映画の悪魔はどこにいる

この前、ジェニファー・リンチの『サベイランス』観たんですけど、これが面白い映画で。
田舎町で起こる殺人事件を描いた映画で、殺人鬼が登場します。で、この殺人鬼が人間の顔が溶けたような変なマスクを被ってるんですね。マスクを被った殺人鬼というのは、『13日の金曜日』『悪魔のいけにえ』『ハロウィン』…と、ある時期までは定番の設定でした。で、彼らの共通点といえば、物語を背景にしてそれぞれがしっかりとキャラ立ちしていること。映画以上に彼らのパーソナルなキャラクターのほうがイメージとして浸透しているのも、そんな理由です。
で『サベイランス』に戻って…、こうした点からするとこの映画は奇妙なんです。ラスト付近で事件の全貌が解き明かされることになるんですが、このことでそれまで不可解だった犯行方法や時系列といったロジックの部分がきっちり充填される。しかし逆に、動機や物語、殺人鬼の背景…エモーションの部分が一気に空虚になってしまうんですね。それまではっきりと記述できないような人間の感情が事実を藪の中に投げ込んでしまう…というようなことを描いている映画なので、このラストは何とも気味の悪い印象を与えます。パンフを読むと監督はこのことを「邪悪」と表現していますが、ここでの殺人鬼が僕らに与える印象は「悪魔的」といったところです。ここから逆に思い至るのは、先に挙げたクラシックな殺人鬼たちを僕らはある意味で「人間的」と感じていたのではないか、ということです。愛嬌がある、というと違いますが、レザーフェイスことババ・ソーヤーなんてかなりの愛されキャラですよね。彼が真に悪魔的な、「血も涙もない」殺人鬼なら僕らはそのようなことを思わないはずです。
では逆に、僕らが「悪魔的」と感じるのはどのようなときでしょうか。

続き。
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