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4TH KIND フォース・カインド

4TH KIND、観てきました。
感想書こうにも全部ネタバレになる気がして書けんのですが…とても面白かった。

昨今『クローバーフィールド』『●REC』なんかのPOV映画が話題になることが多くなりましたが、これはまた違う形での面白いアプローチが出てきたなと。実録映像と再現映像をミックスしてドキュメンタリー仕立てに仕上げるというもので、現実対物語という構図を壊すために巧妙に練られた方法論です。
まぁこういう上から目線のクソ下らない様な批評ゴッコはどうでもいいんです。

この映画のプロモーションの場でよく使われている言葉のなかに「信じるか、信じないか」みたいなものがありますが、この解釈というのが複数あり得ると思うんです。ありがちなのは「(この映画の中の映像内容を)信じるか、信じないか」みたいなことだと思うんですが、これでは映画を見るにあたって不十分だという気がして。
要するに、単一のあるストーリーではなくて、その背景にあるものを見る必要があるんじゃないか。一人の女性の子供が行方不明になりました。っていうと、これはまぁ悲しいことですけど、一方でだから何だということでもある。見てるこっちにしたら、嫌な…事件だったね…、って言って終わりですよ。それをドキュメンタリー仕立てにする必要はない。
問題なのは、これが単一の特殊な事例ではないということだと思うんです。例えば自殺という現象は僕らの知る「不可解」の代表格です。「人間は本能の壊れた動物」なんて言われても仕方ないような、動物として考えたら異常にも程があることです。しかしこれは、ある個人が自ら命を絶ちました、ということであれば不可解でもなんでもない。生物学的な「誤差の範囲内」というやつです。自殺が不可解であるのは、あるときからそれが社会現象となるほど一般化していった、ということです。今や、自殺、という言葉だけでたまげるような人もいないでしょう。ウェルテル効果なんて言葉もありますが、それ以前のこととして、突如「自殺」プログラムが人間にインストールされたようにも思える。
この映画の扱っている事柄に関しても、同じことが言えるはずです。劇中で言っている通り、事例が1000も万もあればそれは「どんな裁判でも勝てる」ほど疑いなく「それが在る」ということの証明になるでしょう。ましてやここで扱われている事柄は「バラバラの時代に」「バラバラの場所で」「バラバラの人々が」同じ体験をしている、そういうものとして真っ先に挙げられるものです。
映画作品などによる社会現象でパラパラと波が起こることはあれど、それは一貫して歴史の中にランダムに偏在しているかのように見える。
「信じるか、信じないか」と問われたときに漠然と脳裏をよぎる不安感は、そうしたある種のシンクロニシティに由来するのだと思います。個別の事例をひとつずつ否定したとしても、そうした個別の事例が1000や万あるということは否定できない。可能性の問題にしてしまったら、悪魔の証明の泥沼に落ちるだけです。
ドキュメンタリー仕立ての手法は、その隙間に「あるかもしれない」という不安を埋め込みます。物語がフェイクであるかなど、どうでも良いのです。物語がフェイクであれ、そうした物語を共有する(僕らは皆、この映画を30分も見れば何の映画か察するはずです)素地があるということはフェイクにはなり得ません。
すごく遠回りしてるんですが、つまり何が言いたいかというと結構怖かったんです。見てる間はいいんですが、こうして見終わってしばらくしてから考えてると…。しばしばネット見ながら寝落ちしてる自分を省みて、若干ぞっとしない気持ちになりました。


終わってからパンフを買ったんですが、売店の店員さんに「怖かったですか?僕、見ようか迷ってるんですよね」と感想を聞かれました。こういうことって最近はそうそうないですよね。なんだか嬉しかった。
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