クリーピー

なんかライブしたりセッションしたり映画観たりしていたら半月以上経ってましたねはい…

そんなわけで今日は映画の話を。
観て来ましたよ『クリーピー』。
最近、解ける謎がミステリー(サスペンス)で、解けない謎がホラーなのかな?っていう風に思っているんですけど、それで言ったら完全にホラーですよねこれは。
端的に虚無というか、謎を解こうとして見ればそこには何もない。で、それはここ最近表現される恐怖のかたちに共通するものでもある。

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公式サイト

コレもあんまり情報入れないで観たほうが面白い映画なんで、ネタバレなしでいきます


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これ観たらだれでも同じ事を思い浮かべると思ってて、というかある程度の人はあらすじだけでピンと来そうなんだけど…。
あの事件の特殊性はどういうことかというと、何が起こっていたかを解説しようとする図なり文なりが大量に出て、しかしそれらを読めば読むほど、実際にあの場で本当は何が起こっていたのかまるで解らなくなっていく、ということで。
そういう、とても理解し得ないような謎が、深い闇がありうる場所とは、どんなところなのだろう?
この映画は言う、それはおまえの隣だよと。


マルキ・ド・サドは閨房という最も親密な空間が開かれることが公共性だというふうに言っているけど、それに倣って言えば、『パラノーマル・アクティビティ』が僕らを芯から震撼せしめたのは、閨房、最も私的な領域であるベッドルームが、"それ"に対して開かれてしまっている…イメージに合う比喩を探すと…"呪われている"、しかも"すでに呪われている"ことを描いたからだ。
典型的には、恐怖は、(『クリーピー』のひとつの参照元である『悪魔のいけにえ』のように)呪われている土地に踏み込むこと、ついで呪いがそこからやって来ること、という形式をとっている。ここに移動があるということは因果と由来があるということと同義で、それはシンプルな教訓を喚起する。危ない場所に行かない、危ない人を家に入れない、という。ここでは家はセイフプレイスであって、その一番奥に位置するベッドルームは最も安全な空間としてイメージされている。
ところが最新型の恐怖はそういうものでなくて、自分が選びえない地点/時点においてそこがすでに呪われている、というものだ。
典型的な怪談に、超常的な現象が起こる家を解体してみると床下に埋められた井戸が出てきた、というものがあるけど、このイメージは新しい呪いの想像力にぴったりと合致する。
床下にひっそりと残る埋められた井戸からある日突然井戸水が湧くように、呪いが湧出する。これはアメリカではもちろん9.11に対応している。アメリカの本土が、しかもひとつの中心が直接攻撃されるという完全にあり得なかった事態、これが古井戸から湧いた呪いのように受容されたことは、あの日を境にアメリカ国内でのあらゆるセキュリティをとりまく状況が一変したことからも分かる。この呪いがどう受容されたかについて戦列に描かれているのは、奇しくも『クリーピー』と同時に続編が公開された『クローバーフィールド』だ。9.11のパロディとして描かれたこの映画のクライマックスで示されるのは、呪いが映画の始まるずっと前の──つまり映画にとってもう選択し得ない過去の──時制にすでにそこにやって来ていた、ということだ。

この古井戸の呪いをイメージさせる映画が、邦画ホラーの領域でも今年一本あった。傑作『残穢』だ。
新しい家にやって来たはずが、その土地はすでに呪われていて、しかもそれは自分が関わることがどう考えても不可能な過去の時点に措定されている。なんで今こういうことが描かれているのかということは、上で挙げた9.11の対応物を探せば簡単に分かる。
つまり…3.11のイメージは、いや、これこそが、まさに古井戸の呪いそのもので、自分の選択し得ない無限遠の過去の時点において、すでにここが呪われている、という恐怖を喚起する。


『クリーピー』にはオカルト的な要素は全くない。
にも拘らず、これが強烈な呪いのイメージを喚起するのはなぜだろう?と思っていて。
それはひとつにはどう掘り下げてもそこに因果が見いだせないということ、自分が破滅的な恐怖に襲われることの原因が(特に自分の落ち度としては)どこにもないということ。
もうひとつは親密圏のレイヤーで──人間関係におけるベッドルームのような、きわめて近い距離感で──それが古井戸からやって来る呪いのように突然湧き出てくるということ。
自分が関わり得ない選択によってそれはすでにそこに根差していて、突然姿を現したものであるということ。
この呪いの厄介なところは、"そこ"は常に"ここ"でもあり得るということだ。原因が見いだせず、やって来る姿も見えないということは、この呪いはもう"ここ"にあるのだとしても何もおかしくない。それは『残穢』における呪いのように、土地に根差しているのでなくて、あえて言うなら全体に、この社会の構造そのものの床下に埋まった古井戸だからだ。ちょうど3.11のあと僕らがずっと感じ続けている通奏低音のような不安と同じように。
この映画を見て、隣に住んでいる人間に関して不安を覚えない人というのがいるんだろうか?この記事の一番最初にとりあげた事件が明らかにしたことは、その呪いは普通に僕らの隣にすでにやって来ている、ということじゃなかったか?

説教くさいことを言うつもりはないけど、この不安の元を探ると、思わずにはいられないことがある。
『クリーピー』に現れるこの途轍もない怪物はどこからやって来たのか。呪いは湧いて出るけど、受肉しているものとしての怪物は違くて、やはりこれはどこからかやって来たものなのだ。ただそれを呪いのように感じさせているものがある、それがこれを"いま、ここ"の話足らしめている条件だ。
そこから想像されるのはこんな単純な見取り図だ。もともと怪物は野山にいたのだが、人里に自分が狩りをするのに適した餌場ができた。だからいまそいつはここにいる。現に今ここにある社会は、この怪物たちにとって実に都合のいい餌場を提供してしまってはいないか…?という。これは映画を観て貰って、この怪物がどうやって狩りをしているのかじっくり見て考えてもらいたいと思うな。
ただ、ここを呪ったのは、社会の床下に古井戸を埋めたのは、僕らがずっとやってきたことなんじゃないかと、僕にはそういう風に思えたな。



しかしまたクライマックスが良いのだよな。
ある転回によって、ベタなというか、ホラー的に言ったら失敗なエンディングに舵を切るように一瞬思えるんだけど、この映画が凄いのはそこからだ。
『残穢』で一躍国内トップクラスのホラー女優となった竹内結子の演技を見てほしい。いや見ずにはいられない。何も語る必要はない、これだけでいい、とう、役者への全的な信頼が感じられるシーン。
このエンディングが示す更なる転回はこれだ。すべてが失われてはいない、ということによって、より一層、何かが確かに喪われてしまった、ということは、強調される。その落ち窪むような虚無の、謎の、闇の深さ、床下の古井戸を覗き込むとはこういうことなのだ。

めちゃくちゃ怖い映画だった。とてもおすすめ。
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