁当
ごちそうさまでした

いやきれいなページなんですけど…再びコミュニケーションと重ね合わせて書くと、ここでお弁当箱が軽くなって返ってくる感じっていうのは、投げた言葉が返ってくる、みたいな感じだと思うんです。弁当独特の時間差の性質とふたりの不器用なコミュニケーションが重ねて描かれていて、感動的なシーンです。

その後も、三話めにしてやっと「家に戻ると ただいま と言うようになった」とかいうモノローグが入ったり、スローにも程がある歩み寄りをしていくふたり。温巳が「保護者になる」ために久留里の弁当を作るエピソードで、夕食は久留里が、弁当は残り食材で温巳が、という分担ができます。レシピも毎回少しづつ増えて。これらのシーンでもふたりの関係の変化や成長は料理と重ね合わせて描かれます。

肉じゃがを弁当に入れるときは、卵とじにして汁気をとじこめる
主婦化している久留里さん

「1年先 2年先はわからないけれど
少なくとも明日の昼飯は何とかできる
考えて工夫して充実させることができる
ほんの少し未来を作ることができるのなら
そのまた先も そのほんの少し先も その先も
きっと何かできることはある」
日常系のほわっとした作品と思わせて実は切実なところもあって、温巳が「このままどこにも就職できなかったら?」と考えてえらく落ち込む話があるんですが、そんなときに久留里と協力してマーボーナスを作るんですね。明日の弁当にも入れるから、ちょっとひと工夫。で、そのときに挟まれるモノローグがこれ。
料理という絵の具でここまでのことを描いてしまう。すごい。
しかし、考えてみれば未来というのは日常の延長であって…、つまり、明日の次に明後日が来て、明後日の次に明々後日が来て…、多分その次に来るものを未来と言ったりするんじゃないですか。そこに日常の象徴として料理、弁当があると。
弁当は、少し未来を作るもの。あるいは、今日から明日につながっていくもの。
日常という舞台はまだいろんな切り口を持っているなぁ、と、そんなことを思った一冊でした。
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