レディ・バード、ビューティフル・デイ、或る終焉、ギフテッド

このところ、有楽町で映画を観るのが好きで。
もともとシャンテや角川シネマ、ヒューマントラストがあって洋邦問わずミニシアター系に強い街だったのが、最近IMAXシアター抱えた東宝まで出来て大作も…と隙がなくなった感じ。
あと有楽町ってメシ食うところが無限にあるとこがいいっすね。
安くて雰囲気的にも気を使わない感じの店が地下に無数にある。
メシということで言うと、東宝と楽天地のある錦糸町も結構面白いですけどね。
てなわけで今日は映画。


レディ・バード
これはマンブルコアを咀嚼して栄養にしたあとの青春映画かなと。
物語に大きな筋があるわけじゃなく、小さなエピソードの大量の集積でできている。で、そのエピソードも細切れになってて、あ、今のこれってさっきのあれと繋がってるんだ、みたいな形で、見ていくうちに地図が描けてくる。
カットが短くて、時間軸の跳び方や物事の途中から場面が始まるような描き方、にも関わらず混乱しない絶妙な編集。
やっぱ青春映画って思い出し視点で見ちゃうとこがあるけど、思い出せる記憶って自分もわりと散文的で要点を中心にした短いカットの形をとってるかなと思ったり。
見ながら『ターネーション』とか思い出して、そしたらこの映画の粒子の粗いローファイな映像の感じも親密さがあっていいなとか。
物語以前というか、何でもないことの尊さが沁みるね。いい映画。


ビューティフル・デイ
幼少期に受けた虐待と過去の従軍経験で心が壊れた男が、暴力・殺人ありのイリーガルな人捜しの仕事をやっている。依頼である女の子を捜すことになる、その過程を追うことが、この男の内面にも分け入っていく旅になる…という話。
『少年は残酷な弓を射る』のラムジー監督ということで、映像スパッスパッと省略/切断で見せていく映像センスとか非常にカッコよろしいのだけど、この映画に関しては何といっても音響かな。
変拍子、ポリリズム、ドローン、ノイズといったアブストラクトな音楽、それに電車の通過音や自動車のエンジン音を暴力的なエッジで捉えた環境音。これらが等価に提示され、混ざり合いどちらがどちらなのか分からなくなっていく。そのことは男の内面がスクリーン上の現実世界に溶け出していくということでもあって、つまりはモノローグもなく台詞も極端に少ないこの映画の中にあって音響が何よりも饒舌に感情を語っている。
『メッセージ』、『マザー!』辺りのヨハン・ヨハンソンのアプローチにも接近するこの方法論は、音楽を手掛けたジョニー・グリーンウッドの功績は勿論のこと、サウンドデザインのポール・デイビスという人の仕事も大きいんじゃないかな。それを表すようにエンドロールの最初の方ででっかく名前が出てくる。
あと少年残酷弓と言えば思い出すのがエズラ・ミラーのガリガリボディなのだけど、今回のこの作品もホアキン・フェニックスのたるんだボディに言葉よりも雄弁に主人公ジョーの歩んできた人生が刻まれているようだった。
暴力を発動する意思とその凄惨な結果だけが描かれるようなバイオレンス描写もドライで激カッコイイ。
『マジカル・ガール』とかあのへんにも近いものを感じる。


こっから二本は映画館でなくアマゾンビデオで観た旧作


或る終焉
ミシェル・フランコというメキシコの監督がいて、今月『母という名の女』という新作をやるんで、予習がてらに観たのが監督が以前に作ったこれ。
デヴィッドという中年男性が主人公で、終末介護の仕事をしている。というと、ヒューマンドラマかな?と思うけど、そうでもない。
というか、これ、ジャンル何だろう?って感じなのだけど。
ある種ハネケ的な、物自体というか、被写体がただそこにあって偶然カメラが回ってるみたいな撮り方をするんだよね。固定か、最低限の機械的なパンだけするカメラ、劇伴音楽もなし。それで人間の汚いこと、見たくないものもそのままカメラの前に放り出されてる。
静寂と緊張感がずっと続く。
ずっと献身的に介護していても、食後のテレビを並んで見ているときにふっと「死にたい」とか言われる。そういう仕事をしてく中で内面に澱のように闇がわだかまってっちゃうという話。
本当に静かな映画だけど、映像に異様な強度があり、退屈はまったくない。最初と最後のカットが数分間の長回しになっているのだが、これがまた凄まじい映像。
やっぱ映画って最初のカット・最後のカット・タイトルバックで100点満点中の70点は決まるよなってのを僕は思ってるんですけど。理不尽な配点だけどさ。
まあこれは凄い内容。重いけど是非見てみて下さい。


ギフテッド
これは『アメイジング・スパイダーマン』のマーク・ウェッブ監督が同シリーズを降板になってから低予算で撮った映画で。確か昨年か一昨年。
驚異的な計算能力を持った"ギフテッド"である7歳の少女と、この子を養っていて普通の人生を送ってほしいと思っている叔父の話。
まぁささやかでありふれた話だねと。
でも、これがべらぼうに良いんだよね。
その良さもきわめて単純なそれで、つまり映像がこの上なく美しい。
それは画面のデザイン、具体的には配色つまりカラーパレットの選択管理と色の配置によっている。
とにかく全てのカットが美しい。一時停止したときに、これは、っていう一枚絵になってる。そしてそのことが、作品の言わんとすることと見事に同じ方を向く。つまり、この世界は美しいという信頼。あるいは、子どもにその世界を贈るってことだから、願いかも。
役者の演技も子役から脇に至るまでことごとく素晴らしく、涙腺絞られる。
隣に住んでるおばさんと踊るシーン、病院の待合室のシーンというのが、これは是非見て欲しいんですけど、もう本当に最高のシーンで。
エンドロールの曲もスゲー良くて歌詞も本編と呼応していたりと隙がない。
ありふれた物語が映像ならではのディティールでこんなに輝いてる。繰り返しになるけどメチャクチャ良かったです。


あとは何ですかね。
先日『オトメの帝国』13巻出たけど、これ自分が唯一デジタルアナログ両方買ってるマンガで。
いや素晴らしいですね。
通常マンガって10巻を超えて良さを保ち続けるのは本当に難しくて。どうしても複雑化するキャラクター間の利害調整に終始して勢いがなくなるような事態に巻き込まれていく。
更に言えば、この作品に関してはある時点から(最近改めて読み返したところ、単行本4~5巻あたりから?)やっていることはずっと同じで。日常のありふれたやり取りの中で不意に現れる崇高ですらあるような美しい一瞬を切り取ること、これのみ。
それがこうも巻を重ねて輝きを失わないのはなぜなのか?
この巻の一話目でもうそれははっきり描き込まれてるわけですよ。メインキャラクターたちが入り乱れて顔を合わせるこのエピソード。
ストレスや摩擦がないこと、それすら超えて、もうこの作品は美しいことしか描かないと決めたんだろうなって。この世界は素晴らしいし君は美しい、それでいい。そういう決意表面ですよね、これは。
その一番軽薄に見えて実際には恐るべきことが、しかしポップに描かれている。控えめに言って奇跡。
「タクラマカンはウイグル自治区にある砂漠だよ」。
いや凄いね。参ってしまいました。

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