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POV/モキュメンタリ、またはファウンド・フッテージ10…いや11…プラス、5選(絞れなかった)

いま住んでるとこに越してきてから…5、6年前か…簡単に観た映画の記録をつけてるんだけど、ふと思い立ってそれを見ていると、所謂POV/モキュメンタリスタイルの映画が大体100本になっていた。
この手の映画は大好きで観続けているんで、まだこれしか観てないか?位に思っていたけど、まぁこうやってつけている以前にも観ているものはあるのでこんなもんなのかな。
POV=ポイント・オブ・ビュー 主観映像、モキュメンタリ=モック(偽の)+ドキュメンタリーというと教科書的な説明になるかな。この言葉も細かく解釈しようとするとなかなかデリケートなものという気がするけど。
今はこの手法も液状化しているというか、ひとつの演出法として確立されていて、普通の劇映画に自然な形で取り入れられるようになっている。
その手のものがPOVなりモキュメンタリと勘違いされるせいで、こういう映画まとめた記事なんか読むと的外れな批判に曝されているような場面もよく見るな。
まあ今回はそういう映画にも少し触れていけるといいかな。




最初の4本は定番中の定番と言われているもの。
どの作品をとってもネームバリューに比するクオリティを持った大傑作。


ブームの源流を探っていると必ず当たることになる作品。
99年のこの作品の以降、07年の『パラノーマル・アクティビティ』『REC』、08年の『クローバーフィールド』までジャンルの中で目立ったヒット作は出なくなるんだけど、それもやむなし…というか、観た若い人たちがこれを咀嚼して自分たちの映画を作るまでに必要だった時間ってことなのかな、それは。
魔女の伝承のドキュメンタリーを制作しようとその舞台になる森に入った若者たちが行方不明になり、彼らの残したビデオテープだけが発見される(これをファウンド・フッテージと言っていて、後にこうした映画の基本的なシナリオのフォーマットのひとつになる)…当時は実際にその若者たちの情報を募るサイトなんかも作られて、バイラルマーケティングの手法としても話題になってたな。
手持ちカメラによる不安定極まる(劇場でも映像酔いする観客が続出した)手ブレ映像、一切の劇伴を排し環境ノイズを主とした音響設計、極端に情報を削ぎ落したシナリオ…と、後続の作品でも定番になる方法論はここですでにほぼ出揃っている。
ホラー的に見てこの映画の革命的なところは、なにも映っていない、これに尽きる。恐怖する人間の様子が映っているけど、恐怖の対象は映っていない。これはこの手法だからナチュラルに表現できていることで、しかも恐怖の本質っていうものをかなり正確に捉えているんじゃないか。
つまり、恐怖というのは多くの場合、体験する当人にとっては、理解不能な虚無のようなものとして現れる。
我々が追って見るそれは、得てして、俯瞰で見えた残像のようなものにすぎない。


これの少し前に国内でも公開されていた『REC』を見そびれて、このスタイルの映画を初めて劇場で体験したのがこれだったかな。
超低予算で作られた映画が本国で大ヒットという鳴り物入りでやってきて、前情報はほとんど明かされないという(CMなんかも正に試写での「恐怖する人の様子」だけが映ったものだった)売り方もうまくハマっていた。
これにしたって「何もない」映画で、だからその虚無こそが恐ろしいという、怖さの本質にダイレクトに迫るような内容。
従来の恐怖映画からしたらその演出はむしろ抑制されているし、渋く地味とすら言えるんだけど、そこがむしろリアリティになっている。不安定な構図の作りや贅沢な沈黙の扱い方など、演出はどこまでも洗練されていて、足をもつれさすようなリズムの見えないシナリオの組み方も完璧だ。そこからあのラストカット、ああ、ここにはもう「あれ」と自分しかいないんだ、という絶望、劇場で見た時僕は確かに抜き差しならない本物の恐怖というやつの湿った鼻息が耳元にかかるのを感じた。
この映画で特筆すべきものとして、不可解な事象が起こる直前の、振動めいた低域ノイズ。それから、(これはこの映画の場合には極端に少ないスタッフ、キャストという事情もあろうが)音楽を排して沈黙の中黒画面が続くというエンドクレジット。これは以後のこの手のホラーの定番として繰り返し模倣されていくことになる。
これはシリーズ化していてどれも一定以上のクオリティを保っている大好きなシリーズなんだけど、中でも特に3は1に比肩する恐ろしい内容。おすすめ。日本でフェイクドキュメンタリーシリーズ『放送禁止』の長江監督によって作られた『TOKYO NIGHT』というスピンオフも、自分の好みでラストのシークエンスは蛇足かなと思うものの、なかなかどうして悪くない。


『パラノーマル・アクティビティ』と同時期のヒットで、ジャンルの立役者と言えるだろう一作。
ゾンビというホラー的には定番中の定番を扱いながら、概念自体を新しく捉え直して従来のゾンビ像に囚われず力強い恐怖を作り出した傑作…映画の中ではゾンビという言葉すら使われないのだから…これ、とても面白いのが、あのロメロも『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』なるフェイクドキュメンタリーのゾンビ映画を同時期に制作していて、こちらは旧態然としたゾンビ映画マナーに則った内容と演出をしているけど、ワリとしょうもない映画になっていたりする。
全く関係のない導入からのめくるめく地獄巡りへと、圧巻のテンションで引きずり込むような作劇が素晴らしい。狭いアパートの中でバラエティ豊かな怖さを味あわせてくれるし、上に登るほどヤバい状況に飲み込まれていく、さて最上階の開かずの間には何が待っているのか…というシンプルなつくりもこうした映画の為にビルドアップされた完成度の高いシナリオだなと。
続編は本作のラストの直後・別視点から始まる2も高内容のPOVホラーで、3は通常の劇映画スタイルになっているがこれも力強いゾンビムービー、ラストの4だけが微妙な出来という感じ。


ギャレス・エドワーズによるハリウッド版『ゴジラ』の直後に東映による日本のゴジラということで『シン・ゴジラ』が発表されて、これの特報映像がつい先日公開された。これがちょっと面白くて、ここで取り上げる『クローバーフィールド』の序盤に通りから橋へ避難していくシーンがあるんだけど、それのまんまコピペしたような映像である。『クローバーフィールド』はゴジラへのオマージュとして作られた映画で、同時に自分は日本の"KAIJU"なるものに引導を渡した映画なのかなとも思っていて、それがはっきりしてしまったような。
この映画も例にもれず公開当初は情報が厳しく制限されていて、劇場で初めて何が起こるか分かるというような映画だった。
怪獣映画として特筆すべきは、その肝心の怪獣が画面から見切れ続け、いつまでも全貌が見えず、主人公たちが街を逃げ惑う中で徐々に何が起きているのかを理解していくという部分だろうな。
なぜこういう演出手法が取られているのかというのは、序盤のシーンによく描いてある。突然響く爆音にビルの屋上に出ると遠くに爆炎が見える。「なんだ?またテロか?」舞台はニューヨークだ。そうしているうちに何かがこちら目がけて飛んでくる。自由の女神の頭だ。
ただならぬ事態都と知った主人公たちは非難をしていくんだけど、通りに降りるとチラシなんかのごみと大量のガレキ、もうもうとホコリが舞っている。既視感。この映像は9.11のパロディだ。
あの当時しょっちゅうニュースで流れていた、一般の人々が撮影した映像から着想を得たのがこの映画なのだろうな。カタストロフのただ中にいる人々にとっては、それはわけの分からない事態として体験されるはずだ。神の視点でもなければ、何が起きているか知りようもない。クローバーフィールドは、神を失墜させたことによって新たなリアリティを得て、怪獣映画のランドマークになったわけだ。
ギャレス版ゴジラが"ゴドーを待ちながら"だったことから思い起こすまでもなく、ゴジラってのは、God-zillaなんだよな。


次はもっと新しい映画に寄っていこう。
上記の作品のヒットで市民権を得たこれらのジャンルは、低予算でもアイディアで勝負できるという特徴から、新人監督の大勝負のフィールドになっていく。



去年のベストムービーにも挙げたけど、ジャンルの洗練の最新形がこれと言えるだろうな。15年の作品。
学校の怪談という古典にも程があるフォーマットを土台にしつつ、それまでジャンルで培われてきた恐怖表現のノウハウを総力投入して作られたような内容。
『パラノーマル・アクティビティ』以降も自身のプロダクション、ブラムハウスにて無数の同ジャンル作品を手掛けてきたジェイソン・ブラムの製作としての総決算的な覚悟が見える。
先に"学校の怪談という古典"て書いたけど、この映画でも特徴的なのは、主観で捉え直した時に初めて知る怖さだ。何もない場面が怖い。学校という建造物の一般の特徴である直線の長い長い廊下、じっとりと闇に落ち窪んだその奥に目を凝らす、そういう体験だ。


これもベストで挙げてたな。14年作。
これはこの手のジャンルにしては入り組んだシナリオを巧妙に纏め上げて成功している数少ない作品かなと。ここ最近のPOVものでは、少しづつ手持ちカメラという形態を離れてGoProなんかを使うものが出てきたけど、これはそこが非常にうまく機能しているという点でも面白い。まさにそれまで見たことのない映像。
これも例によってひとつの定番ネタを主観で撮り直すことで全く新しいものが生まれているという話なんで、事前の情報を遮断して楽しんでほしいかなと。
しっかり怖くもあり、単純にそれだけでない様々な感情を呼び起こすシナリオがあり…。またこういう評価の仕方もおかしいかもしれないけど、監督&主演をこなす2人のこの映画を製作するまでのいきさつ、そこにこのジャンルの内包する美しさのようなものが凝縮されていて、自分にとっては怖いとともに愛すべき映画なんだよな。


11年作の実話ベース映画。
未だ国内では公開もソフト化もなし。
話はタイトルに全て表現されているかな。女の子が失踪する。親友の女の子がそれを不審に思い、独自に調べ始める。そしてその女の子もいなくなってしまう。
手持ちカメラの映像やニュース映像等組み合わせてフェイクドキュメンタリーとして構成しつつも実話ベースということで、何か一線を越えている感もあるが…。
オカルトはここにはなく、その代わりにただこの世界と地続きの場所に圧倒的な虚無が広がっている。派手さはなく地味で、ただ物事をありのままに捉えてしまっている、それゆえに究極的におぞましい映像が登場する。本物の恐怖があるけれど、まあこんなものをリリースして正気を疑われてもなあというところでやはり日本で出ることはないのかなと。
『388』という映画があって、これも似た感触なのだが、こちらのほうがより悪質かなと。


12年作。
これも話題になったけど、この手法のホラーだけではないという可能性を見せたというところが大きく評価されたのかな。
超自然的な要素をうまく取り入れながらもその手触りはむしろ普遍的な青春映画。
でありつつ、POV手法に必然性がある。登場人物たちの日常の中に自分も一員として加わっているような距離感が、やがて彼らの感情をも近い距離で流し込んでくるっていう。それは自分たちにもあったものなんだよなって。どこへでも飛んでいけるようになったときに、自分の居場所がどこにもなかったことに気付く、それがあまりにも寂しくて泣きたくなる。


12年作。
これもPOVのホラー以外の可能性を見せた一作。
日本のドキュメンタリー番組と同じタイトルだけど、ここでのXはエクスタシーのX、ドラッグだ。
主人公の3馬鹿高校生が自分たちの誕生日パーティーを盛り上げようと、facebookで告知をする。全力拡散希望!エクスタシーたんまり用意して待ってるぜ!と。
これがとんでもない勢いでシェアされてしまい、パーティーは破壊的な"祭り"へと発展していく…。
これ多分こういうハレの体験の気持ち良さを知ってるか知ってないかで全然感じ方が違う映画だと思うんだけど…。あの好きなバンドのライブとか行ってさ、我を忘れて叫んで踊ってうわーっっていう、その感覚を疑似体験させてくれるような。
POV、こういう可能性もあるんだなと。
最後はとんでもないことになるけど徹底して無反省なのも素晴らしい。


10年作。ノルウェーから出てきたというのには結構驚いたな。
今でこそ少なくなったUMA特番、ネッシーを探せ2時間スペシャルとかそういうアレですね。
そのノリをPOVに落とし込み本気の本気で作ってしまったという。話の作り込み具合というか、設定のリアリティの練り方とか、実に"ありそう"と思わせるところから始まってクライマックスのスペクタクルに至るまで、普遍の映画的な楽しさに溢れていて素晴らしい。ホラーなノリでなくカラッとした映画に仕上がっているのもここでは好印象。
とにかく楽しいPOVパニックという感じかな。


楽しいつながりでもう一本。13年作。
POV手法を用いつつも山あり谷ありの飽きさせない展開でグイグイ牽引していく…ホラー?なのかなこれは…。
このあたりのものを見ると、この手法を作品の中に落とし込みつつ新しいものを作ろうという気概が感じられておもしろい。
次に何が出てくるのか全く予想がつかないまま歩かされるお化け屋敷的楽しさであり、登場人物たちも(半ば仕方なく)ドンドン深みへカメラを突っ込んでいってくれるあたり気が利いている。
時代設定のためか、この手の作品の中でも一際カメラのブレが大きく酔いやすい点にだけは気を付けたいが、映画的楽しさ満点の一本。


とまあPOV/モキュメンタリはこの辺にして。
オムニバスのV/H/Sの1や2も入れたかったけど、作品の性質上どうしても収録作の中の良し悪しはあるな。1に入っている"アマチュア・ナイト"、2の"セイフ・ヘイヴン"はジャンル全体で見ても年間ベストクラスの超傑作なんで、余裕があれば是非。


てなわけでこれ以降は厳密にはPOV/モキュメンタリではないものの、これらの手法をうまく消化して作られた…いやPOV/モキュメンタリ以前では有り得なかったであろう映画をいくつか。






以前には有り得なかったとか言っといて、『ありふれた事件』は92年の作品だったりする。
こういうポッと出のトリックスターとしていわゆる"早すぎた傑作"が出てきてしまうこともあると。
これを嚆矢として、最高に悪趣味な見世物としてこの手の映画は連綿と存在する。
てなわけで、殺人鬼密着映画というのはひとつのサブジャンルとしてある気がする。で、どういうわけかこれが大抵面白い。どうかと思うが面白いのだ。
『ラスト・ホラームービー』の筋はこうだ。あなたは借りてきたホラー映画のビデオを観始める。"ラスト・ホラームービー"というタイトルの、くだらないB級ホラー。突然映像が乱れたかと思うと、男が映っている。「やあ、驚いたかな。実は自分のホームムービーを作ったので誰かに見てほしかったんだけど、方法が分からない。それで、ビデオ屋でレンタルしたものにダビングして店に置いてみた。…ああまだ止めないで。」映像が切り替わって男が駅を歩いている。何の前触れもなく、浮浪者をブロックで殴りつけて殺害する。映像は男に戻る。「…どう?興味あるだろ?」。殺人と、地続きの日常。
『マニアック』は驚くべき手法をとっている。完全一人称、つまり、カメラで撮影しているという体ですらない、主人公の殺人鬼の目に映るものをそのまま見せられるという映画。この男はどうしようもなく壊れてしまっていて、だからその目に映る世界もどこか壊れている。サイケデリックで幻想的でもあり、完全に狂った映画。『ハードコア・ヘンリー』が革新的と言う前にまずこれを参照して欲しいところ(『ホテル・インフェルノ』とか、あの手法自体は意外とあるんだけど)。


09年、コロンビア。
これも厳密にはPOVやモキュメンタリではない。
カメラはないという体で映画が進んでいくので。
ではどこが…というと、これ、85分間に渡って全編ワンカットという驚異的な映画なのだな。
ただそこにあるものを捉えているとしか思えない、"そのまま"であるということの圧倒的な暴力性、映画とこの足元が地続きに接続されてしまうという危機感。これを伝えるために、この表現しかない、という熱に満ちている。
そしてやって来るクライマックスの圧倒的な絶望。で、これ、実話である。


14年作。
POV手法を演出のひとつとして取り入れた映画の中でも、最高の成果を挙げているのがこれだろうな。映画館で観たときの体験は凄まじくて、息をのむってこういうことなんだろうなと。
史上最大の台風の目へとカメラを入れるというアイディアのもと、最新の映像と音響技術を総動員して、天の破壊、神の暴力たる巨大竜巻のただ中の体験を作り上げている。
その中にただの一人の人間として放り出されるという感覚は、POV手法あってこそのもの。
POVというとどうしても大作指向でない、チープなものを想像しがちだけど、『クローバーフィールド』しかり、これでしか見せられないスペクタクルもあると。本当に映画館で毎年かけて貰えないかと切望する作品。


こうまた非常に長々と書いたけど、この手の映画、特に近年濫造されている事もあり、正直少なくとも半分はどうしようもない映画だと思うのですね。
厨房の頃から延々ひたすらプライムウェーブ/アルバトロスの映画観続けた結果、大抵のものは楽しめる…みたいになった自分ですらその感覚という。当時アルバトロスのホームページで毎月のようにプレゼント企画があったんだけど、誰も応募しないから悉く当たるんですよねこれが。だから実家に色々ありますね、非売品パンフとかエロいトランプとか。たまにアメリとかポッと出のヒット作が出て微妙に当たり難くなる時もあったけどね。
あ、なんか脱線しましたけど、本当に煮ても焼いても食えない映画は他ジャンルと比べても多いほうかと思ってて…。
それでもやっぱ合うものが当たると他ジャンルで全く味わえない感動をくれるというか。大抵の場合それは"メチャクチャ怖すぎる"ですけど。
そのメチャ怖に触れたくて今日もシコシコ映画館に足を運び、DVDをレンタルしてるって感じですかね。


最近これ、非常に興味深く読ませて頂いたんですけど、参考になる箇所も納得いかん箇所もあるしというので、自分でもちょっとまとめてみようかと思い今回の記事でした。
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