Thomas Brinkmann 『A 1000 Keys』 『A Certain Degree of Stasis』

『SCOOP!』という映画を観てきたのですが、主演の福山雅治は勿論の事、リリー・フランキーや滝藤賢一といったオッサン達の実に生き生きとした演技に目を奪われる。
ともすればマンガ的な、荒唐無稽なところに向かって離陸していこうとする映画に、中年オヤジ達が飄々と楽し気に厚みと説得力を持たせている。
福山とリリーがじゃれ合い、なんなら肩も抱き合いながらイチャイチャと相合傘で歩くシーンなどは、ムサい絵面に宿った独特の美に酔う。


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去年のアルバムはベストという形でも取り上げさせてもらったドイツの実験音響職人Thomas Brinkmann トーマス・ブリンクマン。
今年の新作はなんと二作品をほぼ同じタイミングでリリース。しかも全く違う内容。
どちらも独創的なアイディアのもとに制作される、過激でありつつストイックな、そしてやはり"聴くこと"を問うてくるような作品になっている。


1000keys.jpg
A 1000 Keys

『4分間のピアニスト』という映画があって、殺人の罪で投獄されていた主人公が手錠をつけたままピアノを演奏するのを見た老いたピアノ教師に見いだされピアノのレッスンを受けるという話なのだけど、ネタをバラしてしまうと結局最後の最後に二人は互いの抱えた闇を受け入れられずに決別してしまうのだね。
で、最後にコンサートで主人公がピアノを演奏する。演奏というか、野蛮なリズムで足踏みをし、ピアノのボディをぶっ叩きまくり、中に手を突っ込んで弦を引っ掻き鳴らすのだが、これが実に鬼気迫るシーンになっている。

ケージはピアノの弦に様々な素材を噛ませて、打楽器として捉えるような演奏を行った。
フィリップ・コーナーにとって、ピアノを演奏するとは、バールを打ち込み、金槌で容赦なく打鍵し、巨大なハンマーを叩き込むことだった。
山下洋輔はピアノに火を放ち、焼け落ちるまで弾き続けた。

『A 1000 Keys』、75分もの尺を18の楽曲に区切られたこのアルバムは、トーマス・ブリンクマンによるピアノソロアルバムだ。
このあまりにも奇妙な、ピアノソロと表現するには憚られる、しかし確かにそうとしか言えない音楽を聴いていて、上で挙げてきたような様々な演奏が頭を過ぎっていて。
だからこのアルバムは、そうした試みの最新のモードとして…デジタルの世代のためのそれとして…表現されているものなんじゃないかと。

ミニマリズムを極限まで推し進めることで音楽と非音楽の間の揺らぎにまで手をかけるブリンクマン、ここで行っているのは、ピアノを発するサウンドのレベルで解体し組み直す、その過程の中で部品の間に小骨のように挟まった…この楽器の抱える…ロマンチシズムを丹念に取り除いていく作業だ。
冒頭の"PSA"はランダムにキックを乱打しているようにしか聴こえない。続く"LHR"からピアノの音色が聴き取れるようになる、ただしそれは極端に短くチョップされ、単調で隙間なく埋め尽くすリズムを反復して刻み続ける。
M6"GKD"までそのヴァリエーションが示されるけど、ほとんどの場面でピアノはリズム楽器として捉えられ、メロディを徹底的に殺されている。
M7"TLV"でサウンドは全く原型を留めない歪んだ電子音に変換され、ここからアルバムにおける音の探求は深淵へと舵を切る。
不協和音がブツブツと不自然にちぎられリバースされる"TLV"、モワモワのベースパターンでピアノの面影などどこにもない"SFO"、弦と鍵のアタックだけが切り出されもつれたステップを踏む"MEX"、極めつけは通過する地下鉄の真下で寝そべっているような耳障りな騒音の塊まり"CGN"か。
アルバム終盤では彼らしいミニマルテクノ的な文法で解体再構築されたピアノが聴かれるけど、ここにおいてもう僕はピアノという楽器がどのような性質を持ってどのような音を奏でるものだったのかを忘れている。ただそこにはバラバラの細切れにされてもう一度精巧に組み上げられた別の何かがせわしなく稼働し、足元から襲うような唸りをあげている。
クライマックスの"KIX"を前にすると、ただ唖然とするしかない。純粋に音楽的な存在を徹底して蹂躙し、音楽を奪い去ること。にも拘わらず、それが音であって、音楽との境界にあること。
ピアノからここまで音楽を奪う事って、出来るんだな。


certaindegreeofstasis.jpg
A Certain Degree of Stasis

『A Certain Degree of Stasis』は、48分半のほぼ同じ尺を持つふたつのトラックからなる二枚組アルバムだ。
これらのトラックは、尺以外にも双子のようによく似ている。
一見持続音をベースとしたシンプルなドローン作品と思わせて、きわめて多くの素材が絡まり合い、複雑な構造物のような全容を見せている。
またそれらの素材は、去年の『What You Hear (Is What You Hear)』で聴かれたような、神経質なミシンめいた音、ささくれ立ったギターフィードバック不安定にうねるシンセなど、ストレスフルなものが多くを占めている。
それぞれの素材は細かな反復を繰り返しているが、これも『What You Hear』と同じく微妙に変調加工され、バランスを幾度もひっくり返され、全体像を絶えず変化させる。
全体のダイナミクス、展開もよく似ていて、はっきりと分かるのは、ラストの4分ほど。これはほぼ同じに聴こえて驚く。
そしてそれらの特徴と相反するように、全体の響きとしては、(彼らしくもなく?)音楽的に美しい。

…とここまで書いといて難だけど、持続/反復系のものの感想を書くときいつもそうで、実のところこの音楽についてもあまり重ねる言葉がない。
ただふと思ったことがあって…
よく似た(特に決定的なのは尺なのだけど)楽曲が収められたこの二枚組のアルバム、『What You Hear』と聴き比べたときに、エゲツない位に揺さぶりを掛けてきた前作と比べて今回は位相という面ではそこまでの意図を感じないなと。
それで、こういう特徴から思うに…。
このアルバム、実は二枚同時に聴くものなんじゃないか?と。
自分はわりと消音した映像を見ながら全く無関係な音楽を聴いたりするのが好きなのだが(日常系萌えアニメとSissy Spacekの破壊的ノイズグラインドとか)、その延長でふたつの音楽を同時に聴くということもあって。今回のこれは、わりとそこに意識的に設計されているように感じたのだよね。
オーネットの『フリー・ジャズ』なんてのもあるけど、設計の段階からそこにアプローチする。
まあそんなのは自分の楽しみ方に過ぎないけど、なかなかどうしてこれがある種噛み合った響きを生むのは事実で、片方をアンプから、片方をコンポから出力して位置取りと音量バランスを調整しながら楽しんでいる。




『A 1000 Keys』についてはデジタルもあり
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