John Wiese 『Deviate From Balance』

というわけでお待たせしております。
世界最高の音楽家John Wiese ジョン・ウィーズの今年3月にリリースされた2LPアルバム『Deviate From Balance』について。
恐らく今年の最重要かつ最も優れた音楽作品ということになるであろう(まかり間違ってウィーズが立て続けにアルバムをリリースしたりしなければ…)この作品について、完全とまでは行かない…ながらも徹底的に聴き解いていきます。


上の埋め込みプレイヤーリンクの本人BandcampほかArt Into LifeParallaxMeditationsと国内の主要なレコードショップでは一通り扱いがあるようなので、好きなところで買われるのが良いでしょう。
限定の冊子付セットがいい!というハードコアなファン(僕のことだ)におかれましては本人から直接買い付けましょう。
新しくCD版もラインナップされてますね。


今日は非っ常~~に長くなりますので続きで…



#0.『Deviate From Balance』
まず"調和からの逸脱"と題されたこのアルバムの基本情報について。
アルバムと呼べるものとしては11年リリースの歴史的名盤『Seven Of Wands』以来になるか。
最もこの人の作品を時系列的に捉えることもあまり意味がなくて、アルバムはコンセプト的に制作されているので、収録されている楽曲も08年から14年のものまでと幅広いスパンで散りばめられている。
本作の特徴といえば純粋なソロ作という形でなく、ウィーズによるディレクションのもと多数のゲストを迎えて(時にはかなり大きな編成で)演奏されていることで、クレジットには実に43名ものアーティストの名前が並ぶ。
全10曲82分のヴォリューム、そして多数の参加アーティスト、コンセプトが散りそうなものだけど、そうはなっていない。
いかにしてこういう魔法が成立しているのか?という部分に関しては、このインタビューでなかなか詳しく語られている。
こういったところも参照しつつ、各トラックの聴き解きは以下から。


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#1."Wind Changed Direction"
ウィーズのホームタウンであるロスのギャラリーでの展示に際して行われたインスタレーションの記録。
野外に4chのスピーカーをバラバラに設置して全く別々の音を再生し、相互に作用させる、というようなもの。
その様子はyoutubeにアップされた映像で確認できる。

こうしたマルチチャンネルの空間音響設計というコンセプトでのインスタレーションはここが初出でもない。
11年にLPでリリースされその後CD版、デジタルでも出た『GGA』はそういう作品になっている。

ただここでの音は全方位から多種多様な破壊音がけたたましく鳴り響くというもので、統一されいてシンプル。
一方で今回の"Wind Changed Direction"では一方からアンビエントドローン、一方から瞬く電子音、一方から変調されカットアップされたヴォイス、一方から物音…と全く違う音が出力され、しかも時間の経過に伴い大胆に姿を変えていく。
このトラックをこれから始まるアルバムの呼び水としているところが重要で、つまり、ここ数年のウィーズの音響作家としての興味はひとえに"ミキシング"というところに照準されていると僕は考えていて…。
これについては以降のトラックでも少しづつ触れることになるかもしれない。


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#2."356 S Mission Rd"
これは13年のライヴから。ウィーズ自身のみによる演奏。
重厚な持続/反復を基調としつつ、比較的スローなペースで各マテリアルを繊細に重ねていくドローン~コンクレートスタイルは『Seven Of Wands』からの素直な流れとして理解しやすい。

ここ数年のソロ・パフォーマンスは多くがこのスタイルで行われている。
過去には超絶技巧を衒いもなく提示するハイスピードのカットアップを得意としていたウィーズのスタイルが

現在の全く違うアプローチに遷移していること、その転換が(何度でも言うが)恐るべき傑作『Seven Of Wands』一枚で一気に行われたように見えるところは作家史的には悩ましいけれども、この天才の驚異的な音楽的感性を再三思い起こさせる。




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#3."Segmenting Process For Language"
09年にメルボルンの実験音楽フェスWhat Is Musicで行われた演奏の記録。
10分間のこのトラックが、このアルバムを聴き解く上で最初の難問になる。
"言語の分割プロセス"というタイトルは、この楽曲のスコアを参照すると理解できる。
segmenting process for language
上でもちょろっと書いた公式サイトのストアで購入できるアルバムと同タイトルの冊子にスコアの一部が掲載されていて、それがこれ。
#0でリンクしておいたインタビューにこのスコアについて話している箇所がある。今回のコンポーズにおいては書体デザインから始めている、話を継いで、以下。

I took the names of all the players and abstracted the letters into elements of the letterforms. Those are placed on a timeline. The shapes of the letters—the curves and different formal aspects of it—become different aspects of their playing within time.

ちょっと難解なんだけど…
全てのプレイヤーの名前を並べて字形の要素にまで抽象化し、タイムライン上に配置した。文字の形状─曲線構成や異なった形式的側面─が時間経過の上で演奏者たちの演奏に異なる状況をもたらすようにした。
という風になるのかな?
話している内容からすると、このスコアはペラではなくてイメージがアニメーションとして動いていくようなものを想像させる。文字が意味を奪われてバラバラに解体されていくような…。

で、"全てのプレイヤー"と言っている通り、この演奏、非常に多くの演奏者が関わっている。
Oren Ambarchi — guitar/electronics
Robbie Avenaim — percussion/electronics
Sean Baxter — percussion
Dave Brown — guitar/objects
Carolyn Connors — voice
Clare Cooper — guzheng
Marco Fusinato — guitar/electronics
Lloyd Honeybrook — saxophone/electronics
Nik Kennedy — voice
Greg Kingston — guitar/objects
Jon Rose — violin
David Shea — sampler
Adam Simmons — woodwinds
Clayton Thomas — double bass
Maya-Victoria Kjellstrand — percussion
と。総勢15名。
加えて、ウィーズは演奏に参加していないというところも面白い。
オーレン・アンバーチがいる辺り、現地のミュージシャンを主にして構成されているのか?初めて見る名前が多いけれども、マルコ・フシナトなんかはLPを持ってるな。ギターを独自のエレクトロニクスのシステムに通して凄まじいエレクトロニックノイズの洪水を作り出す、やはり楽器本来のサウンドから逸脱した演奏をする作家。
見慣れない楽器名も幾つかあるけど、guzhengは古筝、woodwindsは木管類の総称、他は特徴としては兼任としてエレクトロニクス奏者が多いこと、オブジェクト他複数のパーカッションの存在、ダブルベース、ヴァイオリン、ヴォイスとアコースティックなものを多く取り入れていることか。
編成がどうあれ、これだけの大編成が無計画に演奏をすれば、団子のような音になってしまうのが常。しかし実際の音を聴いてみれば、演奏は強く抑制されており、同時に多くの音が鳴り過ぎることがなく、むしろスローで静かな音像を保っている。これは勿論ウィーズの近年のコンクレートスタイルをイメージさせずにおかない。

引き続きインタビューからこの演奏に関する発言を拾っていく。

I feel like as a composer my role is to add structure and limits to what they do.
But as musicians, they can make the sound they're able to do.

ウィーズは演奏に参加していない自身の役割をこう簡潔に表現している。"演奏者たちの演奏に構造と制限を設けること"。"しかし演奏者たちはその中で、彼らが作り出せる限りの音を作り出すことができる"。

These are the first things I would make them stop doing: “Stop playing with each other. Stop droning over each other. Stop playing constant sounds.”

リハーサルについて。"最初に指示するのは何かをすることを止めろということ"。"他の演奏者と合奏するな。他の演奏者に音を重ねるな。持続する音を演奏するな"。

Especially with electronic people, they have a tendency to not allow this instrumental breath. They have to engage the instrument to stop playing rather than to produce sounds. A large part of it is introducing the conversational pausing and instrumental breathing—these ideas that are often very foreign to music that has electronic elements, simply because it’s not inherent in the instrument.

"特に電子音楽のミュージシャンは、器楽的な呼吸を無視する傾向にある。彼らは楽器に対して、音を止めることよりも音を生成することによってアプローチする。会話的な停止と器楽的な呼吸─これらのアイディアは電子音楽家には縁遠いものだが、それは単純に、これらが機材本来の性質の中に含まれていないことに由来する"

Because no one is stopping, you play more and you try and get louder and everyone is competing.

(多人数が無秩序に演奏することがドローン的な演奏になりがちなことについて)"誰もが演奏を止めなければ、個々の演奏者はより多くの音を出すようになり、大音量で演奏することになり、競合することになる"。

What I tried to do is make a score based on making people stop playing, so that you're constantly in this anti-drone piece, in a sense.

"私が試みたのは、演奏の停止を基調としたスコアを作成すること。このある意味"アンチ・ドローン"的な作品の中では、常に停止することが求められる"。

なるほど、発音ではなく音を止める方にフォーカスして演奏を組み上げる、というのはシンプルではあるけど、巨大なコレクティヴパフォーマンスにおいてはかなり有効な手法に思える。それを電子音楽寄りの音楽家たちにも持ち込ませているわけだ。
初期ウィーズの高速カットアップでは全く関連性のないマテリアルが大きく跳躍するダイナミクスとローファイ←→ハイファイの全く未整理な中で矢継ぎ早に、しかし精密に精巧に構築されていたけど、それらの手法の別解釈でもあるわけだ。
つまり、多数の演奏者による、リアルタイムのライヴ演奏で、全く異なる音の要素たちをその場でプロセシングせずにいわば"生コラージュ"的な音像を生成する。

この演奏は09年のソロ作『Circle Snare』に近く聴こえると思っていたんだけど、自身が介在せずに作り出すライヴとしての『Circle Snare』と考えてもいいかもしれない。
ウィーズとしては恐らくこの頃からそうした演奏を作り出すアイディアについて模索していたのだろうな。


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ここからB面に入って、#4."Superstitious"
03年に行われた、Nanny Cantaloupe名義でも活動する実験音楽家Mitchell Brown ミッチェル・ブラウンとの共作。
6分間の純粋なエレクトロニクス作品で、ヴォイスコラージュに始まり、粟立つような電子音、低域のドローン、エレクトロ・アコースティックで構成される。
収録されている中では最も古い楽曲になるけど、この当時のウィーズとしては珍しい繊細な音響寄りの作風で、ストックされていた中から今回のアルバムにぴったりと填まるものを選んできたものと思われる。


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#5."Cafe OTO"
曲名からも分かる通りロンドンの実験音楽の聖地、カフェ・オトにて12年。
編成はカルテットで以下。
Ikue Mori — electronics
Evan Parker — saxophone
Maja S. K. Ratkje — voice, electronics
John Wiese — electronics
イクエ・モリにエヴァン・パーカー、マヤ・ラジェ、そしてウィーズと、とんでもない名手を集めた編成になっている。
ここでもやはり静謐で密に構成されたような演奏が展開する。面白く感じるのはこの演奏はスピードがとても早く聴こえるということで、編成のタイトさと各演奏者のスキルが合わさってウィーズのコンセプトを高速で展開できているということだろう。
プロセシング・ヴォイス、フィードバックのようなサクソフォン、具体音、緻密な電子音、発振音、プツプツというノイズが高密度で交錯する。
スピードは変化しながらも常に高速を保っている。しかし演奏の熱量は常に一定で盛り上がることがない。ここでもウィーズのソロ作の感触がライヴでの集団演奏に伝播しているような奇妙な印象を抱かせる。


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#6."Battery Instruments (Stereo)"
こちらは#1と同じくサウンドインスタレーションで、8チャンネルのスピーカーを用いて展開されている。09年。
2分間の、アルバムで最も短い楽曲となる。
Sean Meehan — drums
Amanda Warner — bass
John Wiese — guitar
C. Spencer Yeh — voice
とウィーズとの共作・参加作もあるメンツで、バンド的な編成。
しかし面白い程バンド的ではない音…というか各楽器が逸脱的な出音をしており、エフェクトなどなくともそれぞれの楽器の役割の全く感じられない演奏。それらがウィーズによってエディットされている。
タイトルにStereoとついているのは8チャンネルのものとして制作された音源…という意味なのだろうけど、丁度いいのでこれについて余談を。こう表記してあるのは、このアルバムが最初に制作されたのがLPとしてだからだと思われる。
ウィーズはこの手の実験系アーティストとしては意外なほどCDフォーマットでのリリースが多い。だから2LPはそのフォーマットが必要だったということだと解釈していて、同タイトルの冊子なんてものを出している事からも分かる通り、2LPのモノとしての存在感、ハードカバーの本のような重厚なパッケージ…というのがひとつ。他には、4サイドという構成…先取りして言ってしまえば2枚目B面、いわゆるD面はまるごと一曲の楽曲に充てられている…をアルバムに設けたかった…というところだろうか。


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#7."Memaloose Walkman"
メマルースはオレゴンの地名で、そこで11年に録音されている。
Aaron Montaigne、Joe Prestonと。
これはアルバム中でも異色の曲で、ローファイな音質で銃撃の音が荒くミックスされているというもの。
本人たちの会話も聴こえ、サンプルでなく実際に銃撃しているものを収録しているのが分かる。
インスタレーションやギャラリーでの展示と同じく、単純な音楽作品とは別の音声作品というアプローチでこうした曲も収録しているのかもしれない。
もしくはあまり深く考える必要もないものなのかもしれない。
ウィーズはノイズ作家としては限りなくノーメッセージで、純粋に音響的な興味から音楽を制作するタイプだから、こういう意味を読み取らせるような楽曲はそれだけで異質。


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C面に入り#8."Dramatic Accessories"
こちらは07年のツアー中に少しづつ制作されたもので、ウィーズによるソロ。
ギター、ドラムス、ヴォイス、オブジェクト等を用いて録音したものを、例によって細かくエディットしている。
アルバム中では#2.と唯二つの純粋なソロ作品ということになるか。
上でも挙げた『Circle Snare』のほか、参加バンドSissy Spacekの初期作のような感触もあり、近年の作品の中ではわりあい早いスピード感と振れ幅の広い音を用いて展開する。
かなり粗めのざらついたノイズのハードな展開も含み、テープマニュピレーションの痕跡もあるなど、多様な方法論を凝縮している。
ローファイな質感の中に多様なノイズ表現が精密に組み上げられビッシリと敷き詰められているという印象で、濃密な10分間だ。
アコースティックなマテリアルを唐突なタイミングでカットアップしていくようなパートは特に00年代中期のウィーズがよくやっていた特徴的な作り。このあたりもちょっと最近のリリースでは聴かれなかった音。


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#9."Solitaire"
12年のJoseph Hammerとの共作。
ハマーは主にテープを用いて演奏するLAFMS直系のアーティストで、ここではその技巧と精密なウィーズのエレクトロニクスが互いに反映し合いながら演奏が展開する。
エレクトロアコースティックの断片、チリチリという電子音、それらがリアルタイムに記録され、多方面から繰り返され、停止され、巻き戻される。ハマーは時間の感覚にアプローチするアーティストだと考えていて、ここでもテープはそのように用いられている。
音源への停止や繰り返しや巻き戻しという関与は通常リスナーが行うもので、僕もこの記事を書くにあたりこのアルバムをかなりめちゃくちゃに切り刻んで聴いているわけだけど、その操作を先取りして過剰すぎるほど過剰に施してしまうのがハマーだ。
ウィーズがこのアルバムにこの演奏をセレクトして収録した意図というのはここにはっきりと理解できる。つまりこれはこのアルバムでコンポーズとディレクションによって多人数の演奏をライヴで切り刻み生コラージュを生成しようと試みる独特な立ち位置に立ったウィーズの自身への批評としての演奏で、自身の演奏がライヴで切り刻まれ解体され再構成されているという、コンセプトへの逆向きのアプローチなのだろうな。
演奏はどこまでも混沌として捉え様がないが、そのカオスがアルバムのコスモスを浮き彫りにする。


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#10."Segmenting Process (Portland)"
D面を全て使った23分の演奏。タイトルからも分かる通り#3と同じ方法論で演奏されていると思われる。
オレゴンのポートランドにて08年。こちらではウィーズ自身が演奏に参加している。

Cody Brant — guitar
Tim DuRoche — drums
Jordan Dykstra — viola
Asa Gervich — drums
Scott Goodwin — electronics
Jean-Paul Jenkins — guitar
Ben Kates — alto sax
Brian Mumford — electronics
John Niekrasz — percussion
Kelvin Pittman — alto sax
Alyssa Reed — voice, electronics
Ju Suk Reet Meate — guitar, electronics
Jonathan Sielaff — clarinet, bass clarinet
Jackie Stewart — turntable
Ryan Stuewe — drums
Pete Swanson — synthesizer
Reed Wallsmith — alto sax
Amanda Warner — synthesizer
John Wiese — electronics

19名という、ウィーズの過去の音源に照らしてみても類を見ない巨大編成(Sissy Spacekで15名というのはあったが)。
ジュ・スク等LAFMS/SMEGMA勢のベテラン、ピート・スワンソン…ここは本当に意外だが、実は過去にYellow Swansと"Portable Dunes"という作品を共作している…等、見知った名前もある。
ウィーズは近年LAFMSの伝説的コレクティヴ・インプロヴィゼーションAirwayにも参加していたけど、そのウィーズ版といったところだろうか?勿論ここでは演奏はウィーズによって厳密に制御され、その"ミキサー"スタイルでアンサンブルの全体をも包括しているようなところを感じさせるのだが…。
ラウドな展開にいかず、個々の音が…これだけの演奏者がいても、2~4つの音が交互に鳴っているような小さなユニットで…個別に出て各場面を作っている。演奏者個人個人の操作はかなり少ないはずで、それだけでもハードにコンセプチュアライズされた演奏ということが分かる。
その段階では、各演奏者の人格は剥ぎ取られて、ライヴミキシング上のマテリアルのようにふるまう。このことをこそウィーズの意図だと感じる。多数のフェーダーを慎重に操作して音響を紡いでいくような近年のライヴスタイルをステージ全体に拡張して展開したのが今回用いたスコア/ディレクションの方法論ということなんじゃないだろうか?


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前作の『Seven Of Wands』で見せた静寂のコンクレートへの大きな舵切りは、それからのミキサーを主にしたライヴでの演奏スタイルを予告していたとも考えられるけど、とするとその発想をより大きなフォーマットで実践したのが今回のアルバムということになるか。
フルボリュームで今までの総括のような面もありつつ、各所にコンセプトも見える。
コンセプチュアルでありながらその発展の方向は独自で、どこにも属していない。今こうしたノイズや実験音楽で流行っているようなものとも遠く位置する。こういう求道的な姿勢というか、自分の興味にしか興味がないような、唯一で、しかしとんでもないクオリティのものを作ってくる作家だなぁと毎回思う。
次にはどういう手を打ってくるのか?全く読めないし、だからこそずっと追いたくなるのだろうな。
最高のものを作ってくるということだけは分かりきっているのだが…。


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ということで『Deviate From Balance』解説。
まぁ正直僕程度の音楽認識ではいろいろ足りん部分は多いと思うけど、にしたって15年6月現在このアルバムに対するちゃんとした評が日本語では全然見つけられないってのはまずいよなと。
というかウィーズなぜか日本では人と話してても全然名前出てこないんですがそれは…。
とにかく15年ベストアルバムはほぼ決まった、ということで、あとは最近のライヴ映像とか貼っていきます。


近年のスタイルまさにこういう感じ。



LAFMS勢とのセッション。



鉄板!最強ノイズデュオ。


JohnWiese01 from Rema Hort Mann Foundation on Vimeo.


インスタレーションでの映像


あと、正直自慢ですが、僕のウィーズコレクションの一部
daviate from balance
この世に一枚しかない生写真(マーハウグに売ってもらった)とか展示に合わせて作られた超限定の直筆サイン入りボックスとか結構自慢できるものだと思ってるんですが
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