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ファークライ5のエンディングについて  アメリカ、カルト、世界の終わり

ファークライ5クリアしてしばらく経ってて、今はもうゴッドオブウォーとかやってますが、やっとあのエンディングが自分の中で消化出来てきたので、少し書こうかなと。
ネタバレバリバリかつ遊んでない人には何のこっちゃな話なのでご了承ください

続き



まず自分はあの最後の選択でファーザーと戦う選択肢を選んだので…まぁ9割方の人はそうすると思いますけど…その前提で。

あれ、まず検討しとかなきゃいけないのは、教団が核攻撃に関与しているのか否かだよね。
で、実はこれ、どっちとも取れるし、どっちでもいいのかもしれないと思っている。ただ自分にとってどう見えたかってのは大事だけど。
まず、ボスのバンカーがミサイルサイロというところで、沸々と嫌な違和感はあったわけですよね。
ただ、同時にラジオなんか聴いてると北朝鮮まわりの情勢が相当緊迫しているということを言っている。
で、前者のほうを重視するなら、これはオウム的な話で。最終戦争に備えるとか言ってたカルトが、内発的な形で破局をもたらすというシナリオ。社会情勢とか見てるうちにパラノイアックになって、恐れていた破滅へと自分の方から突入してしまった。個人的にはこの解釈が正しいかなと思っている。
後者は、単にファーザーが予知のような超常的な能力を実際に持っていたとか、社会の先を読む力に長けていたとかで、実際に事が起こるパターン。この場合には、ファーザーが正しくて主人公の"新入り"達が間違っていたことになる。正義を執行しているつもりが、いつの間にか自分こそが邪悪な存在になっている。これもこれでファークライ的ではある。
このふたつは結果としては微妙な違いにも見えるんだけど、物語を解釈するにあたっては響いてくるところかもしれない。

続いて、核攻撃と最終戦争ということそれ自体について。
あまりにも唐突で馬鹿げているように見えるこの結末は、俄かには信じ難いという印象を抱かせる。荒唐無稽でリアリティの欠片もない、ふざけた幕引きに思える。
でも、本当にそうなのだろうか?
カタストロフということについて考えてみる。
上でもちらっと触れたオウム、あの事件ってやはり奇妙で。
例の地下鉄の事件以前にも弁護士一家の殺人や何や発覚していたはずだけど、いくら人殺しも平気でするカルトが言ってても、最終戦争は、無いwみたいな空気があって。
あるいはもっと今の話にすると…これ不謹慎と思いつつも、ほんとこういう話だよなって思って何度も引き合いに出してしまうんだけど…地震国の沿岸に原発を建てても、メルトダウンは、無いw。これですよ。こういう話って、歴史を手繰るともう無数に出てきて。
迂回したけど、つまりね、破局的なリスクっていうのは、リスク要因の計算等で出てくる状況評価じゃなくて、「こんな最悪の事態は起こるわけがない」という風に想定されてしまうものなんですよ。それは単純に天秤で物事を考えたときに破局の向かいの皿に乗る重しが想定できないからだと思うんだけど。
あるいは、こういう言い方も出来るかな。
破局的なリスクとは、対策することがそもそも無意味なリスクである。
ほとんど起こらない、万に一つ(に思える)、が、実際に起きたときには破滅をもたらす。
こういうものの為に毎日厳重な対策をするコストが用意できるかという話ですよ。隕石が来るかもしれないからとアイアンマンみたいな鎧作って毎日それ着て出社する人が居たら、我々はその人を笑うわけですよ。
で、実際にはそういう事態は意外と起きてしまうってのは、歴史が証明する通りと。
何作目だか失念してしまったのだが、コールオブデューティのロード画面で出る戦争名言みたいなやつに正にこういうのがあって。
「第一次世界大戦が起こったのは、誰もそれが起こると信じていなかったからだ」と。
…話を戻すと、このゲームを遊んでて、ジョンのバンカーを探索しているとき、僕が思ってたのは、「ミサイルサイロかよ…まあ、そうは言ってもカルトが核武装は、無いw」みたいな感じだったなと。


エンディングの地点から少し戻って、ファーザーとのラストバトルについて考えてみる。
仲間が皆"祝福"で洗脳されるようにして敵対してきて、それを一人ずつ解いてこちら側に引き入れていく。
多勢に無勢だったのが、戦闘が進むにつれ逆転していく。
これはもう意図は明白で、ゲーム全体の展開を極端に凝縮して見せている。
周囲には敵しかおらず孤立した状況から、仲間が増え、拠点が増え、いつしかファーザーを包囲している。
きわめて露悪的だよね。
つまり、ファーザーはお前だ、と言っている。
ファーザーが"新入り"の側へと転移していくのが、この戦闘。
だから、たてる問いはこうだ。
"新入り"率いるレジスタンスの信仰とは何なのか?
ビークルに、ユニーク武器のペイントに、スタントマシンに、執拗なまでにペイントされた図版を思い出す。
マシンガンを搭載した馬鹿げたトラック。教会。差別思想、ハンティング、80年代オカルト。カントリー。星、星条旗。メイク・モンタナ・グレイト・アゲイン。
露骨な描写は、南部のアメリカ人を滑稽な程に誇張して描いているのかと思ってたけど、もっと大きな話なんじゃないか。
アメリカニズム。レジスタンスの信仰は、アメリカニズムではないだろうか?
それが例えば911以降の流れだったり、トランプ以降の状況まで射程に入れた上で描かれているのだとすれば、グレースやジェイコブといったキャラクターが象徴する戦争の傷跡というのもまた違った意味を帯びてくるように思える。

では、そんな最後の戦いとあのエンディングの結びつきは何だろう?
やっぱりあの流れは唐突に過ぎないか?
そう考えた時に思い出すのはファークライ3の物語で、あれの終盤が描いていたのってプレイヤーの欲望の行き着く先なんだよね。
殺戮と英雄視に酔うエイジェイに向かって仲間から何度も窘める言葉がかけられるけど、結局エイジェイは…プレイヤーは、ゲームの快楽を選んでいく。
だからその先に待っている当然の帰結としての破滅も、プレイヤーが望んだもの。
この5でも、プレイヤーは何度も言われることになる。
自由だと思ったか?
銃で解決できないことがあると、まだ分からないのか?
もうやめて、去って。
とりわけ強烈な印象を残すのは、"祝福"されたバーク保安官の漏らす次のような言葉だ。
もうゴミ集めも使い走りも沢山だ。
これが自由だと思ってるのか?自分の意思でやってるとでも?
3でのバースの台詞と重なる。
狂気の定義を知ってるか?何度も、何度も、繰り返すことだよ。次はきっと違う結果が待っていると信じてな。
5では、狂気に終わりがやってくる。良かった。解放される。本当にそうか?
あのエンディングを見ながら、こんな馬鹿なことあるか、こんなはずじゃなかった、そう思う我々はしかし、破壊と殺戮の果てに待つものを既によく知っているはずだ。
だって、これはお前が望んだことなんだから。



しかしこのゲームが盛大なアイロニーだけのハリボテになっていないのは、やっぱりキャラクターの魅力に依るところが大きくて…。
それはどういうことかと言うと、味方の人たちもどこか狂気を抱えたようなクレイジーな連中だけど、個人個人としては結構愉快な、気のいい、ついでにノリもいい、愛すべき連中なんだよ。
そういう描き方は、ゲーム全体のテーマを考えると少なくとも中盤以降はノイズというか、余分な手心みたいにも思える。
でも実際に遊ぶと、それをあえて描き込むことはやっぱりテーマの方に跳ね返って深みをもたらしているんだよね。
多分こういうことがなければもっと薄っぺらな、シニカルなだけの話になってたんじゃないか。
そんなこんなで、自分の中でこの5はシリーズの中で3に次いで愛すべき作品になったな。
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