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ハナレグミ 『だれそかれそ』 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 『東京ブギウギ』


行こうぜ、森林限界の向こう側へ



てなわけでよく聴いているカバーアルバム二枚。
貼ったツイートにも書いてる通りで、きっかけは映画の『きみの鳥はうたえる』。
これとてもいい映画なのだが、作中でカラオケシーンがあって、石橋静河が"オリビアを聴きながら"をうたう。
これがスカ調の軽妙なアレンジで、ただその享楽的な感じとせつなさの交差するイメージが、妙に映画にハマっている。
更にはフェイクを派手に効かせた独特の節回し。とても気になって調べてみると、これがハナレグミのカバーアルバムに収録されているヴァージョンであると。
それで、聴いてみよう、となり、そしたらコレも一緒に欲しいな、と二枚一緒にカートに入れたというのが今回のチョイス。
カバーアルバムだけにアレンジのネタバレを抑えたく、特に気になった曲を三曲づつ取り上げるかたちで紹介したい。
あと、あらかじめ書いとくと、この二人(一人と一組?)のカバーアルバムを特徴づけていると思うのは、歌の感触をグッとパーソナルなものに引き寄せているということ。
普遍的ポップソングを個人的なものとして歌うこと。
いわゆる「うまい歌」とはまるで異なるその独特極まる歌唱が、これらのアルバムを特別なものにしているように感じた。


ハナレグミ 『だれそかれそ』
"Hello, My Friend"
言わずと知れたユーミンこと松任谷由実の大ヒット曲のカバーでアルバムは始まる。
まさにポップソング中のポップソング、普遍の中の普遍、といた曲であるけれど、この曲の成り立ちは特殊だ。
94年のシングルリリース時、カップリングになっていた"Good-bye friend"のほうが、実はこの曲のベースになっている。
ただこれは内容がタイアップにそぐわないということで、サビ以外が書き直され、それがこの"Hello, My Friend"という形。
その「そぐわない内容」って何だったかというと、これは松任谷夫妻と当時親交があり、(僕の世代なら皆憶えていると思うが)レース中の事故で亡くなったF1レーサー、アイルトン・セナに捧げられたというもの。
それを思うとき、この曲のタイトルと何とも乖離した歌詞の意味はよく分かる。
「もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて」。
「悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも / めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから」。
最もこれは実にユーミンらしいというか、そもそも初期の"ひこうき雲"あたりも秀逸なポップソングであると同時に反戦の歌でもあるわけで、そういう何か「フォークの残り香」みたいなものってこの当時のポップスの空気ではあったように思う。
と長々書いたところで、このカバー。
実におもしろい。
王道ポップスの豪勢なアレンジが施されたオリジナルと比較すると、あまりにも簡素で素朴なアコースティックカバー。
ギターのミスタッチも残る生々しさで、余計なリヴァーヴがないところは空間の狭さ(=距離の近さ)を感じさせ、歌声も全編、ポツポツと呟くように歌われている。
きわめてプライヴェートな録音に思える。
ただそれは、今まで書いてきた曲の成り立ちを知ると、ごく自然で、曲のひとつのあるべき姿としてのアレンジと分かるんじゃないか。

"オリビアを聴きながら"
そしてこれ。
バックを務めるのは東京スカパラダイスオーケストラ。
その意味では、アルバム中でもポップソングとしての完成度はとりわけ高いものと言える。
ただ、この節回し。
メロディーの大胆な崩しで全編生々しくうねる歌になっており、この辺、誰しも知る曲だからこその絶妙なアレンジ。
でもって、映画での石橋静河のカバーもこれの再現だったかと合点がいく。
しかしこうザ・バラードって感じの曲が、真逆の躍動感溢れるアレンジで。
そこで「ああ、やっぱいい曲だな」って思えるのが、曲としてどんだけよく出来てるかっていう。

"ラブリー"
これまた言わずと知れた名曲。
ただ、だからこそというか、やはりこの人がやるとアレンジで強烈なフックを加えてくる。
せーののスタジオセッション一発録りがそれ。
アカペラでギターと即興の掛け合いをしながら曲が始まる。
スタジオの空気がそのままパックされたようなホワイトノイズの豊かな手触り。
楽器陣が徐々に徐々に加わり、弾ける多幸感に満ちたメロディ。
ここでもハナレグミの歌唱は派手にうねるような節回しで、自由にメロディを繋いでいく。
それでふいにこんな歌詞が飛び込んでくる。
「いつか悲しみで胸がいっぱいでも / OH BABY LOVELY LOVELY 続いてくのさデイズ」。
最近、6年ぶりの新刊として三巻が出た『花と奥たん』読んでて、ちょうどこの歌を思い出してた。
やっぱこの曲も、ポップスという普遍性とパーソナルな悲しみのあわいに生まれた曲だったのだろう。





奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 『東京ブギウギ』
"THE TENNESSEE WALTZ"
バンド名の通りというか、このカバーアルバムではJポップのほかにジャズスタンダードやアメリカントラディショナルも取り上げられている。
その中でとりわけ印象深いのがこの曲。テネシー・ワルツ。
これもまた名曲として知られている曲だけど、その内容がおもしろい。
恋人とテネシー・ワルツで踊っていると友人が来たので、紹介したら、その友人に恋人をとられたという。
奇妙礼太郎の歌声は、つねに酔っぱらっているような独特の調子があって、これが良く作用している。
こういう歌はいわゆる「うまい歌」という感じで歌われるよりも、こういうトーンを加えられることで、「生きた歌」というか、本来そこに込められているエモーションを正確に伝えるようになる。
要するに、こういうカバーアルバムとか、いろんな人のものを聴いていて、うん?って思うのは、なんか「名曲だからうまく歌わなくちゃいけない」みたいな謎のやつがあって。
でも、そうじゃないじゃん。
名曲ってことは、最良の形ってのはもうすでにあって、それをなぞるって愚行であって。
それよりも、自分が思ったことを思ったふうに、なにか風呂場で口ずさむみたいに歌うことが、名曲をカバーするということの最良の形なんじゃないか。
少なくとも自分はそれが一番好きだな。

"赤いスイートピー"
1982年の松田聖子の歌唱がオリジナルで、日本のアイドルソングを代表する一曲。
つまりこれもまたポップス・オブ・ポップス、王道中の王道ポップソング。
ただ、自分に関して言えば、このヴァージョンを聴いた時に初めて、あ、いい曲だな、いやいや、メチャクチャいい曲だなこれ、って思ったのだ。
思ったってか、泣いたのだ。
アルバム中でも目立ってそうだと思うのだけど、この曲での奇妙の歌唱は酔っぱらったオヤジそのもの…とまで言うと失礼だけど、何というか、「めちゃくちゃ歌のうまいオッサンがガンガンに酒を入れて号泣しながら歌う懐メロ」状態のそれ。
震える歌声にメロディーを派手に崩され、過剰なるエモーションで装飾されたそれは、オリジナルは老いたロック・シンガーのソロですとも言えば納得しそうになるほどで、少なくともアイドルソングとは全く聴こえない。
ここに管楽器とオルガンの重なる場末感漂うオケも効きまくっている。
やっぱりこれだと思うのだ。
オリジナルの再現なんてカバーにおいてはどうでもよくて、重要なのは、その楽曲にまつわる自分の感情をこそ再現すること。
だからこのカバーはこんなにも汚くて美しい。

"愛の讃歌"
最近、『旅のおわり 世界のはじまり』という映画を観た。
黒沢清の最新作。
正直言って、いや文句なしに、今年ベストクラスの傑作だと思う。
今年この先、これを超える映画を観られるのだろうか。
そこにおいてこの曲が、印象的にリフレインし…今日ここまで書いてきたまさにそのこと…、世界=普遍と私=パーソナルを接続する、という映画の中の物語装置として最大の機能を担わされている。
そこでは「世界」を「私」の中に捉え直すにあたって、「あなた」との間にある距離としてそれを想像しなおす、という操作が行われる。
改めて、ポップソングとはつまるところ、それだろう、と思う。
誰もが口ずさむが、その口の端に乗るたびに百人に百通りの、パーソナルな情景や感情と結びついて分かちがたく固有のものとなる。
誰もが結局は切ないほど個である、という約束事を思い起こさせることによって、個と個を分け合わせるような、そんな機能を担うのが、いわゆるポップスの名曲というものじゃないかと思う。
今日書きたかったのはそれで、奇妙礼太郎の酔っぱらったような歌唱はいつもそれを思い出させる。
この"愛の讃歌"ってまさに「名曲中の名曲」、「究極の楽曲」みたいに言われる曲だけど、内容は、そんな圧倒的な、超越的な普遍性と真逆の、無限遠の彼方にあるような、きわめてパーソナルな領域へと一直線に向かっている。こういう風な。
ビルに飛行機が突っ込もうが、大きな地震が来ようが、そんなことどうってこたあないんだから。
朝目が覚めてあんたのぬくい掌の下であたしの身体があって。
それで充分。それで全部なんだよ。
あんたがそうしろって言えば
金髪だって染める
世界の涯てにまでいく
どんな宝物だってあのお月様だって盗むし
祖国だって友達だってなんでも全部裏切るクソなんだよそんなものは。
あんたがそうしろって言うなら誰が何て言ってあたしたちのこと嘲り笑ったってあたしは平気なんだどんな恥ずかしいことだってするからね。
そしてずっとずっと長い時間が過ぎてその時が訪れてそいつが来てそう死があたしからあんたを引き裂いていくとしたってそれも平気よ。全然まったく何でもない。

だってあたしも必ず死ぬんだから。

そうやって死んだあとにもあたしたちは手に手を取ってあの遠くどこまでも広がる泣けるほど濃い青の中心に座ってそして永遠の愛をもう一度約束するの。
あの遠くどこまでも広がる泣けるほど濃い青の中で。

なんの問題もない。

そして神様も、そういうあたしたちを祝福して、永遠に、永遠に祝福して下さるでしょう。





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